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2002/3/31
B型
私の血液型はBで熱中タイプ. 何かに気を取られたらそれに集中してしまいます.その瀬を過ぎると何と言うことはないのに,真っ只中にいる時は精神のバランスを失う危うい傾向があります.現在は会社のPC構成とその整備の事ばかり考えています.
新しいデスクトップ機のセットアップは一応終了しましたが,今はスタンドアロンなのでこれを会社のPCシステム(ちょっと大袈裟かな)に組み込む作業が控えていて,全体の構成案はバリエーションが色々考えられるので,どのように組み上げるか思案中です.一度断念したデュアルブートを私の常用PCであるノートパソコンで再度トライすることもあり得ます.
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2002/3/28
耶馬溪通信5
今日は山国川の悲しい伝説をお伝えします.
中津の平野部に山国川が辿り着いた所,扇子で言えば要(かなめ)の位置にある三口で治水工事が始まりました.12世紀の事です. 暴れ川に人力で立ち向かうのは容易ではありません.堰を作りかけては流されを繰り返すばかり.この村にお鶴という女がいました.その子は市太郎.二人ははかどらない治水工事の人柱になることを申し出ます.その犠牲によって人心は鼓舞されやっと大井手堰が完成したのです.これを後世の創作とする説もありますが,事ほど左様にこの川を治めるのは難儀であったのでしょう.
中津では秋になるとお鶴と市太郎の霊を慰め感謝する為に傘鉾(かさぼこ)という,丁度傘のようにしだれ桜のように四方に垂れ下がる飾り付けをリヤカー何台もに施し,長蛇の列を作って平野の田園を歩き巡ります.
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2002/3/28
何と
インストール完了後に故障が発生しました.
メーカーサービスに尋ねたところ,マニュアルにもない修復をしなければならないようです.またデュアルブートでは後になって思い掛けないアクシデントが発生する可能性がある,と聞きました.そこでデュアルブートを断念. もう一度win2000だけによるクリーンインストールをやり直します.Jw_cadは会社で現用している95機を使って取り敢えずそれ専用に動かす事にしましょう.6日間の苦闘の末デュアルブートは断念しましたがしかしPCの動かし方の知識はこんな代償を払うお陰で少し前に進みました.
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2002/3/27
発色の違い
インストールが峠を越しました. 残り何種類かのソフトをインストールして,ノートPCで作ったファイル(HPも含んで)を移設し,社内LANを設定すればお終いです.これをノートPCが修理から帰ってくるまで私が使って,あとは事務員さん用に渡します.
デスクトップ機のCRTでこのサイトを見れば配色が随分私のイメージと異なります.意図しているものより派手に見えるのです. 夏頃には配色を見直して更にHP内リンクの張り直しをしようと思います.初めて訪問した人でもHPの構成がすぐに解るようなリンクの張り方は既に頭にあります.それを実現したいものです.
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2002/3/24
インストール
今日まで三日間新しいPCへのインストールに集中しました.インストールは二台のPCにするのと同じ手間が掛かります.ハードディスクを初期化してパーティションを切るFDISKというDOS画面でやる作業は圧迫感があって嫌ですね.手探りで今日の夕方作業を終えて見て(マイクロソフトへ接続してwinをアップデートするだけでも合計2時間以上掛かりました)最初にインストールしたwin2000が立ち上がらずwin98だけの単機能でしかないのに気付きました.メーカーに相談したところ,インストールの順序が逆だとの事.分厚い参考書のデュアルブートの項目では98なら2000の後に作業しても良いと書いてあったのに….又一からやり直しをしなければなりません.
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2002/3/22
デュアルブート
今日は朝から会社で使う新しいデスクトップ機のセットアップをしています.
初めての試みですがOSをwin2000とwin98のデュアルブートにするつもりです.win98はJw_cadの為だけに使います.Jw_cadはwin2000上では動きが悪いからです.新PCのセットアップが済んだら,今使っているノートPCを修理に出して,それが帰ってきて同じようにデュアルブートします.
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2002/3/20
虞苺(ぐいちご)
今年もプランターで野苺の白い花が咲きました.時を同じくして去年株分けして関東地方に派遣した野苺部隊も咲いたと連絡が入りました.この野苺は去年はびこり過ぎてプランターの水抜き穴から庭の地面に逃げ出したものを掘り起こし一部を元に戻してやりましたが,その際地面の中に隠れ通していた不穏分子もあちこちからこっそり芽を出しています.元来好きなものなので 不穏分子に対して"虞や虞や,汝を如何せん"の心境です.
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2002/3/19
耶馬溪通信4
山国川に関わりを持つもう一人の有名人は才人儒学者頼山陽.この渓谷全体を耶馬溪と名付けたのは彼です.19世紀になって間もなく,1818年12月の何日間かをこの谷に遊び,その名をつけました.また山国川に顔を向けて立ちはだかる柿坂在の岩々を見て,画家でもあった彼はこの景色を筆で表すことは出来ない,と擲筆峰(てきひっぽう=描ききれず筆を投げ捨てねばならないほど美しい岩)と呼んだのです.流石教養人,ネーミングが達者ですね. 彼がこの擲筆峰の更に山奥にある,支流山移(やまうつり)川が刻んだ深耶馬溪の一目八景をもう二ヶ月ほど早く訪れていたらその屏風のような岩石群の裾を華やかに飾る紅葉の樹林を前に,その感動癖なら卒倒していたかも知れません.残念ながら彼はそこを見過ごして素通りしてしまったのです.
紅葉も素晴らしいけれど,その深耶馬溪の春も捨てがたい.一目八景から清流沿いの道を歩いて遡れば片道40分余りの間,陽の差し込まない流れに割り込んでそれを幾筋にも分ける苔むした大岩の数々,青く澄んだよどみに手を差し伸べる深く又浅い木々の緑,迫る岩山にせばまれて縦に細く切れ上がる青い空.ここを頼山陽さんに見せ損ねたのは地元として悔いが残ります.(耶馬溪通信2〜4の参照図書:”山国川”)
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2002/3/18
退職
宮仕えを辞める時,ふたつ経験するチャンスがなかったのを悔やみました.大きな会社にいるメリットは組織の力で自分の力以上の仕事が可能な事ですが,一つは電話一本で億の商売をやってみたかった.もう一つは会社の方針を決定するポジション(ぺーぺーの立場でも良い)に在籍したかった.ついにそのどちらも出来ず,7年半同じ事(良く見ても"大同小異")ばかりをやっていたような気がします.水はよどむと腐りますよ,と具申した事はありますが,よもやま話の中だったので聞き流されたようです.
退職に向け心の準備を進めている内に希望退職が募集され,そのチャンスに乗って辞表を書きましたが,上役の人達に思いがけず心配をして頂き,残るか進むか心は最後まで本当に揺れ動きました.
