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ときどき雑記2001年d

2011年以降
2010年以前
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03年 03年1/4 03年2/4 03年3/4 03年4/4 04年 04年1/4 04年2/4 04年3/4 04年4/4
05年 05年1/4 05年2/4 05年3/4 05年4/4 06年 06年1/4 06年2/4 06年3/4 06年4/4
07年 07年1/4 07年2/4 07年3/4 07年4/4 08年 08年1/4 08年2/4 08年3/4 08年4/4
09年 09年1/4 09年2/4 09年3/4 09年4/4 10年 10年1/4 10年2/4 10年3/4 10年4/4
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2001/12/31
始まりの終わり
新世紀の元年も今日でお終い.一年前の暮れにはミレニアムと言う言葉とともに素晴らしい未来を期待する雰囲気もありましたが,世界は混乱のうちに最初の年を終えます.二極時代は既に終わり多極化の様相,しかしアメリカは一極化に向かうと信じているかのようです.この認識の差が新たな爆薬にならない事を祈ります. どんな歴史も偶然には生まれない,そして世界の歴史を動かすのは紛れもなく一般大衆です. どんなリーダーもカリスマも一般大衆が支持しなければ只の人間.私たちは賢い大衆になれるでしょうか.

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2001/12/29
予定の連絡
今日から会社関係はどこもお休みだと思います.
うちの上の子は福岡からまだ帰ってきません.若い時分は親の気持ちを忖度することはあまりないかも知れませんね.私もそうだったような…. でもこのときどき雑記を読んでおられる貴方が独身なら,年末/新年の予定をご実家へ知らせてあげてください. 安心されますよ.

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2001/12/28
早めの年末
会社は今日からお休み. 世間より一日早く年末となりました.自宅の窓ガラス洗いをして新年を迎える準備,年賀状は最後のものを午前中に投函.31日まで朝食は私の分担,パポパグラタンを作ります.作り方は微妙に変わって来ているのでいつか娯楽室の小文は新バージョンに書き換えましょう.他の料理は手掛けていません. 来年は"何とかの一つ覚え"と言われないようにしなければ.

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2001/12/27
冬の庭で
我が家の南側と東側はサザンカの生け垣で,主木の添えにもサザンカが二本.万両や南天も赤い実を付けています. ですから冬は結構賑やか.

今年3回も花を付けたキンカンは花に疲れて実はパラパラと付いているだけ.キンカンの木は何の為に花を付けるのかという明確な目的意識を持たないからこう言う結果になるんだぞ.植える時に余分に深掘りして,しこたま肥料をやり,根が伸びた時に栄養が摂れるようにしたのに遊び事に浪費するのは止めろよな.蜂だって三度目の花には飽きて寄って来なかったじゃないか.

キンカンのお話は色々に読み替える事が出来そうです.

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2001/12/26
生い立ち11
少し父の話をしますと,結構子煩悩で,仰向けになって足のすねに私を乗せてあやしてくれていました.上の兄弟には成績に厳しかった父は,女の子二人を間に挟みながら更に5年置いて50歳近くになって生まれた末っ子には若干甘さがあったようです.

中学1年の時,庭に金魚池を作ろうと思って甕(かめ)を埋め,その廻りを1m×1.5mの広さに煉瓦で囲ってモルタルで仕上げたのですが,途中で父が手伝いを始めました.手元が暗くなって私は集中心を失い止めてしまいましたが,父はその後も電灯の光を頼りに夜遅くまで掛かって仕上げてくれました.そんな父の集中力には父が亡くなるまでかないませんでしたし,未だにそうです.

又,大変節約家. 買い物では大枚をはたくものの,出かけて一人で昼食を取るのはいつも駅の素うどん.どんなに距離があってもバスがなかったらタクシーに乗らず歩きました.私が広島にいた20年余り前,広電鈴が峰駅から住んでいる中地まで父が訪ねて歩いたのは良いとして,迷ったらしく40分くらいの所を2時間歩き続けて,とある店に倒れ込んでお店の人が電話を掛けてきてくれた事があります.やがて80歳位の時です. タクシーに乗らない性分は私に伝わり,家内もそうですから私の子供にまで遺伝しています.子供はタクシーに乗るのは罪悪感を伴うそうです.外食を好まないその性分も私に伝わりましたから同じようにそれも子供に伝わってしまったようです.

父の経済的能力は図抜けて低く,お人好し. 家族をさておいて他人に尽くす男でした.

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2001/12/25
クリスマス
今日はクリスマス. どちらかと言えばサンタさんが活躍する前夜祭の方に一般の(特に子供達の)興味は向いていますね.昨晩ご家庭では子供さんを中心に一家の絆を確認された事でしょう.子供が育ち上がってしまった我が家では他の364日と変わりませんでしたが,それでも気付いてみれば我が家の表札に小指位の金色のベルが何個かぶら下げてありました.うちにも遠慮がちに訪れたようです. クリスマスおめでとう.

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2001/12/24

私は材料としての皮が好きです. 手入れをすれば風合いが出て長持ちします.少し位値段が高くても手入れが出来て長期使用に応えてくれる材質で出来た商品を買うように努めているのです.それによって気持ちよく使えた上で一年当たりの単価は返って安くなります.ですから履く靴も当然のように吟味した革製を使ってきました(ブランドはこだわりません)ところが秋からジョギングシューズ(ランニングシューズよりは底が堅くて厚め)を普段履くようになりました.

色の地味なものを選ぶのですが,やっぱり派手目,いつも羽織っているジャケットとは違和感があります.それでもなお,一度履き始めたら止められなくなりました.足が靴の中で全く踊らず,歩こうとする努力を100%地面に伝える能力は,歩きに良いと言われるウォーキングシューズ類より更に優れているようです.交互に出す足で生み出す推進力の最後の仕上げは,親指とその付け根で地面を後方に押しやる事なのですが,(これを意識すると歩く姿勢は自然にすっと伸びます)それが実にスムースに出来ます.革靴のようには手入れ出来ず,ザブ洗いしかないので,このたび色違いの二足目を購入しました.

