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ときどき雑記2001年c

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2001/9/25
小泉首相は昨日アメリカへ発ちました. 私も,連邦検察局の要人とテロ対策の打ち合わせがあるのでシアトルからニューヨークへ遅れて回ります._そんな事をしたらテロシンパと間違われて逮捕されますね.それは止めておいてイチロー見物をしましょう.チケットが手に入りました.向こうからは子供のPCでこのサイトへアクセスします.更新は出来ないので掲示板へ書き込みになります.

新しいHPのファイル数は,内容が増えた訳ではないけれど既に今のHPを越えています.でもファイルはもうすこし増えます. そこで完成度の表示は私の感覚的な到達度と言う事にします.

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2001/9/24
最終ご報告 (山口大学マンドリンクラブOB会”懐かしコンパ”参加者へのご挨拶状)

OB練習会と懐かしコンパのテープ/写真をお届けします.

合奏は”笑って誤魔化す””弾けない所は口で合わせる,それもキャーとかワーとか飛んでもない音程で_”になるはずだ,と密かに予想を立てておりました.

どうしてどうして. 皆さん何と真剣だった事か,指揮者お二人の音楽に対する姿勢とお人柄が以心伝心,大幅に予想を上回る出来となり,ふと学生時代の合宿を思い出しました.

そして何より共に音楽するひととき,楽しかったですね. 試作ビデオを見ていて,皆さんが真剣に合奏しているそのお気持ちを推し量り,目頭が熱くなりました.

そう言えば昔,音楽が先かクラブ員の融和が先かという青い議論をしましたかね. この度の練習会はその議論への遅すぎる回答でもあるでしょう. これは余談です.

写真もビデオも実物も,額から下/あごから上だけ見ると皆さん昔のままですが,それに加えて上手に歳を重ねた風格を備えておられます. 歳月は無駄ではありませんでした.

コンパは物故者への黙祷から始まりましたが,時間が経つのが早い事. オイオイもうお開きか,未だ話しをしてない人が_. 二晩は必要だった(?)と世話人として反省しています.

さて,会計報告です.(中略)

今回,お世話をさせて頂いて本当に有り難うございました. 皆さんに心からお礼を申し上げます.皆さんから有形/無形のお力添えを頂き,本当に嬉しく思っております. この会は皆さん自身のお気持ちによって準備され盛り上がり成功した会でした.

そして若い頃に皆さんと知り合えて良かった,その上1/3世紀を経て再びこの様なご縁が持てて良かったと感謝しております. 有り難うございました.

いつかは必ず来る定年そして老後を迎えても,なお益々はつらつと生活を楽しまれるよう,又それに備えられる事をお祈り申し上げます. 

お忙しい中,又暑い中を遠くは関東/近畿からもご参集頂いて有り難うございました. 
        世話人     三好 俊典

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2001/9/23
若くして亡くなった田中君のお話をもう一つ.
彼は学生時代,チェックのスポーツシャツに紺色のカーディガン,黒っぽいズボンに黒短靴のスタイルを通し,服装が崩れる事はなく,大変真面目で地味な性格.コンサートマスターとして脚光を浴びるようになってもそれは変わりませんでした.彼のトレモロは大変美しく誰にも真似が出来ませんでした.先日の”懐かしコンパ”の練習会の後で彼の演奏をもう一度聴いてみたいという声が上がった位です.

私があの世に行く時は実はバスでなくギターを持って旅立ち,向こうで彼と”遙かな友に”を合わせようと思います.暗譜していていつも目をつぶってその曲を弾く彼と.

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2001/9/22
季節は巡って曼珠沙華が一斉に咲きました.
大学同期生のコンサートマスター田中君の音はその人柄のように柔らかい音でした.松江で合宿した時にアレンジした”遙かな友に”の二重奏曲は卒業後も二人のレパートリーであり続けました.卒業後の任地が私の家の近くだったので良く泊まりに行ったものです.付き合いは結婚後もずっと続き中津の我が家へも楽器を持って遊びに来て一晩中合奏もしました.

その彼はおよそ10年前病を得て帰らぬ人となってしまったのです.白くなった彼の顔を見ながら,メリメリと音を立てて私の青春の大事な部分が割き取られ,立っている私の足下に大きな穴が空いて私も一緒に落ち込んでゆく感覚を味わいました.野辺の送りを済ませて帰る道すがら,田毎のあぜ道に咲く曼珠沙華の真っ赤な色が強く私の心を打ちました.それからというもの,この不思議な咲き方をする曼珠沙華を野に見るたびに彼と過ごした青春時代を思い起こすのです.