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2002/3/17
7年半
その会社に中途採用で入社してから退職するまで7年半,私の唯一の自慢は一度も会社と上司の悪口を言った事が無かった事です.意見は具申しましたが,人の陰口を叩いたり,愚痴をこぼした事はないと思っています.会社を辞めてから後の人生は,考えてみればその点値打ちが下がっているなぁと思わず反省.
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2002/3/16
越権行為
ある代理店を中心に,当社に取って初めての販売店会を組織しました.その店会の為にTVコマーシャルをやろうと思い立ち,高校時代の友人がマスコミ関係の仕事をしているのを幸い,彼のつてでコマーシャルソングを安く作って録音をして貰い,それをその地方のTV会社へ持ち込んで放映しました.一営業マンが会社のTVコマーシャルを企画するなんて越権行為もはなはだしい.しかし会社もそんな事をした経験がなく,わずかな予算でならと思ったのでしょうか私の行動にストップ命令は掛かりませんでした.販売店は自分の店名が画面に放映されて喜んでくれました.
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2002/3/15
独り言
ある代理店の社長さんはこわもてでした. 計算に細かく部下に厳しい男で,人好きする人間ではありませんでした.毎月最低一度はその会社を訪問していましたが,ある時その会社の始業時間かなり前に到着してしまい,まだ暗かったので倉庫前に車を止めて仮眠していました.するとやがてその代理店主が車のそばにやって来て,眠っていると思ったのでしょう,”おう,可愛そうに”と独り言を言って立ち去りました.私は眠り込んではいなかったのでそれを聞き取りました.それからというもの彼を憎めず,悪口を言う人には彼を弁護するようになりました.
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2002/3/14
競争相手
会社に入ってやがて部下が出来,それまで回っていた代理店を幾つか彼に渡しました.その時彼にこう言い渡したのです. ”いいか,君は俺の競争相手だ”営業になりたての彼はその言葉を聞いて冷たい男と感じたかもしれませんね.一人前の男として彼を扱い,また自覚を持って欲しかったのですが,今思うと雛も育ち上がるまでは懐に抱いて暖めねばならなかったのかも.でも無関心と言う意味ではなく,たまには私の家で一緒に飯を食べ,彼が結婚をしたときは頼まれて司会をしました.彼は今自営の社長さんです.
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2002/3/13
上司の助言
その会社でのエピソード. ある地域で代理店に選んだ店の店主と一緒に,その店と取引している販売店を回った時のこと.とある販売店で突然代理店主が気分を害して一人で帰ってゆきました.若かった私はおろおろして公衆電話から上司へ指示を仰ぎました.具体的な指示の内容は覚えていませんが,最後に”三好君,プライドだけは失わんようにせーよ”と言ってくれ,それは大変強く印象に残り私の腹も座りました.その上司は後に関連会社の社長に転出されましたが,その上司に賀状を欠かしたことはありません.
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2002/3/12
会社の同窓会
自営独立を目指しつつ大阪の会社を辞めて,やがて1/4世紀になります.当時その会社は二次加工メーカーでしたが流し台などの自社ブランド品を企画し,私達はその営業マンとして会社の先端で頑張っていました.それはそれは”頑張った”ものです. 同じ立場で苦労を共にした仲間はもうほとんどが会社を離れていますが,当時の苦労は連帯感を生んでいて2~3年おきに同窓会を開いています.
メールが来ました. 今年は4月に尾道/千光寺で桜見物を兼ねるそうです.学生時代,1000kmの徒歩旅行の途中で千光寺に立ち寄ったことがあって私にとっては二度目の訪問で,今から楽しみ.
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2002/3/11
CDを焼く
長い間使い方が解らなかったキカイを使ってやっとCDを焼くことが出来ました.出来上がった音楽CDを聴いてみての感想は,こりゃオーディオとはちょっと呼べないな,と言うもの.カセットから録音しましたが自分のバスの音が丸まって埋もれてしまいました.(下手なバスだからそれで丁度良いかも) デジタルは再現性が良いと信じ込んでいましたが,一方で値段が安すぎるのがいささか気にはなっていました.このCD-RWは今後ハードディスクのバックアップ用に使う事を本命にします.
音楽CDを作るのはやっぱり専用のデッキが良いのでしょうね.一旦マイク録音情報を別の場所に保存して波形編集やステレオ定位操作をした上で焼きこむ,というやり方でないと上質の自家製CDは出来ないのでしょう.あ,4チャンネル録音しておいてトラックダウンする方法はないのかな.(プロアーチストの録音盤に重ね弾きしてCDを作ろう,と言う悪企み)
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2002/3/10
耶馬溪通信3
禅海が里人の難儀を見兼ねてトンネルを掘った背景には山国川の特質が隠れています.建設省の資料によれば流域面積540平方kmの90%は山岳地帯.流域の平均勾配は1/365,ある支流の一つは河口から15kmあたりで標高800mを越えていて,そんな支流ばかり.日本でも有数の急流一級河川だそうですが,それに加えて平水流量と年平均流量の比は1対3という大きな差.つまり一旦上流に雨が降れば地下に吸い取られずに大量の水が流れくだり,そんな少ないチャンスが年平均流量を大きく押し上げている度量の狭い”暴れ川”.禅海が立ち向かったのはそんな川に面した崖です.資料の数字に代弁して貰わなくとも,私たち流域に住む者は大雨のたび毎にその水の量と勢いに肝を冷やしているのです.しかし一方,この川のお陰で夏に水道が枯渇した事はありません.
山国川にまつわる第二の有名人は次回で.
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2002/3/9
旗は振らない
今,スエーデンの一般人ボランティアグループがアフガニスタンで雪山道の除雪作業をしているそうです.地雷を踏むかもしれないとても危険な作業です.除雪する道のその先には雪に閉ざされて食物を得る事が出来ず飢えに直面している人達がいるのです.インタビュアーの質問に答えて”戦争反対の旗を振ってみても何も変わらない”と.だからそうやって行動するのですね. テレビの画面から見えないパンチが繰り出されて打ち倒される気がしました.
見ているこちらは春先なのにぬくぬくとコタツの中,やがてのんびりと入浴しようかと言う所でした.何気ない態度でインタビューを受ける人達を見て一層すごい事に見えました.
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2002/3/8
一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ
これは短かくて要領を得た名文として語り継がれている手紙で,小学校の国語の時間に習いました.留守中は火事に気をつけ,子供と馬の面倒を良く見よ,との内容を電報のような感覚で綴ったものです.手紙の主は徳川家康三河以来の随臣,本多作左衛門.陣中から妻に宛てた手紙だそうです. 当時子供心に"そんなものか"と感心したものの,今考えてみるに一字幾らと料金をカウントされる電報ではないし,古い時代の妻なればこそたっぷりと行間を読んでくれるとはいえ,手紙としてならむしろ悪文.メシ/フロ/ネルと共通する意思伝達形式です.陣中の部下への照れもあったのかもしれませんがこの手紙,はたから見れば内容は当たり前すぎて綾もありません.”メシ/フロ”を含蓄があって要領を得た後代に残る名会話と感じるでしょうか.