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2001/12/23
生い立ち 10
我が家には当時珍しいポータブル蓄音機がありました.邦楽レコードの中に童謡や”のらくろ”など子供用のSPレコードがあって,鉄針を替えながら一心に聴きました.そのうちの6枚は今でも私のレコード棚に持っています.手に持ってみれば本当に懐かしい.そんなSPの中に紀元2600年の歌がありました.日本の神話による建国の時から2600年目に当たる年を記念した軍国主義の匂いがする歌です.調子がよいので好きでしたが,聴いていると兄が”紀元2600年なんか嘘やど."キンシ輝く日本"なんかありゃせん”とひどい勢いで取り上げた事があって”何で悪いんじゃろ,ええ歌なのに”と不思議に思った事を覚えています.(キンシとは金色の鳶の事で,神武天皇が戦いをする時その弓先に金色の鳶が止まって勝利を導いた,と言う神話があります)

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2001/12/22
自分なら
池田小学校で闖入者が子供達を何人も殺害した事件についてその後の教師をレポートしていました.それに触発されて自問自答.

”その教室の担任教師だったとして,突然犯人が子供達の殺害を開始した時,次の行動のうちどれが一番望ましいか,一番良くない行動は何か.それぞれについて四肢択一せよ”
1) 職員室に駆け込み,応援を頼む
2) 残った子供達を連れて一緒に逃げ出す
3) 学童椅子を振り上げて応戦する
4) 自分が殺されるかも知れないから放置して逃げる

次の質問. 選択肢は上記と全く同じですが,質問内容は”犯人が子供達の殺害を開始した時,実際に貴方はどういう行動に出ただろうか”

結構厳しい設問ですね. 予期しない事件に直面してとっさにどういう行動が取れるか,どういう行動しか取れないか,他人事としてでなく自分の身にふりかかったこととして考えてみると見え方が違ってきませんか.

そしてそんな予期しない出来事に直面した時,本当の自分と対面するのです.

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2001/12/21
とってぽ つたいば はだつぱでぃ
これは風邪引き語です. 和訳すれば”とってもつらいわ鼻づまり”となりますが,日本語でないので平仮名ではうまく表現出来ません.ずっと以前風邪薬の宣伝に使われていたものです.家内は鼻が詰まると風邪引き語を上手に操ります.合いの手には”げへいへいへい” (ひとつひとつに濁点がつく)を入れます. これを風邪引きでない時でもちゃんと発音出来るからなかなかのもので,教えてくれるのですが私には難しすぎます. かなりわざとらしく風邪引き語を喋るので最後は大笑い,風邪でも結構楽しめます. とは言え皆さんお気を付け下さい,流行っています.

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2001/12/20
生い立ち 9
時々学校から映画鑑賞の許可が出て,そんな映画は安く見る事が出来ました.小学校5年生のころゴジラが町にやってきました.映画館の前に大きなゴジラのバルーンが揚がって,その下を通るのはとても恐ろしく,下を向いて駆け抜けました.ラジオは一般的な庶民娯楽です. 子供向けの連続小説”やん坊にん坊とん坊”や”笛吹童子”は欠かさず聴いていました.相撲実況中継は大人から子供まで大変人気があり,歓声でアナウンスが聴き取れないのに一生懸命耳を澄ませたのです.人気力士は初代朝潮,吉葉山などでした. 浪花節も同じように子供にまで人気がありました.春日八郎の”お富さん”や”真室川音頭”は流行りすぎて小学校では歌う事を禁止されました.童謡歌手は何人もいましたが(女優高峰秀子も小さい頃歌っていました),美空ひばりだけは小さいのに大人の歌を歌っていました.一寸目立つ女の子は”美空ひばりじゃーや”と囃し立てられたのです.一般的には敗戦後の人心を鼓舞しようとしてか明るい前向きの歌が多かったと思います.

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2001/12/19
生い立ち8
男女共通の遊びはかくれんぼ,鬼ごっこ,だるまさんが転んだ(鬼は木の幹などに向かって目をつぶり,1から10まで数を叫ぶ.その間に他の者は鬼に近づく.鬼が振り返ったときに少しでも動いたものは負け.だんだん鬼に近づき鬼が目をつぶっている間に体をタッチ出来れば鬼の負けで皆ワーッと散る.当時はこの遊びをだるまさんが転んだ,とは呼ばなかった),缶けり(缶詰の空き缶を立て,鬼がそれを守る.大勢は鬼を遠巻きにして,隙があれば走り込んでその缶を蹴飛ばす.蹴飛ばす前に鬼に体をタッチされたら遊びから除外される.缶を蹴飛ばされたら鬼は拾いに行って同じところへ又立てる.鬼が全員をタッチするまで続く). ドッジボールは個人で球を所有している子はいなかったので学校の遊びでした.私は敏捷でこれは得意,一人だけになっても大丈夫という自信がありました.

思い出せば遊びはまだまだたくさんあると思います.

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2001/12/18
時代を作る
初めてユンディ/リという中国人のピアニストをテレビで聴いて知りました.この19歳の青年は昨年のショパンコンクールの優勝者と言う事ですから18歳と言う若さで優勝したようです.

この人の清冽な音楽を聴いて,このようなスタイルが今の,又はこれからの音楽(ピアノに限らず)の流れかも知れないと思いました.乱暴に言えば1960年代までの音楽はちょっと持って回った叙情性,それ以後はピアニストならポリーニのような,叙情性から少し離れた演奏が目指されたと思っています.それらのような音楽も好きなのですが,このたびユンディ/リの演奏を聴いて,音楽家が再び叙情性を取り戻してゆくのではないだろうかと,そんな気がしました.それも整理された,いわば清潔な叙情性を.

彼はインタビューの中で,時代に沿った演奏をしなければならないと語っていました.けれどもリさん,あなたが時代を作ってもいいのですよ.彼のCDは4年後の23歳の演奏を買って見たいと思いました.