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2001/9/21
月を愛でる
中秋の名月のシーズンになりました. 完全無欠を好まない日本人の美意識にしては珍しく,空気の冴えたこの時期の満月を愛でます.お月様の存在そのものが,かげりあるからでしょうか.お日様は愛でませんね. 梅雨が終わってさんさんと照りつけるお日様を<盛夏の名陽>とは言いませんものね.20歳から30歳台は<盛夏の名陽>は大好きだったのですが.

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2001/9/20
犬猿の仲
聖徳太子が”和を以て尊しとなす”と書き述べた言葉は農耕民族でもある日本人のお気に入りで,今でもあちこちの企業のモットーになっています.然しナアナアマアマアのぬるま湯環境にもなりやすく,問題があっても隠してしまう風潮を醸し出しています.そこで私は犬猿の仲の組み合わせをわざわざ創り出しました.本当に取っ組み合いを起こさないように,片方には目隠しを,他方には猿ぐつわをかませたのです.そうする事で実害を避けながら全体に良い緊張感を生み出す事が出来ると思うのです.

一体全体何の話だ?

えー,申し訳ありません.HPの配色の話なのです.どのページもわざと反対色を使ってみました.目隠しと猿ぐつわの隣り合わせで_.

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2001/9/18
アドバイス
トップページについて,再考したデザインがうまく実現出来ないので友人にアドバイスを求めました.彼のアドバイスは,構造的な部分の命令文を,今と違う手法で試みる事,行き詰まった命令文を書き換えるなら部分訂正でなく一から書き直す事,そして中途半端な認識だった"relative"という構文の意味をはっきりと教えてくれた事.

帰ってからやってみるとサクサクと作業は進み,あっという間にやりたかった通り,そしてやり直したかった通りのトップページが出来上がりました.持つべきものは自分より上の友人. 感謝.

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2001/9/17
料理店で
フランスへ行ったとします. 腹が空いたので一軒しかなかったレストランへ入りましたが,ここが頑固な店で,食事をするなら注文書を書けと言います.しかも調理法まで指定をせよとの事,フランス語は全く知らないのに:::.しからばと文法書や辞書を片手に注文書を書きましたが,単語のスペルが違う,果てはピリオドとカンマを間違えているとまで難癖をつけ注文書を受け付けてくれません.そこで空腹感を満たす為には正しいフランス語の注文書を書き上げるしか他に方法はないのです.

賢明な読者の皆さんは私がここで何を言いたいのかお判りでしょう.HPを作り上げる為の命令文の事です. 土日の二日間,進むどころか退歩してしまいました.一度は色とバランスを含めて完成して表示もされているものなのにトップページの命令文は一からやり直す事にしました.画面サイズが少し位違うPCでも意図した通りに表示される為に.

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2001/9/15
一旦決めたトップページのデザインへ,作業は再び戻って細かく追い込んでいます.細かい点までを含めればもう二十回は描き替えています.一旦諦めた或るアイキャッチポイントはどうやら実現出来そうか?希望を持って再びトライしています.

現在のHPのテーマ色は青/緑/ベージュの三色ですが,新しいHPはそれにサーモンピンクがかった赤を加えて四色にしました.色々な所でこの四色を使います. ベージュはどんな色にも良く合います.これに気付いたのはシドニーオリンピックの入場式.各国のユニフォームを眺めていて,鮮やかなカラーを落ち着かせているのは黒,中和しているのはベージュだったのです.

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2001/9/13
今日国際免許が手に入りました. でも向こうで運転するつもりは全くありません.もしレンタカーを借りても運転は子供にさせるだけですが,万一に備えて. それは良いとして,選んだ時期が悪かったようです.まさかこんな事態が起きようとは思いませんでした.

アラブの子供達がテロ成功の報に手を打って喜んでいる映像を見て複雑な気持ちです.恨みを持っている相手を殴る側は溜飲が下がり,殴られる側は痛みと新たな恨みを覚える_.世の中,自分の座標の取り方で景色の見え方が全く違います.それは日常茶飯事で当たり前の事ではありますが,やりきれない.全くやり切れません.

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2001/9/12
テロ
昨夜アメリカで起きたテロは大規模でした. 本当に痛ましい事件です.一般人を大量に殺し経済を麻痺させようとする今回のテロの卑劣さも大掛かりです.過去から現在に至るまで一般人を巻き込む事を前提にして相手にプレッシャーを掛け,取引したり自分の主張をする事件は数限りなく起きていますが,この種の事件が更に増加し,エスカレートする事を恐れます.