これが報告書なら伝達したい事だけを無駄なく述べている点から或いは名文の部類に入るかもしれません.報告書を,このような直感的短文に加えてそれを裏打ちする十分な事実を表にまとめて付記すれば上司納得/提案受理と事は運ぶでしょう.
今にして思えば文部省は単元を間違っていました.中学教科書に移して"レポートの書き方"で取り上げると良かったのではないでしょうか.世の評価と反対向きのこんな感想のほうが間違っているのかな.
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2002/3/7
バス親父@金沢さんの足跡(受け取ったメールから抜粋)
2000年11月
…何か新しい試みを試しつつ,またマンドリン特有の音楽的質感というか独自性をかもし出せたらと考えております.私個人としては,バス弾きですからやはり弦の音色を出せればと考えておりますがなかなか難しいですね.…
2001年3月
…いろいろと,今までのスタイルを継承しつつ,また改良しうる所は思い切ってチャレンジしていこうと,考えています.(サルコーもその一つですが〜〜)…
2001年6月
…毎日,ホームページの方には,ROMらせてもらってます.毎日行っているので,とても親近感があり,いつもお話しさせて頂いているような錯覚さえ覚える事もあります.充実した内容と,質疑と回答.いつも”うんうん”とうなずきながら見ております.…
2001年10月 (北陸3クラブ合同演奏会についての長いメールを編集)
…合同練習は…7回行いました.…私の場合,これにオケの練習が加わると,3月から7月までは,ほとんど楽器漬けの日々となります.…オケの練習は,夜が多いので,重なった時は10時〜23時まで,弾きっぱなしと言う事もあります.…無理をしないように予定を立てていますが,かってはこのような状況が20年程度,続いておりました.…しかし,楽器を続けながらハードではありましたが,仕事をやっていたおかげで,仕事も重要なポジションでのステータスを保つ事ができたと考えております.…このスタンスは,今後も続けるつもりです.…ホームページ(注:M&Bver.2)の方は,本当に脱帽です.ブラボーです.配色が絶妙です.…挙動が早い”ネットスケープ”を利用しておりますが,…みーさんのホームページに行く時は,IEを利用し本来のコンセプトを余すことなく楽しませて頂いております.
2001年12月
私事,今秋は盆明けより体調を少し崩しまして残念ながら演奏活動の方は休眠状態となりました.(オケ/マンドリン共)その分,みーさんのホームページで十分なイメージトレーニングができてます.
■このあと,1月1日にグリーティングメールを交換したのが長谷川氏最後のコンタクトとなりました.”楽器を続けていたお陰で仕事も重要なポジションでのステータスを保つ事が出来たと考えております”というコメントを頂いた時は感動しました.
残されたご家族に心からのお悔やみを申し上げると共にバス親父さんの魂の安らかであることをお祈り申し上げます.バス親父さん,さようなら.
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2002/3/3
耶馬溪通信2
景勝耶馬溪を形作ったのは急流山国川です. 全長56km,大分県と福岡県を分けて1市3郡8町村を縫う川です.この川には二人の有名な人物が関わっています.
一人は菊池寛. 彼の”恩讐の彼方に”という史実に基づく小説の舞台はその山国川でした.地名は”青”. 江戸浅草住人だった僧 禅海は諸国回遊の際耶馬溪に立ち寄り,俗世にいた時に犯した人殺しの罪滅ぼしに山国川沿いの在所”青”にある歩行困難な崖を穿って随道を作ろうと思い立ちました.親の仇の彼を探し尋ねて来た実之助は,贖罪の一念で掘り進んだ暗い随道の奥でノミと鎚を振るう禅海と,彼をかばう手伝いの里人達を目の当たりにして感じ入り,仇討ちを思い止まって逆に作業を手伝うのです.240年前に30年掛けて禅海の作った随道は,交流会会場の木精座へ行く途中,車左手の川沿いに見る事が出来ます.(この項 続く)
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2002/3/2
大事すぎて
とても気に入っていて返って使えない…,そんなものを誰もお持ちでしょうね.私にもあります.
一つはアイルランドのセーター,自然の色違いの毛を使って模様を織っています.もったいなくて着るのは二年に一度位.こりゃええわ,と虫が着るのが心配です.
もう一つは昨年秋セーフコフィールド球場で買ったマリナーズの地区優勝記念キャップ.その日イチローは5打数4安打,9回には大魔神も投げて大満足.そんなキャップを使えなくてシアトルの市場で買った方ばかり被っています.(旅行中自分のために買ったのはキャップ2つだけ)
最後は昨年自分自身がデザインして福岡の皮工房で作って貰った小銭入れ.オストリッチの喉の皮で作ったその小銭入れをもったいなくて使えず,その前に他の皮工房で作らせた同じデザインなのに気に入らなかった牛革製のものばかり身に付けています.
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2002/3/1
わいわい
耶馬溪交流会は思いがけず盛況で,家族を含めて総勢20名を越すようです.私の関係でも地元参加者が2組4名ありますから,ひょっとすれば30名近い大所帯になるかも知れません.発表会の曲数によっては地元を調整しなければならないかも.ログハウスは5棟程度確保することになるでしょう.
遠来の参加者には思いっきり演奏して欲しいと思っています.そして交流会の名の通り,アンサンブルを組むグループが増えれば良いなと思っています.
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2002/2/28
うぐいす
会社は町の中心部からちょっと外れたところにありますが,今日近くでうぐいすの声が聞こえました.社員の話ではもう一週間前くらいから鳴いているそうです.まだ試し鳴きで上手ではありません.
うぐいすは上手な鳥から鳴き方を教わるそうです.鳥ながらも"あの鳴き方は上手だな,真似してみようか"と考えるのでしょうか.上手か下手かの区別を知らなければならないこと,上手になりたいと言う願望,この二つが上手になる為に必要ですが,うぐいすはその二つともを心に持っているのでしょうね.
可愛い奴,つい感情移入してしまいます.
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2002/2/27
もぐら
我が家にモグラのシーズンがやってきました.芝生と築山を区分けするレンガに沿って一夜にしてトンネルが開通していました.築山といっても猫の額ですから頭の中の想像をうんと縮小して下さいね.モグラの退治は手を焼いていて,色々やってみますが駄目です.音波による退治,においによる退治,ワナによる退治.いずれもモグラが私を上回っていて成果なし.