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2001/12/16
今年記憶すべき私的な出来事
■バスの師匠についた事.
■三台目となる15インチノートパソコンを手に入れたが初期不良に悩み,記録的回数の再インストールをした事.
■下の子がシアトル近郊のボーイング社へ派遣され,777の製造に携わった事.
■一年二ヶ月サボっていた運動を5月に再開した事.
■フレンチ弓へ,奏法の大転換を図った事.
■野田さん愛用のフレンチ弓,シャルル/バザンを譲って頂いた事.
■卓上スタンド,エンドピンレスト,小銭入れをデザインして作って貰った事.
■色の付くCADを手に入れ,私にとって製図新時代となった事.
■大学卒業以来35年振りにマンドリンクラブのOB練習会と懐かしコンパを開き,盛会だった事.
■生まれて初めて夫婦で海外へ行った事.
■ホームページのデザインを変えてVer.2になった事.
■今年も気持ちよく仕事が出来た事.

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2001/12/15
孤独の効用
昨今,孤独であると言う事が難しくなって来ていますし,若い人達は孤独を怖がっているように見えます.いつも誰かと話をしていないと不安なのか,携帯を握りしめているようですね.半日も孤独でいると色々とものを考えるようになります.その時間は人と会話をすると同じように,場合によってはそれ以上に大事で生産的でもあると思います.孤独をプラスイメージで考えるようにしては如何でしょう.

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2001/12/14
生い立ち7
女の子の遊びは,お手玉(歌いながらする)やおはじき/綾取りなどは良く知られていますが,他に外遊びでは石けり(地面に家の間取りのような区画を描いて,片足でケンケンしながら瓦くずなどを蹴り進み,その石が一部屋ずつをはみ出ないように経巡る遊び)やケンケンパ(同じように家の間取りのような区画を片足区画/両足区画と定めてその通りにしながら奥の院まで行き,そこに置いてある石を拾って戻ってくる),縄跳び(ぐるぐる回しでなく,両側に立った子が端を持って地面を掃くようにゆっくり揺すり,中の子は歌を歌いながら紐を飛び越え飛び越えする),毬つき(歌を歌いながらつくのですが,当時は知らなかったものの,今考えたらその歌は何と日露戦争を歌ったものでした.終わりはお尻の後ろでボールをキャッチします)などがあり,中でも活発な遊びはゴム飛び. 運動会のゴールテープのようにゴムひもの両端を持って貰い,走り高跳びのようにしてそのゴムを越えるのですが,すばしこい女の子は頭の上の高さのゴムも飛び越えました.

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2001/12/13
生い立ち6
男の子の遊びで忘れてならないのがビー玉. ラムネの瓶を割って中の玉を取り出しても使えましたが,お店で買ったものは惚れ惚れするような色が付いていました.細かいルールは忘れてしまいましたが,地面に散らばっているビー玉を狙いすまして当て,その弾かれ方で自分のものに出来ました.

自転車の車輪をリムだけにして木の枝をあてがい,追い転がす遊びもありました.自転車は珍しかったのでリムが手に入らず,限られた子しか遊べませんでした.とても羨ましかったものです.

私の家は皿山(窯業所)だったので粘土は豊富にあってそれでも遊べましたし,工場は広く雨の日などの格好の遊び場でした. 怒られながらも目を盗んで遊びました.

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2001/12/12
生い立ち 5
子供同士の遊びは,独楽回し(喧嘩独楽),世界一周(地面に地図を書き,鬼にタッチされないようにその外周を巡る),ブチ(地方によってはパッチンとも言い,地面に置いた札の直ぐそばに自分の札を叩きつけて風圧で相手を裏返しにする),敵味方に分かれたチャンバラ(細い木の枝を刀に削る為,男の子は小刀を各自持っていました).山に遊びに行って木登りをしたり小川で鮒やエビを掬ったり,何人か寄れば遊びは屋外.田舎ですから季節を通して外遊びのタネは必ずありました.冬は押しくらまんじゅうや馬乗りで体は直ぐにホカホカ.

メンバーが足りなければ”○○ちゃん,遊ぼーやー”と外で叫べば家から出て来ない男の子はいません.遊びの中で得手勝手をするとヒキョーと言われ,卑怯は子供ながら最大の恥でした.同学年の子だけで遊ぶのではなく,隣近所総出ですから小さい子は年長の子に教わりながらそれなりの役を貰って遊んだのです.家に帰るのは遊び続けられない程日が暮れた頃です.夏の間は日が暮れないので,どこかの親が呼びに来るまで遊びました.体を洗わないと家の中に入れて貰えない程汚れ,手足から血を流しながら家に帰るのが常でした.傷は気付いた時にヨモギの汁を擦り込んだらそれでお終い.

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2001/12/8
ギャラリーコンサート
今日は下関市美術館へコントラバスを聴きに行ってきました.藤原清登氏とパーカッショニストの福家俊介氏のギャラリーコンサートでした.8対2位の割合でpizzの多い演奏,楽器は後で聞いたらガダニーニとの事,伸びのある柔らかい音で流石.ネック勾配をつける事で弦高の低さ(Gで6ミリ位か)と弦の張りを得ているようです.駒は高さ調整ねじ付き. GDはフラットクローム,AEはトマスティークをフレンチで弾いていました.

帰りに唐戸の旧英国領事館喫茶店で家内は例によってテーブルパフォーマンス付きのカフェオーレを飲みました.パフォーマンスが終われば感激の拍手.

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2001/12/6
生い立ち 4
木とニューム管と紙で作る模型飛行機は大好きでお小遣いを貯めては買って作りました.”少年クラブ”の付録には型紙が付き,それを切り抜いて糊で貼り付け色々なものが出来ましたが,当時子供向けの雑誌は付録の数の多さを競っていましたからとても楽しみでした.
他に定期購読したのは”子供の科学”,付録で読者の歓心を買わずひたすら真面目な編集態度でした.幼児期には母は”ひかりのくに”という創作童話の本を時々買ってくれました.本を読むのは好きでしたから親のお土産は本でした.今でも持っている当時の本は兄のものだった”僕らの物理界”と母から買って貰った”自然のしくみ”,それらの本から科学好き物理好きに育てて貰ったようです.NHKの天文/物理などの科学番組は相も変わらず大変好きです.

