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音楽そしてコントラバス・トップ>管理人室>このページ ときどき雑記2007年d
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■工作二つ・・・2007・12・29 もう一つは例によってコントラバス関係のものです。今は内緒にしておきます。これで良いのか、他に加えるアイデアはないのか十分に使って効果を確かめてから公開します。この仕掛けは他に実例を知りません。昨日このアイデアを形にして使ってみましたが、その反省に基づいて今日もう一度最初から作り直しました。手応えはありそうです。
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■ヤモリ・・・2007・12・28 青大将が古い家や倉庫などの梁に棲みついていると、昔の人は追い出す事はしませんでした。ネズミなどを捕食するし、おとなしいので家の守り神的な存在とされていました。 ヤモリもきっとそうなんでしょうね。調べると分相応の虫などを捕食するそうですから小さなゴキブリなどは食べてくれているのかも知れません。知らずとは言え、ごめんね。
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■総合ソフト購入・・・2007・12・27 つまりは私が作った幼稚な見積(兼原価計算・資材積算)ソフト、建築確認ソフト(これは他人が作ったものの改良版)、構造強度計算ソフトなどは御用済みになってしまいました。かなり時間をかけて改良を重ねたので愛着はあるのですけど、従来は設計を変更した時にはそれら複数のソフトに同じ訂正をしてやらなければならないのに引き換え、総合ソフトなら一箇所訂正すれば全部が右へならえするので手間が掛からない上に間違いが飛躍的に減るという、その価格に見合う美点があります。 これで私の簡単ソフトは短い命を終えますが、でもソフト制作の入り口に立った当時に、単に加減乗除とその合計をするソフトだと思っていたエクセルという計算ソフトの可能性の大きさ素晴らしさに驚き魅了されました。今後はソフトを作るチャンスがなくなると思うので、その意味ではちょっと残念。
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■あるサイト・・・2007・12・26 何人ものこだわりを持つ博識が書き込みをするので時にはかなり激しい人間模様が展開されているようですが、書込みが多くて動きのあるサイトです。 すこし前ですが、リンク集にそのサイトを一方的ですけど載せました。
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■鉢づくし・・・2008・12・23 我が家には「幸福の木」というのもあります。工事をしたお客様が、良かったら持って帰りませんかと株分けして下さったものです。現在その孫が我が家の玄関の鉢におさまっています。 もっと古い木もあります。昔足繁く通っていたスナックのママさんから貰ったベンジャミンで、長い間我が家の居間の真ん中に鎮座していました。事務所を新しくした時に賑わいの為に長期出張させていましたが、少し勢いがなくなったのでもう一度手元で養生をさせます。これは貰った姿のままですからもうお爺さんでしょう。 そうそうもっと古くて30年くらい我が家に居る鉢もあります。当地に転居したばかりの頃、近くの女子短期大学の学園祭で買って帰ったカポック。当時は珍しい木だったです。これもその孫が小さい鉢になって命永らえています。 鉢に限らず、そんな風に年齢を重ねると家には古いものが溜まって行きます。愛着のないものはいつの間にか去ってゆきますから結局思い入れのあるものが篩(ふるい)の中に残る事になり、そんなものに囲まれた生活は悪くありません。
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■加湿器小文UP・・・2007・12・21
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■加湿器の製作・・・2007・12・17 先日ふと加湿器を作ろうと思い立ちました。それは電気を使わないタイプなので作るのが容易で安く上がります。 仕掛けをご説明しますと、洗濯物を室内に干すのと同じ。それでほとんど理解して頂けると思います。一応頭の中でおおまかな構造を考えてから百円ショップに行きました。その店で使えそうなものを見掛けると今度はそれを使う為に好都合で役に立つものを探すという手順で、百円ショップとしてはちょっと大きいそのお店で材料は全部まかなえました。 既に作って使っていますが、空気がこれまでと違って潤って来たような気がします。でも実際はどうなのかを実証したくて湿度計を注文しました。湿度計もそれでOKですよと言ってくれたなら公開しましょう。
