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音楽そしてコントラバス・トップ>管理人室>このページ ときどき雑記2003年c
* 楽譜ソフト〜〜2003/9/29
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悪しき平等〜〜2003/9/28 この決定は如何にも優しい人道的な判断のような顔をしていますが,その実は金太郎飴のようにおなじような低レベルで粒のそろった人間を製造しようとする決定かも知れません.足の速い子が年に一度きらりと光るチャンスを奪ってしまうのですよ. 単にリレーがなくなっただけの単純な話だとは到底思えないのです.この話は間違いであって欲しいです.
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慰問演奏〜〜2003/9/21 老人ホームではざっと50人弱の観客でしたが,熱心に聞いて頂き感激しました.老人ホーム訪問演奏は癖になりそう.
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新しい楽譜が届きました〜〜2003/9/18 仕事に時間を取られる事態になった時にしたい事が色々と出来てくるもので,困った事です.だから,しばらくはトーンダウンして我慢がまん.
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笑い〜〜2003/9/16 何についてそんなに笑っているのか知らん.その家に不幸は決してやって来ないでしょうね.
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礼〜〜2003/9/13 さて,出場者が勝負にこだわらなければ見ていて面白くも何ともありませんが,こだわりすぎて対戦相手への”礼”審判への”礼”観客への”礼”をすっぱり忘れてしまっている試合を見るのは砂を噛むようなものです.むしろ外国選手の方に”礼”の心を感じたりします.
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書き直し〜〜2003/9/11 やがて楽器修理工房の小文を全廃し,新たな観点から書き直しをするべきかも知れません. 自分で楽器メンテする事を積極的に推奨するのではありませんが,世のバシストで信頼出来る楽器職人さんが身近に居ない と言う方は大勢おられるでしょうから,その方達が例えば年一回楽器持参ではるばる楽器工房を訪ねるのだけど,それまでのメンテナンスはご自分でしなければならない,と言う状況を仮定してそのメンテ方法を考える,というスタンスで目的別メンテキャリア別に順序を追って書いてみたいなと思います.実は今回の魂柱自作も全くもってそのような動機から生まれたのです. でも書き直しはかなり先ですね. もっとも,私が自分の楽器に対して実行している事を公開する,というスタンスですからフラットバックの楽器の為です.ラウンドバックだったら難しさは3倍にも4倍にもなるでしょう.
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火事場の馬鹿力〜〜2003/9/8
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スニーカー〜〜2003/9/7 歩く時に気を付けているのは,1)ちゃんと足指で地面を掴むこと,2)体重の移動につれて受動的に足を交互に出すのではなく,オールを漕ぐ感覚で常に足の筋肉を動員する自覚を持つ,特に最後は親指の付け根で地面を後方に押し出すこと 3)頭は天からつり下げられているつもりで歩く 家内のお供をしてスーパーを歩く時でもこんな歩き方,変わった奴ですね.
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成長〜〜2003/9/5
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UP〜〜2003/9/3 ブラウザには性格があるようです.少しぐらいの不正はおおらかに飲み込んでどうにかしてくれるもの,一点一画を取り上げて厳密な判定を下すもの. どうして動くようになったか良く解らないまま,うまく動作している良い例をコピペして動作するようになった箇所がありますが,今思えば”””を全角で打ち込んで拒否されていたのかも知れません. Macでは全体にわたっては動作確認が出来ていません.Macのお古でも貰ってwin機で打ち込み,Macで確認という究極の方法を取るべきかも知れませんね.
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チャドクガ〜〜2003/9/2 翌月曜の昼間はどうという事がなかったのにその夜また又かゆくて堪りません.こらえきれずにお医者に行きました. 我が両太ももを見て,この斑点が青かったら小さい頃夏の夜に庭から見上げた,透き通るように美しい星空そっくりだと思いました. どうも私はロマンチストのようで….