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2001/12/5
訃報
”娯楽室”の”青春旅行 その1”でご紹介した,島根県湖陵町で,夜なのに見ず知らずの方に思いがけず泊めて頂き,ご馳走になったおうちのご当主が今年2月に亡くなったと,泊まるきっかけを作ってくれた息子さんから先日お葉書が届きました.92歳との事なので逆算すれば出会ったのはご当主が丁度今の私の歳頃です.見るからに奥行きを感じさせるお人柄でした.私の青春時代もこれで又一歩遠のきました. ご冥福をお祈りします.

昨年の今頃は大学時代の下宿先のおじさんの訃報が,やはり子供さんから届きました.学生時代,おばさん共々さりげなく良いお付き合いをして頂きました.家族の風呂は時折り私や同宿の後輩が焚き,何か嬉しい事があれば賄い付きではないのにご家族と共に食卓を囲み,こちらの配慮が足りない時は耳のカユくなる(痛くなる程でなく)お小言も頂き,それかと言って干渉はせず,遠い親戚のようなお付き合い.このご夫婦とも本当に長い間一年に一度,年賀状のお付き合いが続いていました.

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2001/12/4
生い立ち 3
給食が始まったのは入学して何年か後. それまでは弁当を持って行きましたが,おかずを買うお金もない家が多く,真ん中に梅干しを一個置いただけの日の丸弁当も.女の子はそれを恥ずかしがってアルミの蓋でお弁当を隠しながら,その隙間から箸を差し入れて食べていました.飽食の時代といわれて久しいですが,ほんの50年前の話です.学校近くの町の子は,自転車の荷台に枠を立てた紙芝居屋のファン.僅かのお金で水飴を買えば三本立ての紙芝居を見る事が出来ました.学校へ行くのにお金は貰えませんでしたから私はいつも横目で見ながら通り過ぎました.少し離れていれば見えるし聞こえるのですが,それは出来ませんでした.

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2001/12/3
ジョージ/ハリスン
彼の死は皇孫誕生と重なって余り大きな話題になりませんでしたが,この何十年の間ビートルズほど大きなインパクトを与えた音楽家を私は他に知りません.和音的にも目新しかったと思うし,短い間にそのスタイルをどんどん変えて行く程,懐の深い音楽性を持っていました.一度出来上がったイメージを後生大事に墨守するタイプの芸術家(大きな意味合いで)が多い事を考えると,彼らの存在は奇跡に近いものがあると思います.キリストの次に(だったか?キリストよりもだったか?)有名になったと言う彼らのせりふの冗談を解さず,思い上がっているとこき下ろされた時期もありましたね.でも実力でそれをカバーして行きました.

社会に出て程なく,徹夜で窯炊きをしている時(私は窯業工場で作業員でもありました)深夜放送のラジオでビートルズの新曲を,明け方の藍色の景色の中で聴いた事をはっきり覚えています.ジョージ/ハリスンが私と同い年というのは,このたび初めて知りました.冥福を祈ります.

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2001/12/2
昨日のニュースは皇室一色でした.
お世継ぎの話だし,アフガンに飽きていたのでしょう.皇室に対しては,というか昭和天皇の,あのすさまじい激動の渦中で見せた思考と行動に対して知る程に大いなる敬意と親愛の情を抱いていますが,これは一寸やりすぎでは….公人としてある程度プライバシーを侵害されるのは仕方ないとは思うのですが.皇室には遠くから敬意を払う方が皇室活動をやりやすいと思います.一挙手一投足を話題にされては動く事が出来ません.そうなると本音が聞こえてこなくなり,当たり障りがなく人間的な面白みのない皇室になってしまいます.奥さんを全力で守っても良いではありませんか,公務をきちんと果たす事を勿論前提にしての話でしょうから.

第一子が女だった事で女皇(女帝ではないとおもいます)の可能性が取り沙汰されるでしょう.推古天皇/持統天皇はたしか女でしたね. 今の皇室典範(男子相伝)が定められたのはいつでしょう?

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2001/12/1
生い立ち 2
まだノミやシラミが沢山いる頃で,学校で女の子は頭にDDTの粉末を振りかけられました.数少ない長髪の男の子だった私も振りかけられて真っ白.夜寝る時は浅田飴風の缶入りDDTをペコペコと敷き布団に振りかけて寝ていました.今考えれば恐い事です.
当時の子供達は皆文字通りハナ垂れ. ハンカチもちり紙も持っていませんから揃って袖口でぬぐっていました.ですから袖口はどの子もてかてか光っているのです.履き物はゴム草履が多く,ベルトのない子は縄で締めていました.靴下は直ぐ破れる綿製,母がしょっちゅうかがってくれました.どの親もその日を食べて生きるのが精一杯. それでも,と言うよりはそれだからこそ子供達は明るく野放図に成長したのです.

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2001/11/30
生い立ち 1
私は8人兄弟の末っ子. 長男は彼がごく小さい時に病没したので7人兄弟のやっぱり末っ子.戦争末期に掛かる頃に生まれたせいで栄養不足で育ちました.母の乳が出ない時は米のとぎ汁を飲まされたそうです.そのせいか今でも男兄弟で一番背が低い. 10分余りの距離にある保育園に入園しましたがお昼寝時間に寝かされるのが嫌で不登校児となり,先生が迎えに来ると柱に抱きついて離れませんでした.けれど小学校はお昼寝がないので好きでした.入学試験は10まで数を数える事. 真新しい教科書や文房具の匂いは今でもしっかり覚えています.隣に座るのは津苗ちゃんと言う子で ”仲良しになろうね”とこまっしゃくれた話しかけをしました.いつも早めに登校し,担任の青木先生が校門を入ってくるのを皆は教室の窓から大きな声で”先生おはようございまーす”と迎えました.