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2002/2/26
バス画像
奥田さんのHP右下バス画像の製作過程をUPしました.絵を描いていて一つ問題をクリアすれば これで良いと思っていた別のことが気になり始める,それのスパイラル状繰り返しで,一ヶ月間この絵は気になりっぱなしでした.もし本格的にバスの絵を描くなら,画家がしているように色々な角度からスケッチをして構造と形状を頭に叩き込んでからある視点を選んで描くのが良いでしょう.それをしなかった私はなんかどっか違う絵しか描けませんでした.
2日前,ある音楽ホールのロビーの壁に掛けてある1.2m*1.5mの一枚の絵が目に入りました.それはチェロのような5弦バスとペットとサックスとピアノの絵でした.楽器はそれを熟知しない人にとって実に複雑な形状に見えるようです.形状が持つ物理的な意味が判らないままに頭で描くと奇妙でバランスの取れないものになってしまいます.勿論その絵は完璧な楽器の形を追求するものでなく,音楽をする楽しい雰囲気を表現しようとしたものですが楽器を知っている人が見れば矛盾が先に見えてしまいます.私のバス画像も製作者が見れば同じような感想を持つでしょう.
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2002/2/24
笑顔
オリンピックで優勝した人の笑顔は素晴らしいですね.その競技のために必要な体力/筋力に恵まれ,それをコーチによって徹底的に鍛えられ,自らもトップを目指して毎日弛まぬ努力を積み,そして人間が持つ事の出来る能力の頂点に立っている事を優勝台で確認される.晴れがましい事です. 長い期間の努力が報いられたその瞬間の輝きは本当に美しい.
人は競うべきです. "公平"は大切な観念ですが,誤用してはいけませんね.競う事を恐れさせては大きな目標を作れませんし,達成感を得る事も出来ませんね.公平は,競わない中に求めるのではなく,競うルールまたは評価方法の中に求めなければならないと思います.
ついオリンピックから教育に頭が行ってしまいましたが,でも同時にこのオリンピックで問われた問題でもありました.
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2002/2/23
いたずら
このHPにはいたずらリンクを張っています. いえ,気にしないで下さい.私は思わせぶりをやらない主義で,これは自己満足の世界です.人に気付かれないリンクの張り方や気付いて欲しい隠しリンクの張り方のテクニックは色々あるようですし,その幾つかは現に使っています.
夜も寝ないで(これは嘘)研究した結果(これも又嘘),今より更に発見されにくい隠しリンクの張り方を昨日考え付きました.既に張っているいたずらリンクはひょっとして偶然に気付いた方がおられるかもしれませんが,これから張るいたずらリンクは上述したように偶然すら考えにくいものです!.そんなもの何に使うのか? 次にUPする準備ページにリンクさせて客観的に見てみたい,そんな使い方をしましょう.
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2002/2/21
チェンバロ
yamakamiさんからメールが届きました. 6月の交流会に集まるピアノグループの何人かが私のチェンバロに興味がおありだとか….ぎょっ,もう10年以上ほったらかし. 音楽室で家内のお人形の飾り台になりさがったままなのです.弦も1~2本切れているはずです. このチェンバロは友人から譲って貰ったものですが,その友人とは他ならぬ私のエンドピンレストを作ってくれた男です.友人に連絡して切れた弦の補充を頼んで手に入れました.
調弦に関する限りチェンバロはピアノの仲間ではなくギターの仲間で,毎回調律しなければなりません.70本弱の金属弦全てを,です. 平均律で調弦しますから,一秒間のうなりが何回と数え,それが下で響くうなりか上のうなりかに気をつけながら調律するのです.皆さん興味がおありならやらなくちゃね.
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2002/2/20
どんど焼き?
お正月のお飾りは従来どんど焼きをしていました.
ところが公害問題で,地区の行事として焼けなくなってしまいました.といって個人で焼くわけにも行かず,ごみとして収集車に投げ込むわけにも行かず,取り外しているものの未だにそのままになっています.門松は既に一般家庭からなくなってしまい,門松の小さい絵を貼り付ける習慣さえなくなりつつあります.次なる問題は藁で作った注連飾り. これもやがて車の前面グリルにつける注連飾りと同様に廃れてゆくのでしょうか.国旗を祝日に掲げる家は完全になくなっているし,玄関の改まり感や季節感について今後は絶望的.
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2002/2/19
おしらせ
当HPからリンクを張っていて,会議室への書き込みもときどき頂いている,メトロノームの作者makiさんの新バージョンがUPされました.makiさんのメトロノームは数字表示だけでクリック音が出ませんから使ってわずらわしさがありません.お奨めです.使ってみてください.なお,まだベータ版だそうです.http://homepage2.nifty.com/asax/index.html(サイト名at sax)
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2002/2/18
IE 6
このHPでスクロールバーの色が,そのページの背景色と同じ色に見えるでしょうか.もしそうだったらインターネットエキスプローラーのバージョンは6です.奥田さんのHPでは特に重要なデザインポイントですが,5.5までだったら背景色と比べてちぐはぐなグレーに見えます.問題がなかったら6をインストールする事をお奨めします.
今回6を使って作業したのですが,実はその後5.5に戻しました.私のPCでは掲示板の表示が前回見たものしか表示出来ず,今見たばかりのものを自動保存出来ない事がたまにあるからです.6をインストールしても問題があれば簡単に以前のバージョンに戻せるところが長所ですから皆さん一度6をインストールして見て下さい.案内図の右フレームからダウンロード出来ます.
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2002/2/17
きつねの窓
作:安房直子(ポプラ社)
童話を要約します.要約ですから面白くも何ともないかも知れません.
若い猟師がいました.いつものように鉄砲をかついて山に入ると突然景色が変わってしまいました.一面ききょうの花畑,小さい白きつねが走っています.追っかけるときつねは突然花畑に潜ってしまいました.気付くとそこに”そめもの/ききょう屋”と言う小さな店がありました.出て来た小僧に両手の人差し指と親指をききょうで染める事を勧められます.染めた指で菱形の窓を作って覗き込んで見ると昔好きだった少女の姿が見えます.お礼に鉄砲を渡して帰り道,また菱形を作って見るとこんどは焼けてしまった自分の家が見えます.ラジオの音に混じって小さい自分の声と死んでしまった妹の笑い声が聞こえます.お母さんの作っている菜園も見えて,とても切ない気持ちになりました.
家に帰り,無意識で習慣になっている手洗いをして,指の青い色は落ちてしまったのです.もう何も見えません.
生活の全てに満たされている人や,忙しくしている人はこのような微妙な感情を忘れてしまいます.
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2002/2/16
HP/UP
奥田さんのHPをアップロードしました.
ホームページ内リンクはしっかり張っていて,ベータ版からのリンク訂正打ち込みに間違いがないとは思いますが,もしあればご指摘下さい.