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半完成〜〜2003/9/1 win版のネスケ(netscape navigator)で読める文字に制限があるようです.位置を示す言葉に”top”[bottom”があって画面の上下どの位置にアイテムを置くかを設定する言葉なのですが,ネスケでは”bottom”を認識しません.”bottom:4%;”と書いてはアイテムが動かないのです.同じ意味の”top:96%;”と書き換えてやって動くようになりました. 致命的なのはトップページ中央に紙芝居を置いていて,その紙芝居をめくるとコンテンツに飛べる画面になる仕掛けをjavascriptで作ったのですが,これは紙芝居をめくるボタンさえ表示されません.のっぺりした板が見えるだけです.これはショック. またwin版ネスケで 館内の案内図はリンクが作動していないようですが,新しいバージョンではちゃんと図面上をクリックすると該当室へリンクするようです. さて,Mac+ネスケでどう見えるか.私にこれを見る手だてがありません.皆さんからのご連絡によって対応を考えるしかありません.その節はご連絡どうぞよろしくお願いします.
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統一してよ〜〜2003/8/30 今回もそうです.題字がバラけるのです.で,今回も字は画像にしてしまいました. 現在のトップ画像は立体感がありますが,次期バージョンでは平面的です.特色はトップページに紙芝居を持ち込んだ事でしょうか. お楽しみに,もう余りお待たせしないでしょう.
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カウントダウン〜〜2003/8/28 目先の新しいコンテンツとしては”バージョン情報”コーナーでこれまでのバージョンのページデザインをお見せします. 撤去するコーナーは”ホールの仕様””お役立ちソフト”.合併するのは”休憩室”と”娯楽室”,それと控え室三つをまとめて”奏者”として入り口を一つにします.
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考え抜く〜〜2003/8/ 27
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住宅の構造〜〜2003/8/25 住宅の構造も今後の設計に生かしたいし…,これは嘘.
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還暦〜〜2003/8/24 9月には高校の同窓会があります.大人になるってどんな事だろうか,若さと時間だけはたっぷりと所有していた頃を共にした連中が第一線の人生をほぼ終えて又集まる,きっと賑やかな会になるでしょう. 私の区切りはまだついていません. もうちょっとだけ頑張ろう.
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例外のない決まりはない〜〜2003/8/22 昔,そう紀元前13世紀のころモーゼに下った神の決まりはたった10箇条でした.7世紀,日本の聖徳太子が定めたきまりは17箇条でした.昔はそれで済むほど行動様式が単純だったのでしょうか. 何のこっちゃ? いえね,スタイルシートの話なんです.外部スタイルシートにHP表現の”決まり”を書き込んでやる場合,どのページにも適用できる決まりを作ってやろうとすれば各HTMLに特別に書き込む”例外措置”が増えますし,例外措置まで外部スタイルシートに書き込もうとすれば大掛かりになって読むのも手直しするのも大変.で,ある程度小さい”意味”のくくりにして,沢山外部スタイルシートを作って,一枚のHTMLが複数のスタイルシートを必要に応じて読み込むようにしてやれば,管理が割と楽になるのではないだろうか…,と考えて作った外部スタイルシートは17枚.一枚のHTML文書には2〜3枚のスタイルシートを参照させます. ver2.2まではHTML一枚ごとにほぼ全記述を盛り込んでいて管理が大変でした.今回のHP改変はデザイン更新だけを狙っていたのですが,結局裏の記述にも手を回し,大量の外部スタイルシートの導入となりました.
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蝉との会話〜〜2003/8/21 私”真夜中に起こしてしまってごめん”
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悪い癖〜〜2003/8/19 一応更新作業は一段落したので夜の生活を平常に戻します.昨夜は久しぶりに,と言うか手術後初めて本格的にジョグを30分しましたが何事もなく,むしろ少し物足りない位に感じましたので安心しました.
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推敲〜〜2003/8/18
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HPデザイン〜〜2003/8/15 又基本フレーム(本文を書き込むフレーム)には柔らかい印象が出るような工夫を加えました. スタイルシートなので作業は随分楽ですが,しかしやっぱりHTMLを一枚一枚手直ししなければならず,その数200枚あまり.書き替えは一度で済む訳ではなく,アイデアが出るたびに全部のファイルの該当部分を書き替えますから気の遠くなる単純作業の繰り返しです.