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2001/9/10
手順
日曜日は一日掛かって見開きの一ページを作りました.たった一つの命令文の間違いを見つけるのに一時間以上も使うこの苦労!
HP製作の第一段階はコンテンツ作り,これは現HPの資産を引き継ぐので問題なし.第二段階はページレイアウトとデザイン,私はこれをCADでダミーページを作って確認します.車をデザインする時のモックアップと同じ考えです.次は実際に使う部品作り. 決めた通りに形を作り色を付けて保存.それが済んだらフレームを作って部品をはめ込んでゆきます.今はこの段階です. ちなみに私のHPはフレームで画面を小さく区切るのが特徴です.

その次はそれにコンテンツを流し込んでゆきます.トップページ以外はどれも同じフレームを使いますから,今日の作業は大きなポイント,後はほゞ機械的に作業は進んで行く事でしょう.最後の一歩手前がリンク張り. 最後は無駄なファイル,意味のない命令文のチェックと全体の動作確認.HP製作ソフトに任せてしまうと無駄が発生することがあります.昨年HP上の無駄を全部取り除いたら何と3割も軽くなりました.それ以来製作ソフトを全面的には信用していません.

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2001/9/9
子供の感性
ある分野のある芸術作品が優れているかどうかを,門外漢が判別出来るかどうかは,分野によって異なるでしょうか.公平を期する為に,自分を感性が特定の分野に開花していない小学生であると仮定して考えてみました.書道/絵画/音楽/演劇/文学_. 一番解り易いのは演劇でしょうね.次が音楽. そして絵画/書道/文学と続くような気がします.音楽は解り易い部類でしょう. それも会場で生で聴くものが.

大人になれば芸術とは理解するものなり,と妙に構えてしまって楽しめるもでもいちいち考え込んでしまうのでいけません.特にクラシック音楽はその傾向が強いようです.理解は音楽の先生にお任せして,我々は子供のように心で聴くようにしなければ_.逆に言えばコンサートで一番怖いのは子供ですね.会場で子供が騒ぐ音楽は未熟と言えそうです.

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2001/9/8
今日も飽きずにHPの話です.
予めCADで作った通りのデザインで表示されるようトップページを手探りでほゞ書き終えました.呪文のような命令文を書き込み 然るべき数字を書き加えてから,Internet Explorer に切り替えてその結果が意図通りのものになったかどうか画面で確認する,そんな作業の繰り返しです.スタイルシートのお陰でHTMLだけで書くより少し見栄えが良く,javascriptのお陰で整理されたデザインになりそうです.然し一個所だけは意図したデザインを実行する方法がないようです.

命令文は参考書3冊と首っ引き,それでも解らない所は友人に聞いたり,このHPで相互リンクを張っているmakiさんにも教えを乞いながら書いています.一寸先も見えない暗闇のはるか前方に薄明かりが差してきた心地です.

次はサブトップページの音楽ホール設計図の表示に取り掛かります.ここでも未だ自分の知らないテクニックを調べて使わなければなりません.

この作業の為にあちこち不義理が積もって来つつあります.B型人間の悪い癖,思い込んだらまっしぐら, 止まりません.

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2001/9/5
毎日日記
気が付けばお盆の15日から,ときどき雑記はお休みなくUPしています.
HP開設当初から見れば,本当に筆まめになりました.私は小学4年生から大学生2年生までの間,日記を付けていましたが平均すれば10日に一度.ひどい時は半年に一日. だからこんなにしげしげ日記を付けた事はありません.この歳で意外な自分の発見. もう<ときどき雑記>の看板は外しましょうか.<毎日日記>とでも? いやいや,止めておきます.いつつまずくか将来は予測出来ません. でもこのコンテンツがあるお陰で注意深くものを見るようになったのは確かです.何か面白いものはないか? 一つだけ残念なのはこんな習慣をつけてもバスが上手にはならない事.あぁ,日記でバスが上手になれたら! 師匠,その方法があったら教えて._馬鹿な事を!

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2001/9/4
バス的人間
題名のない音楽会でいろいろな楽器の奏者のイメージを取り上げていました.バイオリニストは陰影がありユニバーサル,ビオリストは渋くて待ちに強い,チェリストは優しく包容力がある,バシストは泰然自若で唯我独尊,マイペースで客観的とのことです.勿論面白おかしく番組を仕立てる為のお遊びですが,各パートが占める音楽の中での役割と音色に大まかな特色があり,そのパートを受け持つ事によって音楽上のそんな立場を受け入れている訳ですから長年の内に立場が人を作っている事もひょっとして.

<泰然自若>は楽器が大きくて丁度象のように小回りが利かないイメージから,<唯我独尊>はオーケストラの中で右奥の辺境の地に砦を作ってたむろす悪党に見えるからでしょうか.マイペースも同じような理由. <客観的>は高い位置から物理的に全体を見下ろす事が出来るからでしょうね.皆さんご自分を振り返って如何ですか,でも所詮どっちでも良い事ですよね,気にしない.