今だから申し上げますが,従来の奥田さんのページに隠しリンクを張って,これまではそこからニューページに入れたのです.以前から気付いて作業の進捗状況を見守っていた方もおられるかも知れませんね.最後に今日奥田さんの新しいHPのフォルダと旧フォルダを差し替えてリンク記述を書き換えましたので新居完成引渡しです.
新しいHP の出発を皆さんと祝いたいと思います.
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2002/2/15
新作楽器の功罪
新作楽器は手に入るのに暇が掛かる,どんな音の楽器が出来るか解らない,鳴り始めるのに年数が掛かる,等のデメリットがあります.この購入に師匠は賛成ではありませんでした.私に残された音楽人生の長さから考えても得策でないかもしれませんね.でも私の考えを押し通して発注しました.
実に単純な情緒的発想からです. それは生まれ出る楽器の父親になる栄誉を担えるからです.100年後,200年後の所有者から良く鳴る楽器として大事に使われるとすれば,それは父親である私の誇りです.死んでしまっている私に何のメリットがあるだろう,と言う考えはしません.楽器の形状や寸法について私の希望がどこまで叶えられるかは不明で,職人気質から作られる楽器は"私の"ではなく最初は"職人の"楽器である可能性が高いかもしれません.それでも職人は私の発注がなければ日本に届けては来ませんからやっぱり私の子供であることに違いはありません.このような考えから発注する人は珍しいでしょうか.
学生時代に手工ギターを発注したときは,そのようなことは考えませんでしたが,それでも製作者に私の気持ちを発注の際に手紙にしたためたところ,楽器に添えて,丁寧に作りましたとわざわざ返事が来ました.今回も発注の際に気持ちを翻訳してもらって送っています.
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2002/2/14
いらいら
楽器を発注してからもう10ヶ月経ちました. 半年で出来ると聞いていたのですがずいぶん暇が掛かっています.ヨーロッパの方では日本と比べて時間の経ち方が違うのでしょうね.職人さんをせかせるのは良くないし,さりとて早く欲しいし….友人からちょっとしたコンサートをするので参加しないかと電話が掛かりました.今の心理状況で人前に出たくないので,楽器が届いて以後のコンサートなら出たいので是非また声をかけてください,と言ってしまいました.今の楽器は半年前に断線してから金属弦に戻していますし,お師匠さんに申し訳ないと思いつつ,これではいけないと思いつつ,練習をほとんどやっていません.駄目な私だなぁ.
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2002/2/12
連続感動
CDを焼く為にダウンロードしたソフト,これが又びっくり.録音した音を波形で表示してくれるのですが,それが何と1/100秒単位で加工が出来るのですね.録音した音楽を聴いていて雑音がぽつんと入っている事ってあるじゃないですか.その部分の波形を拡大表示して音を小さくすることが出来るのですね.悲しい事にキカイは楽音か雑音かの判断が出来ないので,一緒くたの加工しか出来ないのですが,兎も角あまり気にならない程度まで抑える事が出来ました.デジタルの世界ならではの技術ですね.それがほんの素人でも出来るところが素晴らしい.おまけにそれが無料ソフト. 昨日に続いて感動のしっぱなしです.
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2002/2/11
生きていて良かった
昨年末前にCDを焼くキカイを買って音楽CDを作るつもりでした.ところがどうやって動かすのかさっぱり解らないままになっていました.帰ってきた子供が”これだけでは駄目で他にソフトが要る,と"何とかファイル…"をダウンロードしてくれて最初の動かし方を教えてくれました.で,昔録音して置いたものを兎も角PCに取り込むことが出来ました.
昨年末は年賀状の印刷屋さん,今年始めから画像ソフトを使って絵を描くカンバス,デジカメを買ったのでカメラ屋さんにもなってくれ,今回は録音機とCD出版社にも早変わり.もともと事務机と本棚と製図板に使ってきたPCはその場その場で姿を変えるカメレオン.こんな感動に襲われるのは今更の事ながら,やっぱり感動ものです.生きていて良かった!
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2002/2/10
帰国した下の子供が昨晩帰省しました. 我が家で預かっていた自分の荷物の整理を一日掛かってしていましたが,明日朝早く岐阜県に着任するそうです.なんとあわただしい事.
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2002/2/9
生い立ち19
延々18回に亘って私の小さい頃から高校くらいまでをご紹介しました.身の上話は,やり過ぎると他人を退屈させるものですが,しかし皮肉な事に当の本人にとって話題は尽きません.新聞などで”自分史”発行を請け負う会社の宣伝を見掛けます.それどころか書き方をコーチするパソコンソフトだってあるようです.”自分史”は本人の自己満足の為には良いものと思いますが,それ以外に効用を探すのは難しい.要は自分の人生には大きな意味がある,又はあった,と言うアリバイの確認作業なのですね.でも自分について語る時に,自分を知る他人の同意を得ようとすると失敗するかも知れない,あやうい作業になりかねません.
この”生い立ち”シリーズも微に入り細に渡って長々書くべきものではなさそうです.お読みくださった読者のご辛抱を感謝します.ありがとうございました.
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2002/2/8
春霞
昨日は霞がかかっていました. 大陸からお客さんが来たようです.山がかすんで見えると春がすぐ近くまで来ている実感が湧きます.秋の霧と並んで日本人好みの景色ですね. 霧は12月だ,と言う人は何か勘違いをしています.私は花札のお話をしているのではありません.
曖昧模糊(アイマイモコ)とした表現は何によらず日本人の心を捉えます.言葉では主語を省略する. 大和絵では背景を雲で隠す.邦楽ではテンポ設定を表示しない.そうでない希少例は中秋の名月だ,とは10月の”ときどき雑記”で書いたことですが,月は確かにはっきりしているものの,月に照らされた景色はやっぱり定かでなく曖昧模糊ですね.
話は飛んでしまいましたが,やがて苦味のある春の草が食卓にのぼります.若い頃は好きではなかったこれらの食材が段々好みになってくるのは不思議です.
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2002/2/6
絵を描く
写生をするとは,頭でなく目で対象を良く見ると言う事のようです.そして見るとは一面からだけでなく,立体的に把握することらしいです.前にも”ときどき雑記”で友人の画家の話をしましたが,彼は樹を描く時に裏に回りこんで枝振りを立体的に理解するそうです,適当に描けばよいのに,と外野では思うのですが〜〜.
ところで何十年も付き合っている楽器のスクロール,こんなもんだと描いてみるのですがどうも格好が悪い….見ているようでそうではなかったのです.頭で見ていたのですね.”サザエを二つ腹合わせにしたようなもんだ”…と.
光の当たり方,反射の仕方も大事. 光の当たり方の表現は微妙な起伏への理解が必要ですし,光の跳ね返し方は質感表現に関係します.それを理解したとして,どうやれば見たように描けるか?
仇やおろそか画家になれるものではありませんね.