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■仮名手本忠臣蔵四段目扇ヶ谷塩冶館の場・・・2007・12・15 素人なので、洋画のように字幕を見ながらでないとどう進んでいるのか良く理解出来ないのですが、でも凄い! 特に心に残ったのは二つ。 一つは浄瑠璃三味線の音。それでなくても低くてはらわたに沁み透るのが浄瑠璃三味線ですが、切腹の時が迫る場面で万感のこもった一撥(バチ)ベーン。そして長ーい長い沈黙の後に又一撥、ベーン。更に長い沈黙、そして又同じ音程でベーン。 もう一つはこの場の最後。幕の降り際に、主君を密葬した帰り道(でしょうか?)の家老由良の介が1人暗い道で言葉にならない言葉を挙げるのです。一声。来るべき次の言葉は発せられず、幕。
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■今年の字・・・2007・12・13 例えばコピー機でお札を精密コピーするとします。これは「偽」です。単にその物質が本物ではない状態でそこにあると言うことです。それだけなら誰も被害を蒙ることはありません。 これを深夜コンビニで実際に使って不正に利益を得ようとすれば、「偽」に「意思」が加わって「動き」が出ます。その状態を一字で表せば「欺」です。 残念ですが、今年はそちらの字の方が似つかわしいですねぇ。
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■富士の雪・・・2007・12・12 風呂にゆったり入っていてふとこの歌が思い浮かび、次の瞬間ちょっと変なことに気付きました。 田子の浦の海岸から出て(出航?)はるか富士山をふり仰いでみれば白い頂上に雪が降っていることよ。とこんな下手な訳で良いのでしょうか。白い富士山といえばそれに似合うのはピーンと張り詰めた冬の青空、ことさら白いと歌い込んでいるところを見ればそんな青い空をバックにしているのでしょう。詠んだ場所は海岸あたりなのですから歌全体からは空が晴れて広々とした景色の印象をうけます。 でも、「降りつつ」なのでこれは現在進行中の出来事なのだと解釈するのが自然でしょう。富士に雪が現在進行形で降っているのならそもそも雪雲で遮られて全体が見えもしないか、仮に山裾が見えていたとしても景色全体は灰色ですよね。もしそうならきっと全く違う感興を詠むはずです。 つまり大きな矛盾を抱え込んだ歌、すなわち実際は見てもない景色を想像上で詠んだものと思えたのです。この歌を知って以来ながーい間これに気付きませんでした。 早速ネット検索。山部赤人の和歌として「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」ともあります。この表現は直裁的なのでたぶんこちらが誰かによってアレンジされる前の元歌だと思いますし、これなら降雪は過去形のようなので矛盾は起きません。しかも首掲の「白妙の富士の」なら「の」がダブっているので言葉を研ぎ澄ませた感じを受けませんけどこちらは大丈夫。 夜の間に雪が降った翌朝などの透き通った空は、新雪をうっすら青く染めて素敵ですね。
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■静か・・・2007・12・8 そういえば全般的にweb熱は下がり気味の感じを受けます。 それが良い事なのか悪い事なのかは何とも言えません。お喋りは実際のお喋りにしてもネット上のお喋りにしても良い面と悪い面があるように思います。良い面は勿論他人と意思疎通が図れるということで、社会的存在である以上これは良い悪いを通り越しているとも思えます。悪い面は孤独に浸るのが怖くなること。対人関係から一時離れてする孤独と自省からとても多くのものを引き出せると思うのですが、ネットですとかケータイとかを多用して自分自身と対決する時間を持たずに過ごせてしまうのはどうなんでしょう。だからひょっとしたらこれは良い事なのかも知れません。 web上が静かになっている事から、こんなお話に結びつけるのは飛躍のし過ぎですね。
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■凋落・・・2007・12・5 以下引用; トップからの脱落ではなくてトップグループからの脱落です。従来、平均的な日本人が真面目で勤勉であった事を社会背景として、教師・生徒共に同じように勤勉であった結果世界の中でも優秀だった学生ですが、教育関係者を含む日本全体が勤勉である事を止めれば優秀でなくなるのは順当です。 この凋落に歯止めを掛けたいと思う時、何をどうして行けば良いのでしょうか。今後展開される議論の赴くところを見つめたいと思っています。