でも本当にいつか悪党になってステージで演奏中,床で車座になってバスパート,酒盛りしてみたい.

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2001/9/3
石田知世ちゃん
お話しは昨日の続き. 石田さんの一粒種,知世ちゃんは中学一年生です.彼女は形に対する感性/才能に大変恵まれています.私は小学校4年生の時にそれに気付きました.ご両親を除けば私が第一発見者の栄誉を担って_いるのなら嬉しいですが,果たして?石田さんの所へ行くのは彼女の新作を見る事でもあり,楽しみです.彼女は自分から作品を見せてくれますが,既に作品は<自分の観点>を持っているのです.彼女の人生の目標はお医者さんか薬剤師なので,一寸がっかり.気を取り直して,それを副業にして本業を芸術家にすれば?と両親をさておいて厚かましいアドバイス. 芸術では食べて行かれない_と意外な現実的発言を彼女から承りました.

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2001/9/2
リビングチェア
バス椅子を製作してくれた石田さんから電話が入り,私が構造とデザインを示して製作依頼していたリビングチェアの試作品が出来たので受け取りに行きました.私が考えた構造は,体が当たる部分はロープ製.柔らかく体に馴染み,緩んでも又締め直す事が出来るものとしました.

でも石田さんはロープで椅子を作った事がなく,試作品はおよそ1年掛かってしまいました.バス用以外の椅子をデザインした事がない私こそ自信がありませんでした.で,この試作品をしばらく自宅で使ってみて微妙な寸法の検討をして後に4脚作って貰います.

これと組み合わせるデスクは以前にやはり私のデザインで石田さんに作って貰ったものです.これは一寸アイデアをひねって脚を根元から取り替える事が出来るようにし,冬はこたつに使うのです.その為に脚は長短二種類作って貰いました. 取替が利くとは言えしっかりした構造です.天板も同じナラの木ですが,石田さんは強度を増す為にへりを分厚く作ってくれました.その落差5ミリ,それを見てガラス屋さんに丁度はまりこむ5ミリガラスを寸法に切って貰い,狙った以上の効用が出ました.

私を自作派と思っておられる方,私は何が何でも自作をしたいのではありません.要は機能とデザインに納得が行き,長く使えるものがリーズナブルに欲しいのです.私の製作で不細工になりそうだったらデザインを示してプロに作って貰います.自信が持てれば自分で作ります. それらを満たしている物を店で見掛けたら必要と思えば迷わず買います.町で気に入る物は多くはありませんけれども.

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2001/8/22
卑弥呼2”刷り込み”
今日も卑弥呼のお話です. まだ幼かった卑弥呼に初めてのボーイフレンドが出来ました. 気だてが良くおっとりとして丸々太った若いキジ猫です. 我が家の芝生の上でじゃれ合っても卑弥呼のなすがまま. 卑弥呼の大のお気に入り猫でした. 鈴の音と共にやってくるので我が家で勝手にリンリンと名付け,迎え入れていたその猫はやがて転宅したのか見掛けなくなりました. その後,美人猫の卑弥呼を我がものにしようと,ふてぶてしい茶色の虎猫や狡猾そうな黒猫などが繁く訪ねてきますが,ことごとく怒って追い散らすだけ. でもリンリンに姿が似たキジ猫にだけは心を許します. 時が経っても卑弥呼のハートにはいつまでもリンリンの姿が刷り込まれていたのでしょう. やっと目が開いたばかりのよちよち歩きで我が家に迷い込んでから死ぬまで僅か1年半,なのに沢山の思い出を残して逝きましたから十分に生きたのです.

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2001/8/21
卑弥呼
我が家に卑弥呼という拾い猫が住んでいました. とても活発で鼻っ柱のつよい冒険家. 庭先の軒に垂直に近い角度で立て掛けた梯子,それも鉄製で狭くて滑りやすい,しかも業務用なので一段当たりの落差の大きいステップを,何と上手に用心しながら上り下りするのです,多分冒険心を満足させるだけの為に. ある時は近くの子供が注進にやってきました.”おばちゃんとこのによく似た猫が,うちの軒先の鳥籠にぶら下がっていたよ” いつも捕っている雀とは違う色の鳥はどんな味か試したかった卑弥呼の気持ちは解るけど,どうやって飛び付いたのでしょうか. 兎も角行動範囲が広く向かう所敵なしの猫です. ある日,間に合うと自分を信じて車の前を横切り,失敗してしまいました. 外傷はなく昼寝しているようでした. 今は近くの山の頂上近くで眠っています.