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2001/11/27
政治家の顔
顔ウォッチングは面白いです. 政治家が何かを主張する時に見せる顔は,本音なのか選挙民向けの営業フェイスなのか,はたまた知らない所で行われた密約を取り繕う顔なのか,日本を動かす公人としての理想を語る顔なのか.総合的な判断が出来る能力を持った顔なのか,自己顕示欲の勝っている顔なのか.そして政治家はその鑑賞に耐えなければなりません.

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2001/11/25
デスクトップ表示の工夫
私がしているやり方をご紹介します.

■画面下部のバー(タスクバー)を隠して画面を広く使う
”スタート”→”設定”→”タスクバーとスタートメニュー”→”全般”から”自動的に隠す”にチェックを入れるとバーは隠れます.再表示するにはポインタを画面最下部に当てます.ポインタを外せば又隠れます.画面がこれによって広く使えてすっきりします.

■常時使うソフトやフォルダのアイコン置き場所
アイコンをデスクトップに沢山並べるやり方が一般的ですが,常時使うものがそんなに多くない場合はタスクバーに置いた方が素早くポイント出来ます.”スタート”→”プログラム”でインストールしているソフトの一覧が表示されますが,その中から常時使うものをドラッグアンドドロップでバーの”スタート”マークの直ぐ右に落とせば終わり. 自分で作ったフォルダでもファイルでも,そのアイコンを画面上からドラッグアンドドロップでタスクバーに落としてやります.アイコンを置くスペースは拡げる事が出来ます.

一般的なやり方(デスクトップにアイコンを置く)に比べての長所は,他の作業を全画面でしている時に呼び出しが簡単に出来る事.デスクトップにアイコンを沢山置けば探し当てるのに苦労をします.常時使わないソフトのアイコンならデスクトップに置かず,やっぱり”スタート”→”プログラム”の中に置いた方が良いと思います.私はデスクトップ上のアイコンは,絶対に移動出来ないゴミ箱等の三つに限っています.ワードやエクセルやメールソフトなど常時使うものは全てタスクバーに置いています.やってみればそのメリットが解ります.但し収めるアイコンが多すぎるとやっぱり使いづらくなりますよ.思い切りも大切です.

■ スタートメニュー上のアイコンを減らす
”プログラム(P)”は下から7番目にありますが,それから上のアイコンは不要だと思っています.”プログラム”から表示される,その先のアイコンも絶対使わないだろうなと思うアイコンは全部削除します.すっきりして必要なものを探すのが楽になります.

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2001/11/22
飛騨/木曽話 その2
不思議な事に,寒さを家の中に入れない特別な工夫は,駆け足する目には見当たりませんでした.(古い民家のお話しですよ) 冬は囲炉裏とどてらと陶器製の湯たんぽがあれば過ごせる,と言う事でしょうか.現代の,暖かい九州人の感覚からは信じられません.空っ風が名物と聞く上州でも同様でしょうか.

豪雪地帯では雪が積もってしまえば暖かい,と言うのは彦根に住んでいた時にかまくらを作った経験から知っていましたが,平安時代の貴族だって蔀(しとみ)戸に板張りの床,時代を降って兼好法師を待つまでもなく日本人に建物で寒さを防ぐ考えはなかったのでしょうね.白川村の五層の民家では,囲炉裏の暖気をストレートに上階に送り届ける工夫はありましたが,土地の人に聞いてみれば”やっぱりすごく寒い”という答えが返ってきました.そうでしょう,背の高い建物では風を受けて,暖気以上のすきま風が入ってくるようです.お隣の韓国ではオンドルという優れた保温装置があるのですが,大和時代からの長い交流の歴史があっても何故それを取り入れなかったのでしょうか,不思議です.

それは措いて,高山/妻籠と どちらの町にも丸一日ずつ滞在したいと思わせる風情がありました.でも団体行動は最初から解っていた話. 別に機会があれば又訪れてみたいです.上を見上げるばかりの首の痛くなる旅になりました.他に白川村ではどの様な手順で合掌造りを建築(棟上げ)したのだろうか,という点に大変興味を持ちました.

高山で見掛けた,古くて小さいある民家の玄関に取り分け魅力を感じ,しばらくはそこから足を進める事が出来ませんでした.玄関灯を含めてその何気ない品の良さは,豊富な木材と長い伝統に裏打ちされたセンスだと思います.この旅行にはカメラを携行しませんでしたが,それで良かったと思います.カメラを使わない事で,その形ではなく心を写し取る事が出来た気がしています.

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2001/11/21
飛騨/木曽話 その1
これまで旅行は私個人が気の向くまま,立てなくて済む予定は極力立てずにやって来ました.今回は全てが異なるやり方. スケジュールは私と関わりのない所で決まり,初めて顔を合わせる人達と3日間の団体行動です.無料で行けるこの旅行会はこれまで家内が参加してきました.今回は家内のピンチヒッターです. 詳しいスケジュールはほとんど知らないままでしたから,私にはいはばミステリー旅行みたいなものでした.加わってみればこんな団体旅行も良いところが沢山あります. 以下はアメリカ話と同じ手法で,旅行記としては具体性のない主観的なインナートリップのご紹介です.

今回を振り返ってみればグルメでない私自身のテーマになったのは,蕎麦でなく”日本の民家”でした.約10年前能登半島で感じたものの延長線上ですが,更に強く思ったのは民家のデザインはその地方の気候特性に大きく左右され,その地域社会の態様と深く関連づけられているのではないかと言う点です. これは直ぐに思いつく事ではありますが,社会のあり方との関連はその地方の歴史を知らなければ軽々には発言出来ません. 気候もその地に住んでみなければ本当には納得が行かないものです.でも,駆け足旅行者の無責任な想像力に於いて,現に有る民家の形態から逆にそれらを考える事は出来ます.いつかそれを正しく検分/実証出来ることがあれば良いなと思うのですが,果たして?

北の地方は雪対策が大きな課題となっているはずです.屋根の雪をどう処置するかは集落の特質と大きく関わっていそうです. 高山と妻籠はどちらも家の前にかなりの人通りが前提になっており,その屋根の雪は前面道路に落とさない考えのようで,過去に訪れた福井県勝山とは方向が逆のようです. と言う事は積雪量が左程多くはないのでしょうか. 又高山の家と妻籠の家は,その基本は同じようであっても微妙にスタイルが違います.代官所がある裕福で大きな町と,ほとんど遊興施設のない小さい宿場町の違いも鍵になりそうです. この二つの町に特に心を惹かれました.