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2002/2/5
ジャズ
テレビをつけたらスロージャズを演奏していました.ピアノ連弾のジャズは初めて聴きましたが,若くはないジャズメンの演奏には味がありました.私の好きな構成(p+cb+dms)と言う事もあり,チャンネル回しはそこで止まって番組が終わるまで楽しみました.レイ/ブライアントの若い時のレコードは持っていますが,その硬質の音は柔らかく変わっていました.
今気づきましたが,私の室内楽好きは,ジャズでもそのまま小編成の音楽が好き,と変わっていません.演奏者同士の気持ちのやり取りがより表面に出る,という所に面白みを感じているのです.
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2002/2/2
生い立ち18
最初に書いたように末っ子で,5歳離れたすぐ上の姉を含めて6人もの年かさの兄弟がいることは,私の性格にかなりの影響を及ぼしました.兄弟遊びの仲間に入れて貰えなかったので,母親に甘えるしかありませんでした.兄弟からまともに取り合って貰えなかった事は劣等感を生み,その裏返しに権威に対する反発が根付きました.その劣等感は長い間掛かって克服できましたが,実体を伴わない権威やこれみよがしの権威への反発は今でも強いものがあります.
結婚は,それまでの人生で身に付いた物の見方を見直すよい機会です.家内の人生観は当然ながら私とかけ離れており,そのように違った見方をするものが身近にいる事のメリットは計り知れません.二十代半ばという早めの時期に与えられて有り難い事でした.
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2002/2/1
帰国
アメリカへ渡っていた下の子供が数日前に帰国しました.成田へ到着してすぐに電話があるのではと,家内はそわそわしていましたが連絡なし.では名古屋空港へ着いてから電話が…. これもなし.とうとうその日は何もなし.
親の心配と子の配慮,中々かみ合うものではないようです.その昔,自転車旅行や徒歩旅行をしていた時,あるいは親元を離れて生活していた時に私自身にその配慮が出来ていたかどうか振り返って考えれば"歴史は繰り返す"ものだと諦めなければならないのでしょうね.
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2002/1/31
童謡
子供達がまだ小さい時,童謡レコードを一枚買ってやりました.歌手は小鳩クルミ. 子供はそれを気に入ったようでしたが,思い掛けない事に私も劣らずそのレコードを気に入ってしまいました.歌も上手,その上曲のアレンジが素晴らしいのです.手抜きなし. 童謡はカセットに録音し,車の中でも聴くほどでした.子供が育ち上がった今,このレコードは子供の物でなく”自分のもの”と思っています.
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2002/1/30
演出
ステージでの演奏の質は見事に観客に解ってしまいます.
同じようにテレビ番組のレポーターなりアナウンサーの魂胆もすぐに解ってしまいます.しっかりした内容を伝えようとしているのか,それとも薄い内容を盛り上げようとしているのか.後者の場合は声が高くなり無駄な動作を伴います.”この番組は面白いよ” と声を大にして演出しているのが伝わってきます.今,その姿勢はお昼でもゴールデンアワーでもNHKと民放ではほとんど変わりません.
で,この番組を見るかどうかはチャンネルを合わせた途端に聞こえてくる声で決めてもあながち間違いでないと言う気がします.
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2002/1/29
塗装
オイルステインなどの塗料は一度で仕上げず,想定した色より薄く調合したものを何度も塗り重ねるときれいに仕上がります.そして塗るものが木ならば毎回次の工程の前にペーパー掛けしてやれば美しい木肌になりますし,一度仕上がっている塗料を剥ぎ取って別の色を塗ると深い色合いが出ます.
今作業をしているのはPC上のお絵かきですが,これをやりながら感じるのは塗装技術とよく似ている事です.各段階で保存したファイル数は30枚を越しました.同名のままで改変したものも多いので実質的には50枚にはなるでしょうか.PC上でもやりかた次第で塗り重ね効果が出るようです.
やりながら解って行くインスタント職人.
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2002/1/28
生い立ち17
高校1年だったか”朝の名曲”でアイネクライネナハトムジークを聴いた時,始業時間に間に合わないのを知りながら魅力的なその音楽を聴き終えるまでラジオから離れられなかった事は,クラシック好き自覚症状の発端かも知れません.けれども最初に自分で買ったレコードはハワイアンでした.
メンネルコールに在籍した友人がギターを始めた事,もう一人の友人がバイオリンを弾く事を知ってから再び音楽は俄然身近になりました.でも平均的な青年の音楽好きの程度を大きく越えるものではありません.それはギターを教則本で独習した浪人時代を経て大学のマンドリンクラブに入るまでは変わらなかった気がします.大学1年の夏の合宿を契機に合奏の世界へ言葉通りのめり込んで行きましたが(しかし一方でギターソロも学生時代を通して熱心に練習しました),それを以て音楽好きの始まりとは,もう既に言えなくなっていました.
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2002/1/27
耶馬渓通信1
西谷温泉の入り口を入るとホールで先ず目に付くのは差し渡し60センチあろうかと思われる大きな自然の丸柱.でも木の床と壁に調和して不自然さはありません.
泉温は41度余り,湧出量は毎分80リットル余り.浴槽は10人入ればほゞ一杯の大きさですから出てくるお湯の量はもう十分です.浴槽は一つは桧風呂,もう一つは石風呂. 浴槽に浸かればやがて体はぬるぬるしてきます.石鹸を使ってから入れば石鹸を洗い流し忘れたかと思う位です.
ホールでは地元で出来た加工食品や農産物を買う事が出来ます.みーさんお奨めは,おからスナック(揚げ菓子)と辛子シイタケ,後悔しません.
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2002/1/25
完成寸前
奥田さんのHP全体が概ね完成しました.取り掛かりはトップページ,後半は各ページを製作しましたが,右下のバス画像はこの間中,常に手を加え続けていました. 製作消費時間の割合で言いますとHP全体の8割弱はその小さい絵の為に使った計算です.
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2002/1/23
yamakamiさんのホームページにある耶馬渓交流会のファイルへロビーからリンクを張りました.この企画のご説明はそこに記載があります.
補足説明をしますと,西谷温泉公園は交流会会場から約15分中津方面へ戻ったところですが,新しく出来た温泉ながら,泉質はみーさん特筆のお奨め.密かに作成している温泉番付表では総合点NO1で,ぬるぬる系です.(中津から近いと言う事も評価されています)ただ残念なのは,浴室と浴槽が狭い事,窓が高くて外の景色が見えない事,設計者に疑問を呈したいところです.然しそれ以外は文句なし. 直ぐそばには付設のログハウスが何棟もあって宿泊出来ます.これも環境を含めて文句なし. 音楽を半日楽しんだ後温泉に入って,それから蛍見物,あとは夜の更けるまでログハウスで歓談です.