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2001/8/18
”OB練習会/懐かしコンパ”に参加した皆さんから届いたメール抜粋
■ 大半の人が後半は手を痛そうにしながら合奏をしていましたが,とても楽しそうにしておられたのが印象的でした.
■ ”お金を貯めて,30万円くらいのマンドリンを買うといいかなあ〜”と,頭の中にちらちらと思いが覗いてくるような気がしますのよ.だれかさんが,ポーンと石を投げてその輪が広がっていくのかも.
■未だ興奮さめやまず余韻にふけっております.
■付き添いの女房も"生演奏"を聴いて,感動していました.
■あんなに沢山の仲間に合えたなんて,本当に楽しかった.又やろう.
■ _感動的なひとときを設定して_
■欲も得もなく,上下もなく,18歳にもどって心の底から笑ったこの夏最大のイベントを終えて,今,もう一度音楽を始めたいと切にのぞんでいます.
■ 当日は,みんなが主役で,みんなが幹事の気分でいられたと思います.
■ 1週間近くたちますが,まだ余韻が残っています.音楽を通して知り得た仲間の響きだと思います.

現役で音楽をしているHP訪問者の皆さん,生活の中から音楽が薄れ掛けている昔の仲間の為に,何か企画されてみては? 誘われた皆さんもこのように喜んでくれますが,それに増して一番喜びが大きいのは発案者ですよ.

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2001/8/17
終戦記念日
8月15日は終戦記念日と言われています. 耐え難きを耐え,忍び難きを忍び_という天皇の玉音放送が行われ,英米ソによる戦後処理に関するポツダム宣言を無条件で受け入れた日です. 私は終戦記念日というネーミングに疑問を感じています. いささかの曖昧さが含まれているからです. 取り繕いと言っても良いでしょうか. この日,日本は公に負けを認めたのです. 単に戦いが終了したのではなく,敗戦が確定したのです. ですから”敗戦の日”というのが最もふさわしいと思います. ”記念日”というと結婚記念日とかの賑々しさをイメージし,少し場違いな感じを受けますから”敗戦記念日”というのは変ですね.

事実を事実として淡々と認める姿勢は歴史を眺めるのに必要な事です. それら個々の事実の集合が,大まかに見て何を指し示しているかを感じ取る事によって歴史観が抽象されます. 然し一般に歴史的事実には摩訶不思議な面があり,視点の座標をどこに求めるかで見え方が随分違ってきます. ちょうど円錐みたいなものです. 上から見れば丸,横から見れば三角ですよね. これを三角と主張するのもある面では正しく,丸と言い張るのもあながち間違いではありません. しかしそれらは円錐の本質を説明するのに舌足らず. それを知らないで言うなら認識不足,知った上で片方だけを主張するなら何と言えば良いでしょうか. 大きな口を持つ時には先ず大きな耳と目を持ち,更にそれを他から左右されず偏見によらないで受け入れる涼しい頭を持つ必要がありそうです.

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2001/8/16
OB練習会と懐かしコンパ
私の出身クラブ,山口大学マンドリンクラブの1/3世紀振りの練習会と懐かしコンパを12日から13日に掛けて行いました. 33名の人達が古巣山口に集まり,昔やった曲の練習会を当時の指揮者2名にお願いしました. 最初の音を聴いた時は”この企画はマズかったか”と思いましたが,皆さん見る見るうちに勘を取り戻し,兎も角録音のし甲斐のある合奏になって,昔取った杵束は朽ち果ててはいないのは流石でした. 引き続きのコンパは昔もよく使った旅館で,夜遅くまで盛り上がりました. 皆さん立派になって夫々上手に歳を重ねておられます. この企画は大変喜んで頂き,お世話のし甲斐があったと胸を撫で下ろしているところです.

単に昔を懐かしむだけでなく,これをきっかけにやがて来る老後を豊かに過ごす為に若い頃夢中になった音楽を再び生活の中に取り入れて頂ければ_との願いをこの企画に込めましたが,それはきっと通じている事でしょう.

この企画の下敷きになった広島の”懐かしコンサート”(マンドリニスト控室内”懐かしコンサート”に詳述)に関わった人達にもお礼を申し上げます.

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2001/8/9
言っても仕方のない言葉.
”お前,猫背だなぁ”  チンチラまがいの拾い猫”バスちゃん”に向かって.
”お前,上手にならんなぁ”  バスを弾くみーさんに向かって.