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2001/11/20
年賀状
平成8年から会社で刷る年賀状も自分のデザインにしています.干支にちなんだデザイン,文字のアレンジによるデザイン,年によって色々です.その時の思いつき. これが又楽しい.

以前は出来れば楽をしようと印刷屋さんの持ち込む既存のデザインや文字を検討していましたが,なんかどっか違うのです.例えて言えばよそに植えてあった樹木を我が家へ植え替えたばかりの枝振りのような気がするのです.会社設立前は個人用にはゴム板を彫って取り替え引き替え使っていました.前述したようにここ5年は自分でデザインしたものを印刷して貰っています.今年はHPリニューアルの為に買った画像ソフトがありますから,それを使って手書きのデザインをPCに取り込んで,細かい鉛筆ミスを整形した上で印刷まで自分でやる計画です.

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2001/11/18
朝の通学路
私の通勤路は通学路そのものです. 直ぐ近くに中学と高校があります.朝の時間によってはゲームで言えばレベルAだったりレベルBだったりします.

その昔,私たちも”一列に並んで行けっ!”と恐い先生から怒鳴られていました.子供達というものは仲間意識が全てに優先しているのでしょうね,並んで話しながら登校したがるようです.今は車社会,昔とは比較にならない位車が増えましたがやっぱり子供達の性向は変わりません.増えた車は一列に並んで(それは当たり前か_)進んでいる一方,子供達は狭い道を我が物顔に3列横隊位で通っています.父兄や先生が通学路の要所に立っていますが誰も注意しません.一体あれは何の為なのでしょう,寒いのにご苦労様です.”おはよーっ! 縦に並んで歩こーねっ”と元気に言ってあげれば?

車に乗るなら,子供や老人を見たら赤信号と思えと教習所で習います.それは全くその通りで歩行者や自転車の行動予測はつきません.交通弱者を保護する意味からもそうでなくてはならないと思います.同様に子供達にも”車を見たら車と思えよ”と教えなければなりません.そして理解の上実行させなければ教育ではないのです.

頭ごなしに指導するだけでなく,子供達に通学路の実体を車の視点から見せる為に朝の車の助手席に乗せてみたら如何でしょうか,全国の町の教育委員会殿,そして子供さんを持つ親の皆さん. 子供の社会教育/道徳教育なら,やっぱり基本は親の出番.知育は? _学校と子供さんに過度に介入しない事です.全人的に見ればその方が成功率が高い.

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2001/11/13
コロッと
関口さんの書き込み”コロッと仏弓に//”. 関口さんの奥様も同様.野田さんの書き込みに依れば奥田さんも,みーさんも”コロッ”.実際,その通りです. きっと他にも大勢が_.野田さんの技には,そんな魔力が潜んでいるようで_.

私こと,みーさんも一年前の秋に野田さんのHPを読んで,以前からやっていた座奏の延長線上,手を伸ばせば届くところにそれまで考えもしなかった仏弓があり,それは私の演奏スタイル,やりたい音楽にきっと良い効果を及ぼすに違いない_と仏弓を手にする前に確信を持ってしまいました.例えて言えば,組み付く前に倒される,空気投げを食らったようです.コロッと. だから練習用のフレンチを手にしてからというもの,ホイヤーでは弾いていません.手にしてから後戻りしたり,逡巡することはありませんでした.

野田メソードのもう一つ,バイオリン用の松脂は私の腕では使いこなせず,滑って弾けないのではと危惧していましたが,なんの心配は杞憂でした. 松脂をつける頻度は逆に減ってしまいました.その松脂の理屈と効果は奥田さんの論文に詳述.

しかしジャーマンに愛着と信念をお持ちの方もおられる訳で,このサイトはフレンチを無理強いするのではありません.でも,その信念を確固たるものにする為に一寸フレンチに触れてみるのも悪くはありませんね.

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2001/11/12
エンドピンレスト
ISBJでエンドピンレストという言葉を使って投稿された方がいました.エンドピンレストとは私の造語と思っていましたが(車のフットレストやヘッドレストからイメージを受けました),世の中広いようで狭いですね.同じような命名をされる方がおられたようです.(私のHPを見て名付けたと思う程の自信家ではありません)

それはどこかのメーカーが作って売っている直径25センチの円盤のこと,突き刺す真ん中の板は交換可能だとのことです.交換部品の嵌合はしっかりとしなければ共振が発生しそうです.一度それを見てみたいものです.

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2001/11/6
感謝
お陰様で無事に一周年を迎える事が出来ました.
娯楽室内に,ときどき雑記一周年記念拡大版を掲載しました.どうぞそちらをご覧下さい.

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2001/11/4
ご縁
一年前,最初のときどき雑記にこう書きました.”このHPで色々な人と知り合いたいし,また掲示板で出会った訪問者同志が親しくなって頂くのは嬉しい事です.”

一年間が早くも過ぎようとしている今, 訪問者同士の輪も広がって行きつつあるし,私も色々な人に巡り会えました,ネットでなくては決して出会えない多くの人達と.

そうなればもっと欲が出ます. 閲覧して下さる皆さん一人一人とお知り合いになれたら_そして訪問される皆さんの輪が更に広がれば_.

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2001/11/3
怪我/火傷
その先生のお話の続きです. 次の話を,私自身は実行を長い間忘れていましたが,習った当初家族でやっていて効果があったのでお伝えします.怪我や火傷をした時に,痛いっ!熱いっ! と言ってしまいますね.これをその代わりに直ったっ! と瞬間に言うのは難しいですが,そう叫ぶのです.心がちゃんと理解するように大きな声で叫ぶとより効果的. 次に怪我をした事まで含めて意識の外へ追いやるのです. 勿論しっかり手当をしなければなりませんが,そう叫ぶ事で傷の治りは早いし痛みも少ないです.一寸不思議な本当の話. 次の時に覚えて置いて瞬間にやってみて下さい.