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■国際野球試合・・・2007・12・3 特段の感想が二つ。一つはルールの改正提案。デッドボールの場合において、回避動作をしない打者は出塁出来ず、単に投手のカウントが一つ悪くなるだけとする。球に当たりに行くようなアドレナリン出過ぎバッターの選手生命を損なわない為に必要な措置だと思います。これから野球にも国際試合が増えるようなので是非取り入れたい規則です。 もう一つは、9回のクローザー上原投手の姿。ぎりぎり場面なのに生き生きとした投球。新人の頃、四球を命じた監督の判断にマウンド上で涙を流した彼と重ね合わせてすごい男とは彼の事だと思いました。 良い事も悪い事も、何にしても野球の国際試合は国内のリーグ戦とは別物ですねぇ。
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■引っ越し第2弾〜〜2007年12月2日 ヤドカリが体のサイズに合わせて巻貝を選ぶようなものです。いや、どちらかと言うと子沢山になってそれまでの借家が手狭になった上に生活まで苦しくなり、広くて家賃の安い郊外の家に転居するようなものかな。
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■新・バスの構え方UP〜〜2007年11月30日 4ヶ月前に構え方の小文をUPしたすぐ後で今の構えのアイデアが浮かんだので、良い加減なアイデアで書いてはいけないと自省し、世間を騒がせた罰に4ヶ月間自分自身の様子を見ていたのです。(世間は騒いでいませんてば) 前の小文UPに当たっては長い間しっかりアイデアを温めたつもりだったのですけど、気が変わるタイミングが悪過ぎました。 今回UP予定を1ヶ月遅らせて満を持して(?)アップロードです。
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■もみじ真っ盛り〜〜2007年11月29日 もみじに口が利けたなら、我が世の春と言うでしょうか。
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■卑怯〜〜2007年11月27日 昼からはほとんど何もすることがなくて本が読めましたが、残る後半を読んでいると卑怯についてのくだりがありました。 私の子供の頃「卑怯」は恥ずかしいことでした。それも大人が子供に教えるのではなく、子供同士がお互いの大事な了解事項として遊びの中で生きていました。 自分より弱いものをいじめるのは卑怯、自分だけが得をするのは卑怯、自分を他人より有利な状況に置く不公平は卑怯。ちょっとでもそれから外れると皆から「卑怯」の大合唱を受けます。 その著者も同じような考えを述べているのでとても近しく感じて、どんな人かと略歴を読めば、果たせるかな同い年の昭和18年生まれでした。 あれから50年余り、卑怯を恥じるのは廃れつつあるようですね、大人からも子供からも。。。うーん、惜しい。
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■席譲り〜〜2007年11月26日 帰りの電車は下校時間なのでしょう、高校生が乗っていて結構混み合っていました。で、立っていると前の男子高校生がすっと立ち上がって席を譲ってくれました。一瞬まごつきましたね、初めてでしたから。 えっ、その一呼吸置いてからやっとお礼の言葉が出てきました。彼はすっと離れて行きましたが、やがておばあさんが座っている私の前に立ちました。高校生が向こうに行ったのを幸い、おばあさんにその席を譲りました。 高校生の美しい配慮を、立派で有り難い行動だと愛でつつも、まだ譲られる席に私の年齢はふさわしくないので正直言えばお尻がむずむずして座り心地は良くはなかったのです。 でも嬉しく思いましたね、若者の道徳心、まだ捨てたもんじゃないぞ。 その反面、それからの私の行動、子供じみていました。そうして立っている間じゅう吊革につかまらず、二本足でバランスを取り続けたのです。ついでに精神のバランスも。
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■サイトの評価替え〜〜2007年11月22日 11月12日に旧サイトのコンテンツを削除して以来、今日10日間のタイムラグの後に動きがあり、Yahooでは「コントラバス」での検索順位を5位から新サイト評価を一挙に328位まで下げていました。新旧でコンテンツそのものは変わっていませんからプロバイダを変更した為にこのサイトの信頼性をほとんどゼロから再出発させたと言う事でしょう。googleでは今でも6位は変わっていませんが、googleの評価替えは遅いようです。