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2001/8/7
OB会も残すところ後5日となりました. 選んだ合奏曲の内,川崎貞利作曲の”山峡”は原曲にバス譜がなく,通常どの団もアレンジしたものを加えています. ギターの最低音をなぞってバス譜に移す事が多いのですが,楽器の運指上の必然から作られた音をそのままバスに移すと,ぎくしゃくしたメロディラインになってしまいます. そこで新たにバス譜を作り,今日譜面に仕上げました. バシストにとって面白く,聴いても面白い為にどうあれば良いかの試案です. 家内に聴かせると”バスばかりが目立つアレンジじゃないの?”との感想でした. Pizzは使わずspicatoを多用し,アンダンテではハイポジションも出てくる,マンドリン音楽のバスとしては一寸挑戦意欲の湧くアレンジですから仕方ありません. 後は合奏の中でバランスを取りながら弾けば,と思うのです. もう一曲バス譜のないロシア民謡では,ギター譜をみればアレンジは不可能,黙ってギターの親指に従うしかないようです. これはギター譜をそのまま見ながら弾くつもりです. ギターを丸まんまバスとして機能させている作り方のものは手の加えようがありません.

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2001/8/6
小銭入れが出来上がって届きました. 職人さんとの話の中で私の計画とは異なって,皮は牛革でなくオストリッチに,イニシャルも入らないものになりました. 私のイメージは出来上がっていたので,何だか町で買ったもののような気もしないではありませんが,でもデザインは間違いなく私のCADから生まれたものです. 落とさないように,なくさないようにして長く(出来たら一生)使おうと思っています.

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2001/8/5
命名
子供に付ける名前に流行があるようです. 私達の年代では生まれたのが戦中ですから,東洋,勝利,征行などアジアを眺めた名前/勇ましい名前が主流でした. 少し前は外国人や外国の単語を連想する名前,最近ではパステルカラーを思わせる名前(雰囲気,解りますよね)が多いようです. お中元を買いに贈答品屋さんに行きましたが,出産内祝いの受注一覧表が店内にぶら下げてあって,新生児の名前の傾向がひとめで解ります. 買うのを忘れて見入りました.

人の名前なんてものの最低要件は本人だと特定する為の符号であると言う事です,何でも構わない. でも折角付けるのなら良いイメージを持つ字/読み違いをされにくい名前/誰でも直ぐ解る字/書きやすくバランスの良い漢字/姓とのつながりの良い名前/発音しやすい名前などを考慮して選びたいです. 私の名前は俊典と書きますが,トシノリと読むのではありません,トシスケなのです. 姓と一緒に読み下した時に発音しずらいこともあって符号としてはいまいち. その名に隠された親の願いはあるものの,小さい頃長い間嘆きました. そんな事から,いざ自分の子供に名前を付ける時,二回とも悩み抜きました. 何か出典があれば良いかなと論語/孟子を読みあさり,果ては電話帳を最初のページから繰ってみて,結局自分で考えた名前を付けました. 誰でも読めて絶対に読み違えされない名前に. なにせ符号ですから.

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2001/8/3

PCの中で選べる色は1677万色だそうです. これは一つの色についてですから,例えば5色の組み合わせを考えようとすれば可能性は1677万色の5乗,つまり3895兆弱の組み合わせのバリエーションがあります.(計算の正誤?) 気が遠くなってぶっ倒れそうなバリエーション数です. ぶっ倒れないように健康も考えて,ある程度色目の範囲を絞り込んでから選定作業を行いました.(例えば背景色はモスグリーンかブルーの中で濃い色から選ぶとか) 音楽に心理学があるように,色にも心理学がありそうです. そして当然色彩学もあってマンセルの色立体から来る理屈などなど,考え出したらやっぱりぶっ倒れてしまうのです.
再度起きあがって,作業をまとめます. 最終的にはトップページ全体の雰囲気が,そのHPの持つ雰囲気や管理人の気質までを表す事が出来れば成功なのですが,多分微妙な色の調整については最後まで迷い続けることでしょう. 仕方ありません,色に迷うのが人生ですから.

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2001/8/1
劣等感
得がたい宝物. それから目をそらすのはもったいない. 小刀で劣等感を削って劣等観音でも作り,床の間の掛け軸の前とは言わないけれど,違い棚の隅にでも飾って置くべきです. 少なくともしょっちゅう自分の目に触れる場所に置いておくと,きっと霊験あらたかだと思います. それと正対する気持ちがなければ,逆に主人の価値を低めようと躍起になるのも劣等感の持つ特質でしょう. 劣る部分の自分を世間と自分自身とから隠そうとすると,その為に嘘をつかなければならなくなり,それに辻褄合わせをする為に更に_と際限なく落ちてゆく事になります. 隠さないまでも放置したままにするのもどんなものでしょう. また,威張るのや,必要がないのに間違ったTPOで自分を誇示する,これも劣等感の誤用ですね. でも正しく付き合えばこれほど力強い味方はありません. 皆さん,劣等観音を作りましょう.