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2001/11/2
風邪を引かない
風邪のシーズンになりました. 私は20年間で2〜3回しか風邪を引いていません.実はこれに”からくり”があります. さる,物の考え方を教える教室があって,友人の薦めでそこへ通った成果です.体は心でコントロール出来る,という事を先生は教えていました.その先生は”自分は200歳まで生きるんだ”と言っておられました.実際はその後それよりうんと早く亡くなったそうですが,私はその教えを受けてから風邪を引かない事に心を用いようと思い,そうして来ました.風邪を引きそうになったら早めに普通の対応をするのです.ですから鼻風邪位で直ります. 直った後にこう思うのです”私は風邪に罹からなかった” .

なーんだと思われるでしょうね. でもこれを何年も続けるとそれはまやかしなどでなく大きな自信に変わります.それまで会社を休む程の風邪を年に3〜4回は引いていたのに,その自信は私の体を実際に変えました.この話は明日もしましょう.

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2001/11/1
傍証
昨夜のNHKテレビ,クローズアップ現代で老人の体力維持について,茨城県だったかのある村のレポートを放映していました.歩く(有酸素運動)だけでなく,簡単な筋力トレーニングを導入する事で体力の維持をしていて,大変大きな効果を上げているようです.体育大学の指導によるプログラムを実行した老人の体力年齢が平均で13歳も若返ったというレポートでした.これはたまたま老人のお話ですが,勿論老若を問わずどの年齢層にも当てはまる事です.娯楽室で取り上げた”体力維持のすすめ”がNHKによって傍証された,と意を強くして見ました.皆さんも良かったら実行を !

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2001/10/31
季節感
後60日ほどで新年. なのに我が家ではまだ朝顔が咲いています.鳥が運んできたのでしょうか 思い掛けないところからツルが伸びて,咲き始めたのは9月も半ば過ぎ,随分のんびり屋です.庭に出れば未だ蚊は居るし,そういえばキンカンの花は今年都合三回も花を付けました.三回目は流石,真面目一方の蜂も食傷したのか,余り寄って来ませんでした.今年の季節感のない事,まるでスーパーの野菜売り場です.


2001/10/30
無駄な習慣
学生時代は指揮者になった後もギターに夢中になり続けていました.楽器を持たない時でも右手が空いていたらアルペジオを,左手の指の背を弦に見立ててあらゆるバリエーションの指の順序で動かしていました.

この習慣は卒業してからも,その後バスに転向して20年以上経った今でも,体が覚えていて自動的に指が動きます.車を運転している時,気付いてみればハンドルを握る右手指がギターを弾いているのです.無駄な事を_と可笑しくなります. もう全く弾けはしないのに.


2001/10/28
賛助しているマンドリンクラブのコンサートが終わりました.
余り練習が出来ていないので,ダ/カーポやダルセーニョで落っこちたりもしましたが,その失敗まで楽しめてしまうのが脳天気というかコワイところで,兎も角ステージに上がるのが楽しいのです.

団には常に賛助で,団員ではない_と言う事に,私は色々な意味を持たせています.団員なら常に練習に参加,コンサートに穴をあける事はたとえ親が死んでもしない_と若い頃から思っていました.来年のシーズンは他に参加している会の会長職を引き受けているのでその会の予定が最優先となります.コンサートの予定と重なれば残念ながら楽しいステージは見送りになります.


2001/10/27
部隊派遣
春先から派遣の為に特別訓練を重ねてきた野苺の精鋭部隊は予定期間を終え,野苺共和国関東支部へ6個小隊を出発させました.

何年か前,我が家に植えてから思いがけずどんどんはびこっている野苺の事を春先にときどき雑記に書いてご紹介しましたが,読者の一人から部隊派遣の要請を受けましたので,半年間に亘り長旅への訓練を施していたものです.小さい時に甘い野苺を沢山食べ,思い出深いものですから道端で見掛けたものを我が家へ移植して,毎年梅雨前に毎朝食べるのを楽しみにしていました._が,はびこり過ぎたのです.

部隊の戦闘能力は高いものの若干規律に欠けていて,何年かすると宿舎を抜け出る者が出てくる事を危惧しています.


2001/10/25
視点
自分の視点をどこに置くかで世の中の景色は全く変わって見える事は何度かコメントしてきました.他人の視点に敬意を払うのは大人の付き合い方,他人の視点を矯正または拡大させようとするのは教育,他人の視点に注意を払わず自分の見方しか世の中にないと思うのは偏狭.

所で世の中にはパソコンというものがあってこのパソコンから見える景色(そのパソコンの視点)も様々です.色/視界/活字の大きさ_. それを知ってはいましたが,この度我が社の事務用機(15インチブラウン管800×600ドット)に初めてエキスプローラー5.5をインストールして自分のサイトをじっくり見てみました.そして自分のサイトデザインが偏狭であったことを思い知りました.

しかしそれを安易に解決した後の問題は,逆に17インチの1024×768ドットで閲覧している人達の事です.我が社と同じ仕様のPCの為にデザインすれば1024×768では広い運動場にポツンと何かが置いてあるように見えます.そこを,どちらにとっても快適に見える設計をしなければならなかったのです.そしてその方法はこれを書きながら今思いつきましたが_あるのです.私のデザイン要求も満たした上での処理方法が_.

_私の偏狭さと配慮の不足を恥じつつ,バージョン2.1(もし規模が大きくなればバージョン3とします)での改良をお約束します. でもこれはもっと先にさせて下さいね.取り敢えずは画像のうち少し小さく出来るものをそうしてゆきます.


2001/10/22
Ver2をアップロード出来ました.
バグはやっぱりありました. トップページをIndex.htmと記述していたのですが,ocnに聞いてみたところ拡張子はhtmlでないと受け付けていません,との事.訂正して再度転送. やっぱり駄目です. ひょっと気付いて小文字で記述してみたところ,やっと成功.ならば15個所あるHP内のこの記述を全部訂正しないとリンクが機能しません.それを終えて,今度は又次のバグを発見,各室が共有する部品類は別のフォルダにまとめていたのですが,これをインデックスファイルと同じフォルダに置かなければ認識されません.その為のリンクも同じように全て訂正して再々度転送.