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■グルメ〜〜2007年11月21日 最高の三つ星ランク店はわざわざ旅行をしてまで食べに行く値打ちがあるという事のようです。 ふーん、食べるというのはそんなにご大層なもんなんで? 私ゃそんなものに踊らされる種類の人間じゃございませんが、こんな私がこの世に生息していてもよござんしょ? 私は自宅で三度三度の食事が出来ればそれが最高です。
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■国家の品格〜〜2007年11月20日 選挙民は全体として遠目で見た時には常に正しい判断をする(2007/7/30記)という私の考えに対し、彼は三権も結局世論によって目を曇らされており、そしてその世論はマスコミによって操作されている(つまり偏っているのでよろしくない)と主張します。どうやら彼は選挙民の判断もテレビのパーソナリティなり解説者なりによって操作されていると考えている模様です。 ところが私と全く同じ視点に立つ部分もあります。59ページから60ページに掛けて「論理の鎖は危険だ」を説明する為に、小学生に英語教育を施す論理の鎖が持つ間違いを挙げています。この部分は何から何まで私の主張(2005/10/13〜14、2007/10/28記)と路線を同じくしています。 薄いこの本のあと半分、パソコン画面は苦手でないのに本の活字を追うのは疲れる私が読み終えるのはいつでしょうか。
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■紅葉名所の比較と提案〜〜2007年11月18日 長門峡ではほとんどの人が歩きます。老人も子供も、少なくとも2.5キロ程度先の中間点にある茶店までは歩くようです。つまり往復5キロくらいは小刻みで急なアップダウンの細道を観光客は決してのんびりとではないスピードで歩いていました。多分この道は狭いのでゆっくり歩いては後ろの人に迷惑を掛けるとのプレッシャーが掛かるのでしょう。 ところが耶馬渓では渓谷を歩く人がほとんど居ません。渓谷入り口の駐車場に車を置くとその先は道沿いに茶店が延々と続いていますが、皆さんそこで食事をしてお土産を買い、目の前の屏風のように切り立った断崖を眺めると後は一番奥の茶店あたりの紅葉を愛でてお終いにするようです、そこから渓谷美が始まるというのに。駐車場からは往復距離でも500mくらいでしょうか。渓谷沿いの道は平坦で歩きやすいのですが人道が途中でなくなって車に身を晒しながら歩かねばならないという大きな問題を抱えているのが原因だと思われます。私達夫婦のように渓谷の一番奥にあるトンネルまで往復5キロ弱程度を歩けば道程2/3は人に出会いません。 もし渓谷からちょっと離れたルートに車専用のトンネルを掘り、現在の車道は歩きの観光客に解放するなら人が歩む道としては十分な広さなので耶馬溪は最強の紅葉名所になって今の倍以上の観光客を集める事が出来ると思いますよ。それでなくても最盛期には交通渋滞が起きるくらいですから人出は凄い事になるのではないでしょうか。観光客はどこにも負けない渓谷美と紅葉を延々とゆっくり堪能出来るのです。 この案を行政が採用すれば経済効果抜群という事で提案者である私の記念像が建立されたり。。。しませんよね。そもそもそんなに突飛な発想ではないでしょうし。
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■第2号コントラバスキャリーカート〜〜2007年11月17日 物を作るには、ほとんどの場合お手本を見て作るのではありませんからどんな材料を使ってどんな構造にするかを考える時間の方が長くて、実際の作業時間はそれに比べてずっと短いです。今回もカートが手元に届いたのは10月はじめ、だいたいの構造を決めるのに暇が掛かり、着手は11月に入ってから。楽器受け台の側板を2度失敗しましたから製作に手こずって日数は1週間以上掛かりました。 最近の物作りでは手抜きをして図面を描きませんから、かなり出たとこ勝負になってしまい、今回のように作り直しの危険が伴います。 とはいえ、悩んだり失敗したりを含んでそんな全てが私の楽しみなのです。小文はトップページの赤色セル「コントラバスキャリーカートの製作」からお入り下さい。