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2001/7/28
ある教師の叱り方
その教師は大学を出たばかりでした.担任した小学4年生のクラスの雰囲気は明るかったけれど,兄貴のような先生に気を許してか,時に収拾がつかないほど騒々しい事もありました.ある日,あまりの事に彼は一罰百戒の意を込めて級長を教壇の前に立たせ,しーんと静まった皆の前でその子をはり倒したのです.さて一日が終わり,校内放送でいつも流れる蛍の光を聞きながら,教師はその子に居残るように言い渡しました.その子はどのような説教が待ち受けているかとおののきながら一人残りました.やがて教師はオルガンの前に子供を立たせ,<三好,歌え>と浜千鳥を弾き始めました.昼間の事について何も言わない教師をいぶかりながらも仕方なく歌い始めました.青い月夜の浜辺には親を亡くして啼く鳥が_歌い進むにつれ熱いものがこみ上げて来て,歌い続ける事が出来なくなりわんわん泣き出しました.どんな説教を受けるより<悪かった>と心から思えたのです.教師はそのまま<よし,帰れ>とその子を家に帰しました.
教師の名前は花田先生,忘れる事が出来ません.

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2001/7/23
駒削り
昨日は私の生徒さんが買った新品バスの駒を調整しました.弦高をノギスで計ったらGから11ミリ,12ミリ,14.5ミリ,15ミリでした.高過ぎる.半日掛かってそれを6.8ミリ,8.6ミリ,10.4ミリ,11ミリまでに弾いてみては少しずつ削って行き,糸枕の溝も少し掘りました.オイドクサを張るのなら広めに掘るのですが,(金属弦からオイドクサに張り替えた皆さん,ここのチェックをされましたか?)所有者が使いたくなった時にすれば良いか,と幅はそのまま.

弦を低くすると弾き易くなりますが音は僅かダルくなります.どちらを取るかと言えば勿論弾き易さです.自分用だったら更に低くする所ですが,所有者が今後どのような弾き方をしたくなるかが解りませんからこの高さで仕事を終えました.

新品ですから調整は気を遣います.緩めたエンドピースで表面板を痛めないようにタオルで巻く,駒の足裏のゴミを取り,駒を出来るだけ表面板上で動かさないなど.駒を外すには<魂柱起こし>が必需品です.案の定,魂柱が倒れてしまいました.”楽器修理工房”で書いたように魂柱の位置を,表面板/裏板共に鉛筆で印を付けておいたので(思った通り,表面板の裏に印を付けるのは子供用のコンパスと腹内鏡が役に立ちました)慌てることなく魂柱を正しく元の位置に立てる事が出来ました.新品の駒の足裏はさすが綺麗に削ってあります.どうやらナイフで削ったものでなく,機械で仕上げてあるようです.この足裏削りは今のところ私では出来ません.この部分の削りは,使う道具にアイデアは暖めているものの,まだ試した事はありません.

”楽器修理工房”で書き忘れた事があります.修理が終わって駒を立てる時はD/Aを先に駒溝に納めて,駒の位置を確認します.上下左右の振れ,及び表面板となす角度を修正してから残りのG/Eを張ります.また,エンドピースの緒留めが定位置にある事も確認しておく必要があります.

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2001/7/21
<戦後>と名付けられた時期の様子
1)幼稚園の頃,母に連れられて大阪十三にある叔父の家に行きました.多分終戦の翌年の事です.その家には風呂がなく,銭湯に行きました.銭湯は外から見たところ変わった感じはありませんでしたが,中に入ってみると何とびっくり,屋根がすっぽりなかったのです.爆撃を受けて崩れ落ちたままだったのでしょう,星を見上げながら湯を使いました.大阪なのにはっきりとした綺麗な星でした.私の一番古い記憶です.
2)私の通った小学校は国道に面していました.だから占領軍(進駐軍と言っていました)が部隊移動の為に十輪(兵員輸送トラックのこと,タイヤが10個ある)やジープが長い長い列を作って通りました.そんなアメリカ兵に向かって<キャンデーくれ!>と手を差し出していたのです.
3)ほとんどの物資は配給制でした.コッペパンは券パンと言っていました.各家庭にバスの切符のような券が渡され,券と引き替えでした.お金では買えなかったし,貰える量はそれで決まっていたのです.誰も皆おなかを空かせていました.
4)蒸気機関車の引っ張る,煙草と煤塵のにおいのする列車には必ずと言って良いほど白衣を着た,足や腕のない傷痍軍人が寄付を乞うて箱から箱へ渡り歩いていました.その中にはアコーディオンで,もの悲しい軍歌を歌ってお金を集める人もいました.