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竹工芸〜〜2003/8/14 皆素晴らしかったけれど特に気に入ったのは古い(徳川時代?)壁掛け式の花台.何気なく素朴で力強いフォルムでした.もう一つは現代の作品で花篭,細い竹ひごを編まずに縦に使ってあるだけなのですが奥の竹ひごと手前の竹ひご (篭を横から見るので奥と手前が重なって見えます) がその重なりで生み出す模様の変化にしびれました.近付いてよく見ると竹ひごは途中で棒飴のようにひねってありました.
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容量UP〜〜2003/8/11 スタート時はフロッピー一枚にゆっくり収納出来たこのサイトも三年経って10倍の規模に膨らみました.もっとも当初のHPは文章だけで画像を入れないと言う意固地な主義だったのが軽さの原因でしたが〜〜. 今考え中の新バージョンも出来るだけ軽くするつもりですが,今以上に軽くする為に残っている手はありません.今後15メガに到達するのを出来るだけ遅らせるしかないのですが,その為に必要な画像を追加しないのは本末転倒ですね.
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万華鏡〜〜2003/8/9 自然の景色を取り込むタイプですが,対物レンズが凸レンズで景色をデフォルメして取り込みますから興ざめしません.これはとても大事なポイントだと思います.指で万華鏡のフレームを挟んだまま中の鏡胴をくるくる回せるので首を振らなくても景色(模様)の変化が楽しめます.そして自然の色って綺麗だなと再認識させてくれます. 全長が7センチ弱,シルバーとゴールドの素敵な万華鏡.例えば買い物についてゆく時など待ち時間がありそうな時に持っていって車の中で飽きずに覗き込んでいます.家内の為に買ったものですが,私が喜んでいます. 年甲斐がないったらありゃしない.
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気候変化〜〜2003/8/7 7月私の入院騒ぎも,いつもとちょっと違っておかしいな?という事から念の為にテストを,と言う軽い気持ちで病院へ行ったのが幸いしました.何と,ある機能が99%駄目になっていて,もう1%進むと病院へ駆け込む前に死亡する確率が高い,と言うものだったそうです. なのに深刻な自覚症状もなく,ジョギングがいつものように出来る平常の生活で,体からのサインは見落しかねない程度の軽いものでした. 私のような例は少ないのかどうか解りませんが,話題を最初に戻してどうぞ皆さんちょっとだけ体にお気をつけ下さい.
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高層ビル〜〜2003/8/5 駄目なんです,目を45度から下へ持って行くとクラクラします.腰から下をすーっと風が通り抜けるような気持ちがします.こんなに高いといけません. これはひたすらに慣れの問題だと思います.建築現場で私は二階の屋根先を歩いても怖くも何ともありませんでしたが,その建物が1m程度の低い段差の上に建っていようものなら途端に怖くなります.そのたぐいの事でしょうね.でも高層ビルに勤務する人達,本当にストレスを感じないのか知らん.
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蜂の巣〜〜2003/8/3 サナギから成虫になる蜂が最初に経験する生への努力は,親が決めた生き方の範疇を食い破って出て行く事なのでしょうね.
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確率5割〜〜2003/8/2 やっと生きている,そんな感じです. 相手を喪う事があるかもしれない,と言う想像は良い意味の緊張感と思いやりを夫婦にもたらすと反語的に言えるかもしれませんね. 世の中,配偶者を喪って一人生き残ってしまう確率は,当然ですが実に結婚生活者の5割に上るのです.
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多忙〜〜2003/7/31
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生存権への干渉〜〜2003/7/27 家内に伝えると,殺して!とブッシュさんみたいな事を言いますが,いたずらしない限りは攻撃してこないはずですし,二軒の家がお互い平和共存出来るのではないだろうかと見守る事にします. 足長蜂に敵意は持ちませんが,最近我が家の庭に小さめのクモが沢山巣を作っていて,これにはクラスター爆弾を投下したくなります.いたずらをする訳ではないのは重々承知ですが,気付かずに顔にクモの巣が張り付くのは不愉快. どちらの生き物も只自然の摂理に従って生きているだけなのに,単なる気分と好みの問題で片側にだけ生存権に干渉します.理不尽なのがこの世なのだっ.