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■離煙は6年目突入〜〜2007年11月13日 この5年の間に3度たばこを吸っている夢を見ました。 最初は”えっ何で?”と慌てて夢の中ながらもみ消しました。二度目は”折角だからこの一本全部吸ってしまおう”と思いました。三度目にはポケットの中に箱があって既に何本か吸った形跡がありました。 夢は起きれば忘れるものなのにこんな夢は全部覚えています。そしてその夢はだんだん過激になって来ていますが、現実の私は強く吸いたいと思ったことはありません。心強いことには、仮にすぐそばでたばこを吸われても気持ちは動じませんから多分もう吸うことはないと思います。 もう何度もここで言及していますが、今たばこを吸っている人は社会からあまりに阻害されているのを気の毒に思いますよ。法律で犯罪と決められていないにも関わらず、まるで犯罪者であるかのような不当な扱いを受けていると思います。いっその事麻薬並に犯罪にしてしまえば吸う方の気持ちもすっきりするでしょうに。その時は違法になりますから深夜隠れて吸う事になるか、またはアンダーグラウンドに煙草窟なるものが出来て繁盛するでしょうか。
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■長門峡とコンサート〜〜2007年11月11日 途中にとても面白い滝(?)を見付けました.木々に覆われた薄暗い崖の上から遊歩道へ2mくらいの幅をもって水がしたたり落ちてくるのですが,崖にはコケがびっしり生えているので,落ちてくる水は水量が少ない事もあって流れではなくて無数の粒になってコケの上をころころと幕のような広がりをもって転がり落ちてくるのです.見た事もない素晴らしい眺めでした.そこは散策マップに載っていず現地に案内標識もないせいか,足を止めて見る人もいなかったので狭い滝壺(?)に陣取って堪能するまで見上げました. 夜は山口市でコンサートを鑑賞.18年前に賛助出演をしたことのあるサークルですが,指導者を含めてアマチュアばかりで運営される音楽団体としては最上質の大人の響きに成長していました.
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■HP転居ご案内〜〜2007年11月9日 URLは; しばらくは新旧のサイトを同じ内容で運用しますが,新サイトへロボット検索が入ったらこちらの旧サイトはファイルだけ残して内容を抜きます. 旧サイトの完全消滅は来年1月末あたりにしようと思います. ご迷惑をお掛けしますが,どうぞよろしくお願い致します.
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■完成間近〜〜2007年11月8日 ほとんど9割方できあがっているのですが,運びやすく楽器の脱着が簡単で立たせた時の安定感がありしかも飛行機に乗せるときに簡単な分解をして航空会社が用意するバスケースに楽器と一緒に入れる事が出来る,という良いことばかりのキャリーを目指しました. 残念ながら元にした市販の荷物キャリーカート(10月11日ご紹介)が一部鋳物なのもあって重量はどうやら前作より2kg以上は重くなっていると思います.
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■サイト誕生日〜〜2007年11月6日 ときどき雑記を何日かごとに書くのはもう生活の一部になっていて,感じたことを文章にまとめ,写真用語で例えれば「定着」させる作業は私自身楽しみにしています.文章は出来るだけ事実の羅列に止まらないように心掛けてはいますが,それはどちらかと言えば努力目標と言った方が良いようです. 音楽小物を自作するのも楽しんでやっています.実際にのこぎりを使うのも楽しいし,次の工程はどうすればスムーズに作れるかをぼんやり頭の中で考え続けるのも同じように楽しいことです.職業として建築に関わってはいるものの,私は大工や塗装工などの職人として現場仕事をしたことがありませんし,職人さんから教えて貰ったこともありませんから物を作るのは純然たる趣味の世界です.持っている道具もアマチュア用の安くて簡単なものばかりですからなかなかきれいには作れないのが残念ですけど...そんな作品のご紹介もいつのまにか定番コンテンツとなっています. コントラバスの演奏そのものに関するコンテンツとしては練習日記というコーナーもそれに当たりますが,これはもう長い間増えていません.練習をしてはいますが,はかばかしくありません.来年に向けてとても大きな課題を抱え込んでいるので,今年のオフシーズンは気を緩めないようにしたいと思います.とは言え,その記録を練習日記として残すにはちょっと抵抗が... 上記のような私の楽しみを楽しみにしておられるたくさんの訪問者がいらっしゃる事が,コンテンツを追加しこのサイトを維持し続けて行く気力を生んでくれています.皆さん有難うございます.今後ともサポートをよろしくお願いいたします.