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2001/7/19
自己満足のレベル
苗村さんという人がいます.ナムラさんと読むようです.長いキャリアを持つ,天体望遠鏡のレンズを磨く職人です.テレビでお話をしていましたが,やっぱり仕事に出来不出来があるそうです.しかしクレームが付いた事は過去一度もなく,自分の世界の中での話であって,それは他人に解らない微妙な次元での事.だからその人の自己満足のレベルは大変高度なのでしょう.10日も20日も掛けて一つのレンズを手で磨くのだそうです.毎日平静な気持ちを持続させながら只ひたすら単純に磨き,けれど何十年の経験から来る職人技をそのレンズに込めるのです.機械では<今無理な磨き方をしている>という判断が出来ないので,人間技の方がいいんだそうです.ところで職人がその道を極めればどんな分野の人であれ,ほゞ例外なく素晴らしいお顔になるようです.それは自分をお金で裏打ちしようとする顔でなく,自分の技の自己満足だけを求め続けたすがすがしさなのでしょうか.

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2001/7/17
<みーさんの音楽ホール>コンセプト
ホールの平面図を作り,それをそのままトップページの案内図に使う計画です.折角製図するならば,実現性のあるものにしようと思います.私がみーさんと言う人から設計依頼を受けたと仮定してこれから設計に入りますが,いつものことながら,コンセプトの確認から始めます.依頼者であるみーさんと設計者であるみーさんとの話し合いで事を進めてゆきます.

☆設計コンセプト
■規模/経済性/目的
少人数でゆったりと使う事を目的とする.即ち出演者は30人程度までの音楽団体を想定.収容人員100席内外.
経済性/収益性を度外視した室内音楽専用ホール.
■自然との関連
ホールは遮音の為に鞘構造(二重構造)とするが,窓を効果的に配置し,出来るだけ自然(外界の光と緑)を感じさせること.又,ロビーは付属庭園と一体感を出す.
■ 付属室
”音楽そしてコントラバス”のサイト内にある室のスペースは全て確保した上でホールとして必要な室を付け加える.
■ 館内の通行
客席以外フルフラット.主要通路はバシストがすれ違えるよう2m幅.

☆主要規格
■ 構造/内装
木造(梁/小屋組は積層合板).内装壁/天井は各々小径木と漆喰の組み合わせ,床はコルクと絨毯.残響特性は少し長目.
■ステージ回りの設備
ステージ床は36ミリ厚小幅桧無垢板材.エンドピン突き刺し可.
最小限のステージ用白色照明及びスポットライトを使い,PAなし.小型の録音機材あり.
音響効果を上げる為に緞帳なし,従ってステージ上部の緞帳収納設備なし.ステージは常に観客にオープン.
最前列床はステージより40センチ低,最後部床は2m高.客席は階段構造.
客椅子は肘掛け付き独立型.
■ その他
その他の設備は常識的な範囲で考慮する.

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2001/7/13
音楽ホール
野田さんと電話でお話した時に,用件を外れて雑談が始まり,ホームページが話題になりました.野田さん曰く<CADでこの音楽ホールを描き,それを案内図に使ってみては?><それ頂き,やってみましょう>
小さい音楽ホールなら,注文はないのに一寸考えた事があります.”みーさんの音楽ホール”でも改めて設計してみますか.余りスクロールしなくて済む小さいものを_.そう,100人も入れば一杯になりそうな.ロビーも居心地の良いものにしてと_.建設一周年記念日あたりに.うーん,よし やりますか.

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2001/7/2
禿げ頭
先日,出身大学の在九州の同期生が福岡で16人集まりました.つるっぱげに近い頭は私くらいのもの, まだ皆の髪の毛はしっかり頭に食らいついています.中にはその量といい,艶といい,頭はまるで30歳としか見えないラッキーな男もいて,<自前の毛か?>と羨ましがられていました.
父は今の私の歳頃に,鏡を見ながら<昔ゃ毛がふさふさしていたのに>と薄い髪の毛を大いに悔やんでいました.
私は<丁度私に似合っているほどの髪の毛がある>と思っていますので悔やむどころか,自分で髪の毛が薄い事を冗談にしています.ちょっと困るのはジムでトレーニングする時に汗が髪の毛に吸われて蒸発することなく,目を目指して滴り落ちて来る事.これには敵わず,タオルで頭をぎゅっと縛ってやっています.不思議に思うのは散髪料金に差がないという理不尽.散髪屋さんの儲けは禿げ頭の客から生まれているのでしょうか.


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