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デザイン確定〜〜2003/7/24 又,家内のはがき絵作品をギャラリーフォルダから適宜トップに持ってきて,所蔵展的に入れ替えようと思っています.
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オプティミズム〜〜2003/7/23 思うのですが,どんな事にでも必ず良い面と悪い面がくっついているものです.良い方向を大きく評価出来るものの考え方を持つと生きるのが楽になります.職業の内容によっては悪い方を大きく取り上げる性格が相応しい場合もあるでしょうが,職業を離れたら楽観主義が良いですね. ところで,今回の入院も半年前と同じ総合病院でした.科が違うのでお世話になった人達はお掃除のおばさんを除いて異なりますが皆さん熱心で親切,お世話は行き届いて感心します.残念ながら昨日退院しました.
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HP改変〜〜2003/7/22 前回のバージョンアップはcssファイル導入と言う表から見えない所にしか手を入れなかったので”何故バージョンナンバーが進んだのだろう?”と思われた方がおられたかも知れません.でも今回はHPスタート以来一番大きな改変になりそうな予感がします.トップページのデザインだけ出来上がりました.HPは一転してソフトムードになりそうです.実物はまだ病室に出入りする看護婦さん達しか知りません. 仕事もしなければならない事が増えそうなので,新バージョンのUPは何時になることやら….
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小倉祇園太鼓〜〜2003/7/19 無法松で有名なこの太鼓のリズムは付点音符で単調なもの,太鼓の音色もバリエーションはありません.でも見所は打ち手の所作のようです.ダイナミックな体全体の動き,それにつれてばちを大きく動かしています.二つの太鼓のそれぞれの裏表に二人ずつ掛かり,それを10人くらいが入れ替わりながら打ちます. あまり上手な打ち手でなくリズムも乱れ勝ちでしたが,それでも感動して目が熱くなりました.
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特攻兵の遺書 2〜〜2003/7/18 読者の皆さんが私自身の眼鏡を通して彼らを眺めてしまうのは果たして良い事かどうか,と思ったからです.それだけ重いものだと思うようになりました. 彼等特攻隊員の存在した意味,そして特攻隊員だけでなく,国を守るのだと自分を納得させながら,その思いと引き換えに自分の命を捧げた兵隊達の死の意味はどのようなもので,それは現在にどのように生きているのか. もっと大きく,日本人は自分たちが世界の中でどうあれと願ったのか(敢えて軍部がとは言いません,明治/大正/昭和と軍部をそのように育てたのは日本の一般大衆です)そして欧米は日本がどのようにあれと思ったのか.考えは広がって行きます.太平洋戦争とは一体何だったのでしょうか.切り口の数ほど違う回答が出て来そうです. でも,政治がどうであれ,軍中央がどうであれ,否定すべきは他国の郷土/人間を蹂躙する行為であって,郷土がそして同胞が外国から蹂躙されるについての単純な憤りは人間として否定出来ませんね. しかし然し,とは言っても,世の中単純ではありません.事の善悪は過去現在,世界中あらゆる場所で全ての事象の切り口においてマダラに複雑に入り組んでいます.前出のテーゼの現実適用は座標の取り方次第でどうにでもアナウンス出来ます.ある時代の価値尺度を他の時代にあてはめて毀誉褒貶するのも正しいかどうか.善悪が見事に割り切れるのは小説本かテレビ娯楽番組の中だけです.難しいですね. こんがらかった話を元に戻して,鹿児島に行く機会があればご自分の目で日本史のあの瞬間を知覧で感じて見られる事をお勧めします.
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テクニック〜〜2003/7/17 最初は何の事だか解らせず,ハッとさせて興味をそそらせというか気を持たせて,読み進むと疑問解決が待っている,それって一つのテクニックですね. 似た例では,どんな人でどんなシチュエーションか知らせないまま,いきなりある人の会話途中から入る手もあります.音楽で言えばベートーベンの第一シンフォニーのように属和音から音楽を始めるあの手です.ベートーベンは次の音に主和音を持ってきて解決,聴き手を安心させますが,もし16小節も先まで解決してやらなかったらどうでしょう.よっぽどの伏線を敷いて聴き手に”なるほど,そうだったのかっ”と大満足させるすごいテクニックを見せないとブーイングの嵐が来るでしょうね. この小説家はその危険なゲームを仕掛けてしまったのです.私はこの最初の仕掛けにもんどりうって転げてしまいました.もう後はパラパラめくって見ただけ. 気を持たせるって,よっぽど相手がそれに興味を持っていないと逆にそっぽを向かれますね.