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■歌川広重〜〜2007年11月3日 さて,その東海道五十三次ですが,空と水の表現はワンパターンだったと思います.しかし近景を引き寄せて景色をドラマチックに表現する手法は見事でした.同じ場所を大正時代に撮影した写真と版画を並べて展示してあるのでそれが良く判ります.平地の宿場を描くのに平坦な景色のまま絵にすれば退屈するところなのに,それを視点の工夫によって躍動感のある版画に仕立てるのは広重の着想のユニークさなのでしょう. 画面構成でもう一つ特徴的だったのは稲妻型の構成です.近景から始まって遠くの山に至るまで連続した稲妻型に景色を構成するのは彼の好みのようです.シンメトリックな画面構成はたった1枚でした.もう一つ感心したのは橋の描く重くて大きいアーチに対抗させるのに使ったのが,空に描き込んだ凧の糸一本でした.この細い線には橋に比肩する存在感がありました. それら広重の絵一枚一枚に葛飾北斎などの葉書大の版画が添えてありましたが,その北斎が素晴らしい.小さい版画ながらそのセンスはむしろ広重を上回っていると思いました. 広重の東海道五十三次は以前どこかの美術館で見たことがあります.でも今回はそれより遙かに強い印象を受けたのは大分市美術館の学芸員さんの力量だと思いましたよ.
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■テレビ〜〜2007年11月2日 どこのTV局かを尋ねませんでしたが,夜のニュース画面に私達が入っていましたよ.私のは版画を見入っている横顔だけですが,家内は別のショットでなんと顔を正面から大写し,ほかの女性でなくたまたま家内と一緒の時で良かった(これ目一杯の背伸び).
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■弊衣破帽〜〜2007年10月31日 戦前,旧制高校の学生さんが学生帽やマントをわざわざ古着のように取り繕いほころびを作って着用していたそうです.それを弊衣破帽と言いましたが,時代と服のデザインは変遷しても,やってる事は同じですねぇ.そのスマートな女の子と昔の学生さんを重ねてみて,見掛けはかけ離れているのに心情の同一性に何だかニヤリ. 振り返って私達年代のファッションを特徴付けるものは何だろう.思うにその特徴は2点.小さい頃は戦後の物資不足のまっただ中,”装い”としてではなくて本当に粗末でした,それが一点.もう一つは大学時代のアイビールック,人数は少なかったけれどもそれでサマになっている学生がいました.ファッションに反発しながらも憧れてちょっと真似しましたね.
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■罰ゲーム〜〜2007年10月30日 このたび目新しいのは,社会奉仕のプログラムを選択することが出来て,それは道路沿いに立ってたすき掛けで交通安全のプラカードを一定時間掲げるというものです. それを選びました.休憩を挟んで2度,同時受講者20人ほどが道に一列に並んで走行車に交通安全を呼び掛けました. ま,ありていに言えば罰ゲームなのでカッコ良いものではありませんが,でもそれなりに胸を張って楽しんでやって来ました.中にはそこを通過するのが気恥ずかしい風情の運転手さんもいて,そりゃ逆ではないですか.
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■オンエア対談〜〜2007年10月29日 このたびは私より少し年上の実業家がパーソナリティ,番組が始まる前に彼としばらくとりとめのない雑談をしたので舌の根がほぐれ,更にはその会社とは取引実績があることや,私にとって二度目のマイクだったのであまり放送されているという緊張感もなく話が出来ました. でも,視覚に訴えれば簡単に済む物事を言葉で説明する難しさはどうしようもありませんね.