参加資格は音楽が好きでさえあれば誰でも. どんな楽器を持ってきてもOKです.どうぞHP閲覧者のご参加をお待ちしています.参加ご希望の方は交流会ファイルに専用BBSがありますからそこで書き込んでください.
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2002/1/22
生い立ち 16
音楽を好きになった明確な原因は解りません.親の邦楽好きかも知れないし,蓄音機の童謡かも知れないし,上の二人の姉が小学校で習っていた木琴の危なっかしい音色かも知れないし,先生が弾くオルガンに求める事が出来るかも知れないし,小学校に演奏に来たハーモニカ好きのおじさんだったかも知れません.兎も角,主体的に選んだのは割と手軽に手に入ったハーモニカで,小学校4年生で学校の合奏団に入ってそれを吹きました.中学では入学後直ぐブラスバンドに入ってバリトンを吹きましたから,その時までには音楽好きの素地は出来ていたのでしょう.転校した中学2~3年生の間は音楽活動をしませんでしたが,ラジオで聞いたのかスエーデン狂詩曲とペトルーシュカは強迫観念的に頭に張りついていたので,クラシックを意識したのはこの頃だと思います.
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2002/1/19
生い立ち 15
高校は山口県に戻って下関市. 勉強はそれまで出来ない方ではなかったのですが,だんだん成績は下がって行き,他人に劣等感を持つようになりました.頭の冴えた級友は幾らでもいたのです. クラブ活動は卓球部/写真部/青少年赤十字団などに属しましたが,器楽部はなく合唱は不得意だったのでメンネルに入ろうという気にはなりませんでした.自分の性格にうっすらと疑問を持ち始めたのもこの頃.3年の時卒業アルバム編集委員長に指名されてみて,廻りが見えず他人に任せ他人を立てる事が出来ない自分の性格がはっきりしました.半歩でも下がれば世の中の見え方も随分変わった事でしょう.この性格はその後も長い間ついて回りました.その意味では高校/大学はトンネル時代といえるかも知れません.
ま,トンネルもいつかは出口に到達するものですけれどね.
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2002/1/17
まあ
テレビの音だけを聞いていて,ニュース解説の出演者が”まあ”を連発しているのが気になり,誰が喋っているのか画面を見ました.局の解説委員でした.
”まあ”とは自信がない時に使われる曖昧な表現です.テレビに出演するのはプレッシャーが掛かるとは思いますが,一般人なら兎も角,彼の置かれている立場でなら望ましくない言葉です.
考えてみれば,曖昧表現は便利の良い言葉で,強い主張で相手を傷つけるのを防いでもくれます.自分を抑えて,まず相手を考えるのは日本人の得意とするところで,それによってスムーズな人間関係が保たれています.先に自分の主張をして,違いを明確にして置いてから後に,一致点を見いだそうとする西欧風な思考と対極をなすものですが,その良さを認めた上で,ニュース解説なら曖昧表現を避けてほしいと思いました.
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2002/1/16
生い立ち 14
本論に戻ります.
中学2年から宮崎へ転校しました. 父の職場が当時宮崎にあり,父が私を身近に育てたかったのが理由でした.とは言うものの家族全員の転居ではありませんから私は一人で下宿し,父は学校の官舎でした. (当時父は事業と教職と二足のわらじを履いていました)こんな生活が良かったかそうでなかったかは未だに解りません.兎も角も父母から社会的な訓練を全く受ける事なしに(父母はどうも子供に対人関係の世知を教える事に無関心だった気がします)他人の世話になり始めたのです.
私は割と野放図に育ったので下宿の居心地は決して良いものではありませんでした.それ以上に私を世話する下宿先の人も,だったと思います.随分下宿を変わりました. それを自分の肥やしにするには我が儘な子供であり過ぎました.一番居心地が良かったのは下宿ではなく,食堂の二階でする間借りでした.しかし子供一人きりの生活でも悪い方の道に入らなかったのは見つけものでした.大学に入ってから宮崎を再訪した際,下宿の一軒にご挨拶に伺いました.家の人から目に涙して迎えて頂いたのが,せめての救いです.
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2002/1/15
ニューページ
昨日おとといと奥田さんのHP作りに熱中してしまいました.奥田さんとメールのキャッチボールをしながらトップページ概略が出来上がりました.その完成は細部の見直しの為にあと一週間位掛かるでしょう.その後の手順は ほゞ自動的に進んでゆく筈です.全ての作業終了後に,推敲とだめ押しのアイデアが浮かんでくるのを待つ為に更に一週間は必要でしょうか.M&B ver2製作を半年前から3ヶ月間掛けて経験したので,タグの記述や画像処理は当初のように苦労をせずに済みました.何によらず新しいものを創り出すのは面白い事です.
先週末,このHPを表示するのに時間が少し掛かったと思いますが,全ファイルに僅かの改良をして転送やり替えをした為です.その際”各室の内容紹介””ヒロ広場””リンク集”のページ内リンク項目をポイントした時に一寸した動きを加えました.ポイントした事が解り易くなったと思います.
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2002/1/12
桶と樽
桶も樽も日常生活から既になくなっています.浴室で木製の湯桶を使っている方はおられるかも知れませんが,樽は喫茶店でコーヒー豆を入れる樽を飾っているのを見掛ける位ですね.
ところで,桶と樽の区別はどこでするのでしょうか.私は知りませんでした. 今日得た,まだ湯気の立っている知識をご披露します.それは構造や形の違いから来るのではなく,使う板の方向で決まるようです.木を製材する時に木の芯に向かって切り進んで出来上がる板を正目板(まさめいた)と言います.一方,それに対して直角に切り取る,つまり芯を横手に見ながら鋸を切り進めると板目板(いためいた)になります.正目板を使って作るものを桶,板目板を使って作るものを樽と言うのだそうです.
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2002/1/11
鏡開き
年末に買って飾っておいた二段重ねの鏡餅は,全体が白いプラスチックに覆われていました.今日それを棚から下ろして,割るのはおおごとだけどどうしょう? と思いながら底の紙をはがしてみると,何とびっくり.小さい丸餅が二つずつビニール袋に入っていて,それがいっぱい出てきました.頭の良い事をしてくれたものだ,と感激. おぜんざいにそのまま放り込んで一丁上がり.
一緒に付いていた紙製の三宝と言い,扇子といい,中の丸餅と言い風情はなく,これでよいのか? と思いつつお手軽なので来年もこれを買うことになるでしょう.
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2002/1/10
生い立ち13
寄り道ついでに私の出自を更に遠くから眺めてみます.
祖父は大きな男,祖母は小さな女でした. 祖父は流れ者の皿山(窯業)職人,三好製陶所の親方に気に入られて養子に,祖母は四国伊予で育ちましたが津波で家族が離散し,三好を頼って小野田へ来て祖父と一緒になったそうです.祖父は工夫の良い職人だったと聞いています.製陶所を継いで第一次世界大戦の軍需景気に乗り,祖父は儲けたようです.工場は陶製の薬品瓶も作っていました.