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MR〜〜2003/7/16 仰向けに寝て必要な箇所(私は頭部)を寝台に固定し,台ごとトンネルにゆっくり入ってゆきます.目をつぶっていると遊園地のお化け屋敷にトロッコで入って行くように,お化けこそ出て来ませんが色んな種類の機械作動音が広がりをもって聞えてきます.20分間と言う事でしたが,次はどんな音かとまったく退屈しませんでした.(機械から降りる時,操作技師にお化け屋敷の話をしたら笑われました) 終わって隣の室に行けば若い技師が操作するPC画面に,私の頭部の色々な切り口の断層画像がもう映っています.これが又面白いこと,見とれました.目玉がみえる,鼻の内部が見える,脳の皴が見える(これ恥ずかしいな),血管が見える.ゆで卵をスライスして一枚一枚検査するのと同じですね.しかもこうして生きているのに…. 病院のトレッドミルに乗っても自覚症状が出なかった私の体の問題をズバリと喝破した慧眼と言い,気の遠くなるような難しい手術(素人にはそう思えます)を蚊に噛まれたほどの跡しか残さずにオペしたテクニックと言い,こんなお化け屋敷みたいな機械と言い,今回の入院で病院とはどえらい所だと心から感心しました. ”こんな病院が増えれば平均寿命も延びるわさ.で,延びた寿命で何するだ?”
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軽口〜〜2003/7/14 手術を終えてしばらくは口が軽くなっていた私を,面白い事を言う人ですね,と駆けつけた家内に看護婦さんが感想を述べていました. 手術はやっぱりそれだけ緊張を強いられるものだと言う事ですよ.
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いきなり手術〜〜2003/7/13 えっ!絶句.それ程までの自覚症状は….直ぐに隣の部屋でくるくる身ぐるみはがされて搬送ベッドへ,家内へは看護婦さんが電話をしたようです.若い女医さんが一時間程の手術,局所麻酔なので意識は確かなもの,その女医さんは途中で”もう直ぐ終わりますよ,順調です”と声を掛けてくれました.”処置が早くて良かったですね”はあ,そうですか. 家内が病院に到着したのは手術が終わって一時間後.検査を受ける際に待合室で読もうと準備していた本を,予期もしない集中治療室のベッドで読んでいる時でした.それから何時間かして鹿児島から長男が病院へ駆け付けてくれましたが,何を勘違いしたのか喪服を積んで来たそうです.これは後で家内から聞きました.まるで伝言ゲーム.おいおい俺を殺すな. 今日が実はその三日目,仕事の道具やPCをベッドに持ち込んで,テレビを見る間もない楽しい一週間の入院生活です.ときどき雑記が途切れなかったので,そんな事気付かなかったでしょ?
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すず茶筒〜〜2003/7/12 店でそれを見て欲しいなと言った時に家内は直ぐに賛成しましたが,一つは子供を訪ねてした旅行の記念に,もう一つは私の還暦記念の為にというつもりだったようです. 届いたのが丁寧な梱包で感心もしましたが,我が家の食卓の上でこれをみて,記念になる良い買い物をしたと改めて満足です. それに赤いちゃんちゃんこよりはずっと良いしなぁ.