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■学習指導要領と効果判定〜〜2007年10月28日 ところで小学生に英語教育を施すそうです.英語能力を効果的に身につけるという一点だけから見れば早期教育は良い方法です.でも原点に立ち返って何の為の英語教育かと考えたときに大きな疑問を感じてしまうのです.多分外国人とスムーズな意思疎通を図れるいわゆる”国際人”の養成にあるのでしょうか.でもそれは短絡的な発想だと思います.もし日本人を通訳に仕立て上げるのが目的なら正しい選択なのですけど. 世界に通用する日本人を養成するのが目的ならばむしろ日本語に堪能する,日本古来の芸術を知る,歴史を通じて日本人の精神構造を学ぶなどと言う日本人としてのアイデンティティ獲得が早道で正道だと思うのです.これを言い出せば長くなるので,2005年10月13日の”早期英語教育”を読んで頂きたいと思いますし,トップページに置いたワード検索窓でこのサイト内の”アイデンティティ”あるいは”国際人”を検索して見れば私の見方をご理解頂けると思います.結論的に申し上げれば小学生へ学校授業としての英語教育はどんなもんでしょうか.不幸にして予定通り実施されるならば,早い目に効果判定をして頂きたいです.もちろん英語能力をどの程度獲得出来たか,などという近視眼的な判定項目だけでなく.
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■曖昧な設問〜〜2007年10月27日 これに回答出来ない子供がいました.その理由は立方体を裏側で何個か抜いているかもしれないし,逆に余分に付け足しているかも知れないのに,それは表だけからでは解らないではないか,だから考える事が出来ない,というのです. 実に論理的.その点では出題者した先生の方が裏側はきっちり積み上げられているものだとの考えに捉われているので失格です.正確に表現するなら次のようでなくてはなりませんね. ”このひとかたまりは縦横高さそれぞれ何個を隙間なく積み上げた上で,今見えている側だけから図のように立方体を抜き取っています.では,このかたまりに立方体は幾つあるでしょうか?” そのような設問の仕方ではなかったならば,お答えは”個数の特定は出来ません”が正解ですね.
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■無題〜〜2007年10月23日 がんばれ,どの道大人になるしか選択肢はないのだから.
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■第6号エンドピンレスト〜〜2007年10月22日 残る問題はこの二つのタイプのエンドピンレストのどちらがどの程度に音質を損なわないかという点に絞られます.あまり差がないのならシンプルレスト系を更に改良した上でメインにしますし,2号改を改良したこの6号が明らかに良い音ならそれをメインにしましょう. さて,どのような結末が訪れて来るやら楽しみです.こんな事を書けば,そのテストを何年も先延ばしには出来なくなりそうですね.
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■祖父が作ってくれた凧〜〜2007年10月20日 祖父は工夫の良い職人でしたから凧も上手に作れたのでしょう. 今私は孫の為にペットボトル風車を作っています.これははかないおもちゃですし10ヶ月の孫の記憶には残らない事ですけど,これから気が向いた時には何かおもちゃを作ってやろうと思います.
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■コーヒーじゃなくて紅茶〜〜2007年10月18日 何せ好きなので街に出掛けて昼食などレストランに入れば食後のコーヒーを頼みたいのですが,そこはぐっとこらえて紅茶を頼みます.シェフの監督のもとに出すコーヒーですから味は悪くないと思うものの,でもそれが裏切られた時の気持ちを考えたら及び腰になってしまうのです. ところが紅茶ならどこで飲んでも味があまり変わらないような気がします.本当の紅茶好きなら紅茶を味わい分けるウンチクがあるのでしょうけど,私にはそれがないので出された紅茶を飲んで”結構美味しかったね”などと言いながら店を出るのです. こだわりを持たないならばわずかな”違い”を決定的とも言える大きな落差には感じない鈍感さが物事の進み方をスムーズにします. ですからこだわりを沢山持っている人が幸せかどうかは何とも言えません.豊かな人生と言えば豊か.面白い人生と言えば,そうですね面白い.でも見方によれば不幸,好きなコーヒーが我が家でしか楽しんで飲めないなんて.