祖母はお歯黒をしていたのを覚えています. 丸髷を結っていたので頭頂は丸く禿げていました.機転が利き製陶所の女将として人使いは上手でした.曾祖父は高杉晋作が作った奇兵隊の隊員だったそうです.それ以外に曾祖父の事は知りません.
曾祖父が営んでいた家内工業的な工場を祖父の代で大きく伸ばし,壮年だった父は教職に就いていたにもかかわらず祖父に呼び戻され親孝行一心で跡を継ぎ,一時は更に大きくもしましたがやがて失敗.縮小されていた事業を末子である私が継いで何年もしないうちに火事の為窯業に終止符を打った,と言う流れになります.火事によってそれ以上のマイナスを負う事から免れたと言えるかも知れません.学校を出て窯業を継いだ後に結婚した当時の私達の生活を振り返って家内は,”あの時が人生の最低,暗かった”と言います.最低ランクから出発出来てラッキーと言う見方も出来ますね.
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2002/1/9
奥田治義の世界
奥田さんのコーナーが今より更に独立性を強めます.いはば私のHPの中に奥田さんのHPが入れ子構造で収まる形を取ります.HPの技術的な側面 (そのレイアウト/細かいデザイン/アップロードや更新の手続き)は私がサポートしますから,その意味では私が全体の管理人ではありますが,そのコンテンツについて奥田さんが実質的な管理人です.これまでの論文に加えて通常のHPに含まれているような他のファイルも用意されると思います.
デザインは私のHPからの独立性と親和性,双方の調和がテーマになります.この際,一から組み立て直してみます. 然し,元々そう考えてデザインしたのですから,現在の見掛けから大きくかけ離れる事はないかも知れません.仮にそうであってもスタート地点から動かなかったのでなく,トラックを一周してスタート地点を通りかかっただけ,とお考え下さい.
奥田さんの世界のリニューアルアップをどうぞ楽しみにして下さい.これから打ち合わせ作業に入ります. 梅の花に間に合わなくとも桃の花が咲き乱れる前にはお見せ出来ると思います.
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2002/1/8
生い立ち 12
末っ子の私は母の腰巾着. どこへでもついて行きました.いたずらが過ぎると母は信じられない位強い力で私を引っ張り,崖に穿った煉瓦張りの畳4枚ほどの広さがある真っ暗な穴蔵(敷地は崖の中程にありました)に閉じこめました.強烈な恐怖で,反抗する意地のない私はドアを叩きながら”お母ちゃーん怖いーっ もうしません 出してーっ”と泣き叫ぶしかありませんでした.
母は大阪で邦楽を教える師匠の内弟子上がりで三味線と琴が一生の趣味.母が三味線を構えた姿はそれが体の一部に変わったかのように自然で,老いて手の力がなくなるまで弾き続けました.その音楽は若干情感に乏しく厳しい音色ですが,十分に歳を取ってからは柔らかく変わりました.7人もの子を,事業に失敗しつつあったお人好しの父を支えながら全員大学までやりましたから厳しい性格も仕方のない所でしょう.邦楽や昔の歌だけしか知らないそんな母が歌う歌の調子は長調が皆短調になりました.自分でもおかしいなと思うのか,途中で笑い出すのです.遠隔地の我が子に送る布団袋の縄掛けは手慣れたもので上手でした.
この12月で満102歳になった母は元気. 介助は必要なものの一人で用は足せるし風呂にも入れます.
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2002/1/7
資料展示室
HP開設当初の”資料展示室”はおよそ二ヶ月間,展示するものがなく全く空でした.その年末に所蔵楽譜一覧表をUPした程度ですが,昨年が明けて以降展示室はこのHPの中でも大変重要なコンテンツを収納する大部屋へ成長しました.”奥田治義の世界”も大きく充実し,今や実質的には別室扱いとなっています.画像が多い事も加わって二つ併せるとHPサイズ全体の75%を占めます.これほどまで皆さんのご助力を頂いている個人HPは少ないのではないでしょうか.管理人冥利に尽きます.
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2002/1/6
デジカメ
手のひらに乗せたら親指と小指が余る位の,可愛いデジカメを買いました.
値段と機能で検討を重ねましたが,どのデジカメも魅力的.選ぶのに困りました. これからは急ぐ写真たった2~3枚の為にフィルム代と現像代を無駄にしなくて良くなりますし,逆にお正月と秋の行楽が一本のフィルムに写る事もなくなります.
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2002/1/4
男の顔
ある人が体調が優れないので医者に行きました.医者は重大な病かもしれないと考え,精密検査をすることになったのです.何度も検査を繰り返し,本人も不安なままに死ぬかもしれないと思いました.一ヶ月以上も掛かって疑いは晴れたのですが,それからちょっとしてその男に出会いました.彼の顔は実に深くて良い顔に変わっていたのです. 心は死の淵まで旅をして,そこで何を見たのでしょうか.
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2002/1/3
お雑煮
日本には家庭の数ほどお雑煮の味があります.その解説が出来る程詳しくはありませんが,そう言う訳で我が家にも我が家スタイルのお雑煮があります.先ず味噌は入れず澄まし汁で出汁は昆布と鰹.お餅は焼きません. 中に入れる具はカブ,人参,春菊です.色で言えば白,赤,緑の三色です. これが山口県の私の実家スタイル.三好家九州支店である我が家ではそれに白菜を入れます.お餅が鍋の底にこびりつかない為の工夫です.(あ,忘れていました,もう何年も前に支店を畳んで九州三好本家と看板を掛け替えていました.本籍地を移したのです)
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2002/1/2
和服
例年元日には和服を着る事にしています. 一年にたった一度,馴れないので着崩れしやすいですね.着方にこつがあるのでしょうが,映画のようにかっこよく着こなす事は出来ません.
和服を着ていて,更にそれが似合う日本人男性に出会う事はなくなりました.冠婚葬祭の時でさえ見掛けません. 私は普段ブレザーを着ているのですが,たまのスーツでさえ借り着を羽織っているような気持になりますから,まして和服を着こなすことは望めないにしても,何とか伝え残したい文化です.
誰か和服ブームを起こしてくれませんか. 若い人達の間で和服を着る事を格好良いと考えてくれるようになればしめたものです.
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2002/1/1
賀正
明けましておめでとうございます. 皆さん,お揃いでよいお正月を迎えておられるでしょうか. 本年もどうぞよろしくお付き合いの程お願い申し上げます.
我が家の元日は次男が一月末まで帰って来ませんので三人でお雑煮を祝います. お昼からは耶馬溪の西谷温泉へ行くつもりです. それ以外は何もせず,のんびりと過します. この一年,たくさん良いことがありますように.