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近代社会の人権主義〜〜2003/7/11 若年者犯罪だけに止まらず,一般に犯罪のニュースで時々思うのは,犯罪者の人権が必要以上に認められて,逆に被害者や被害者の家族が理不尽に思えるほど圧迫されるのが近代社会という代物ではないでしょうか.つまり犯罪を割に合う行為だと認め,その結果犯罪行為を増やそうと努めるのが新しい社会のあるべき姿なのでしょうか. 反語的に述べてしまいましたが,犯人の更正に意を用いるのは勿論正しい事です.しかしその人道的善意がふてぶてしい犯人にはどう映っているでしょうか.”なに,人を殺したって自分が死刑になる事はほとんどない.強盗をしたところで皇族の慶事があれば恩赦という手もある.上手く行けば警察力も下がっているから逃げおおせるかもしれない.どの道大した事はない”犯人がこう考えるような仕組みの社会である限り,社会の善意は空回りし勝ちなのです.私が知っているこの40年の社会の動きから見ても,道徳は悪化することはあっても向上する傾向はないようです. こんな感想を持つのは私が前近代人だからでしょうか.一方で犯罪の増加によって警察力は衰え(これは鶏と卵の関係か?)従って検挙率が下がり,それがますます側面から犯罪を安易なものにしています.
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マジック〜〜2003/7/10 数字が大き過ぎるので”犯人”の確実な”特定”までは出来ませんが….
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大袈裟〜〜2003/7/9 それを早とちりと見るか,又は栄光の先駆けの為に支払う代償と見るか. たかが蝉の事なのに大げさな!
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* バス椅子キャリーバッグ〜〜2003/7/5 第4号バス椅子は第3号より重いし,かさばるし,セッティングに時間が掛かりますが,それもこれも演奏の際の安定感の為,仕方ありません.
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隠居出来ない〜〜2003/7/4 でも団体の会長職の任期が終わっているのや,どこの音楽団体にも所属していないのが救いです.
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建築技巧に無頓着,産業近代化に頓着〜〜2003/7/3 先ず大変驚いたのは,吟味された素晴らしい木材を使っているものの,建物を美しく見せる為の技巧にはほとんど心を用いていないこと.九州に並ぶ者のない大豪族の居宅である事実を考慮すると本当に拍子抜けしてしまうほどです.改築前の玄関はこちら側ですと言われて,見ると何と一間幅,建物の大きさから見たそのミスマッチは信じられない程です. 藩主は,邸宅立地の常識で計り知れない事には,その別邸庭先の地続きに藩の一大先進工業団地を作ったのです.上記二つの事実を並べて目の前にして,この雄藩の徹底的に実質的で,優れた経営感覚を思うのです. 観光客の為に邸宅内を案内/説明してくれた和服女性は,私の驚愕には無頓着,これらに関して何のコメントもありませんでした.
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白熊越しの用件〜〜2003/7/2 一番鹿児島らしい食事をと所望したら黒豚のしゃぶしゃぶに連れて行ってくれました.大変美味しかったのもさる事ながら,お勘定の段になって払おうとする私を遮って”折角鹿児島まで来てくれたんだから,ここは僕が持つ”と,決して安くはない食事代を支払ってくれ,そんな配慮に我々両親としては目を細めるのでした. 次にカキ氷の”白熊”発祥の喫茶店があるというので,小さい頃は夏になると心からあこがれた白熊,その発祥の店で食べられるのならと膨れた腹をなだめながら食べました. 鹿児島を訪れた用件はその喫茶店でテーブルの白熊越しに手短かに済ませました.いやはや.
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特攻兵の遺書〜〜2003/7/1 出撃は終戦直前の昭和20年頃,私が1歳から2歳直前までの出来事だったようです. 兵士の遺書が多数展示されていました.彼等が命令され,或いは志願して短い命と引き換えに守ろうとしたのは何だったのか,彼等の死の結果どのような日本が到来する事を希求したのか. 事柄の表面を通りすがりの観光客としてさっと撫ぜるだけでは内容が重すぎると感じましたので,彼等の遺書/手紙類をまとめた本をそこで買いました.これは知覧の特攻兵だけでなく一般的な日本兵のセンチメントと共通するだろうと思います.いずれときどき雑記で読後感を述べるかもしれません. 所で,この記念館の名前は”知覧特攻平和会館”です.このネーミングにいささか違和感を覚えました.50年前の敗戦を”終戦”と言い換える感覚に近いものを感じるのです.決して間違いとは言えず,殊更取り上げる事でもないのですが,しかし本質からは距離があります.真実に立脚しなければ”正解”には辿り着けない,漠然とした感覚ですがそんな思いです. |