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■絵の前の子供〜〜2007年10月17日 今日は久し振りですが大分市での研修にかこつけて立ち寄ってみました.たまたま二階建てのその展示室内にはお客さんも従業員も誰もいませんでしたので,それを見計らって展示絵画を順番に見て行きながら家内相手に横山大観,橋本雅邦,奥山土牛,堂本印象などそうそうたる日本を代表する画家達の作品一つひとつに対して感想や批評を述べ始めたら止まらなくなりました. どの美術館でも普通なら必ず誰かがいますから感想を言いたくても押し殺して黙って見てゆかなければなりませんが,それまでの欲求不満を一挙に解消出来ました. 館を出て車を運転しながら,”今日は素晴らしかった,本当に良かった”と何度も言いました.これまでに経験した美術館巡りの中では,絵の前で子供になれた点で最高でしたよ.
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■DIY病そしてキャリーカート第二作目〜〜2007年10月11日 あるキャリーカートをネット上で見掛けて惚れました.先日オーダーして昨日カートが届きました.前回のキャリーカートはたまたま手元にあったものを利用して改造したのですが,今回はその目的でもって購入しました.これにコントラバス搭載用の部品を工夫して取り付けようと頭の中で設計図を描いては消しているところです. 話題を少し転じて,孫の為にペットボトル風車を作りましたが,これも他人の真似ではありません.これまたやがて第二作目を計画しています.これが出来たら気晴らしに娯楽室へでも展示しましょうか.
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■箱根山〜〜2007年10月10日 ”箱根の山は天下の険,函谷関もものならず,万丈の山千尋の谷,前にそびえ後方にそそる///” それが終われば十まで数えて上がります. 今また一世代繰り下がって孫におんなじ事をしています.30年経っても,まるで昨日もそうしたかのように自然に口をついて出てくるのです.”箱根の山は天下の険”
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■ちょっと変わったステージ〜〜2007年10月9日 そのステージではクラシック弦合奏の楽譜を加工/改変することなく,バイオリン属の楽器編成をマンドリン属に置き換えるだけでオリジナルのまま使って演奏する(演奏可能な曲の範囲が広がると同時に作曲家が書いた楽譜の質をそのまま維持出来る),少人数の合奏にして奏者の個性を埋没させない(このステージでは8人),コントラバスも奏者がつくる半円形の中に入って全員のアイコンタクトを確保し,緊密なアンサンブルを確保する(コントラバスも他奏者と全く同じ椅子に座って弾く)という考えのステージのようです.実際この曲ではソリストとコンバスの掛け合いが少なからずあるのでソリストの対面に座るのには大きな意味があります. たまたまそれは従来からの私の考えと大部分が同じなので,このステージがどのような印象を奏者と聴衆双方に与えるのかに大変興味と期待を持っています.
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■親近感〜〜2007年10月8日 あれま,同じような感覚の持ち主がいるのですね.その管理人さんに俄然近親感を持ってしまいました.いたいけな赤ちゃんと社会的な地位が高い人を同列に並べるおかしみをその人も楽しんだのでしょう. ずっと前ですけど,私と同姓同名の人をネットで見掛けてメールを出してご挨拶をした事がありますが,その時の親近感と似たような気持ちです.
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■相撲業界の体質〜〜2007年10月6日 特に強く印象に残った映像は,最初に北の湖日本相撲協会理事長が渡海文部大臣に呼び出されて謝罪をする場面. 状況が解らずにテレビを見た人は,文部大臣が何か悪い事をして相撲協会に詫びを入れているのかと思ったに違いありません.私は危うくそう思いかけました.日本の国技であって長い長い伝統を持つのだから何があろうと部外者のだれにも指図は受けないという体質を全身で表現しているかに見えるTVの中の北の湖,その雰囲気に気押される新米の日本国大臣.でも文部科学省は今に至るまでずっと相撲を国技と認めていないらしいのですけどねぇ. 相撲は興行であってスポーツではない,という見方.つまり観衆が興奮して沸けばそれで良し,興行である以上は真剣な勝負であるかどうかを問われる筋合いはないのかも知れません.確かに国技である柔道や剣道とは何か違いますね. もしこの殺人事件をきっかけに相撲の人気が落ちるとすれば,それは時津風部屋の責任もさることながら,それよりは相撲業界全体の体質の責任であろうと思われます.
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