最終的に私のPC内の表示と同じものを皆さんのPCで閲覧出来るようになったのは昼前でした.今後の課題は掲示板が直ぐに表示されない事.この記述はJavascriptなので私にはアンタッチャブル.そのうち_.


2001/10/20
ゲン担ぎ
皆さんはゲンを担がれるでしょうか. 私は職業意識から,例え気にしない顧客でも家に関する最低限のゲンは担ぐようにしています.気にする顧客にはどこまで気にすればよいかを確認します.私自身に関しては担がない方です. 結婚したのは会場が空いていた仏滅でした.

さて,このサイトは音楽ホールです. 建築物と考えていますから最低限のゲンを担ぎます.確か去年最初にアップロードしたのも友引でした.リニューアルUPの日を19日とか22日とかにしたのは,実は日柄が良いせいです.19日は大安だったのですが,今度の22日は友引です.で,今回も友引にアップロードする事になります.

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2001/10/15
儀式
例えば玉露を点てる事が好きな人,動作の流れに無駄がなく,儀式のようにさえ見えます.私にも儀式があります. 風呂から上がる時. えっ?聞こえなかった,何だって? 実は風呂から上がる時です.

風呂場から出る時,絞ったタオルを先ず振りほどきながら脱衣所の上がり口のマットに投げます,二つ折り位になれよ_と言う風に.次にその上で足裏の湯をぬぐい,それから足指でそのタオルを挟んで前方へ放り上げます.それを右手でなぎ払うようにキャッチ,というか,握ることなくそのまま左手にある洗濯機の中へ投げ込む(導き入れる)のです.タオルが流れるように動けばご機嫌です. この動きを何時からするようになったのか自覚はありません.ですからこの動作を工夫した事もありません.

誰も見ていないところでの取るに足りない自己満足.

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2001/10/10
同姓同名
世の中に同姓同名の人は沢山います. 例えば当市の市長はイチロー選手と同姓同名です.どこかで伊藤博文という名前を見た事もあります.私の姓の三好は多くないけれどどこへ行っても同姓の人はおられますが,名の俊典はどちらかと言うと珍しい部類の名前です.ですから姓名共に同じ人がこの世にいようとは思いもしませんでした.ところがちゃんとおられたのです. 自分の名前から検索してこのHPに辿り着けるかやってみた時に発見しました.これはご挨拶せねば_. まだ青年とも言えるその人へメールを出しました.メールのやりとりが始まって,私はトシスケと読みますが彼はトシノリと読む事が解りました.書くメールは若い時の自分自身へ送っている錯覚にとらわれて不思議な感覚です.

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2001/10/11
退却戦術
意図されたフォアボールは観衆にどのように映るでしょうか.当然許される戦法としてそれは存在しており,勝ち目がない戦闘で徒らに部下を失いたくない時の退却も優秀な指揮官なら常に頭に置いている戦術でしょう.暴勇は命のやりとりをする戦場では下の策です.

スポーツ,それも金を取ってするプロスポーツではどうでしょうか.サッカーのオフサイドも相手に向かって行かない退却戦術の一種ですが,紙一重の危険を冒してするこの退却はブーイングの対象になり得ません.ボクシングのクリンチは,やり過ぎると女々しさを感じてこのスポーツに相応しくありませんね.野球のフォアボールも臭いコースを狙って狙ってスリーボールの後に,その時の試合の流れからフォアボールにするのは立派な戦術でしょう.

しかし4球とも打者に向かってゆく気のないフォアボール,それも満塁策でない場合は”弱虫!金返せ”の罵詈雑言に値します. 更にそれが個人記録を阻止する為に行われるなら,スポーツらしい清々しさを感じませんね.教育的な意図がない限りどんな時にも体力智力を総動員,全力勝負がスポーツの醍醐味ですから.

高校生だった現巨人の松井選手が甲子園での試合中一度もストライクを投げて貰えなかった事があります.その相手投手は高校生活の中でその思い出が傷にならなかったでしょうか.どうせ打たれるのだからストライクは投げるなと指示した監督は良い教育をその投手に施したと言えるでしょうか.地元からのプレッシャーに抗し得なかったその監督には子供への指示に悔いは残らなかったでしょうか.

勝つ事を目指さない勝負は勝負の名に値しません.しかし手段を選ばない勝負は決して誰にも感動を与えはしません.そのようにして勝ったチームのメンバーにさえ.四球を指示された巨人の上原投手はマウンドでその指示に涙しました.感動するのはそちらの方です.

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2001/10/7
アメリカ話 その6
中学高校の英語の授業と若い頃会話学校へ会社が暇だった半年余り通っただけ,それ以来英語と無縁の生活を長年して来ているので喋れるはずはない,しかし何とかなるだろう,相手はホモサピエンスなんだから,と多寡を括って渡りました.多寡は括っても相手の顔が見えない一方的な放送は全く理解出来ません.簡単な電話は困難を感じたもののどうやら理解しあえたようです.初対面の家庭へ招かれましたが予定が合わず本当の意味で会話を楽しむチャンスをモノにする事が出来ず残念でした.したのは土産物屋とかスーパーでの買い物や挨拶程度.交渉事は子供と二人で掛かって半人前. 駐車違反を貼られて警察署で文句を言いましたがこれも二人掛かり,通関時の説明も二人掛かり.

でも意志を通じようと思えば,受けた学校教育をベースとしながらも,それは忘れた方が良いと思いました.会社の休み毎にリュックを担いで国外を放浪する上の子をみてもそう思います.人類共通の表現方法をも十分活用すれば発音/文法などは糞食らえ_この考えは下の子供から,いや文法だけは意識しないと誤解される,と訂正を受けました.帰日して成田から羽田へ行くリムジンバスを待っている時にインド人らしい老夫婦から目的のホテルに行くにはどのバスに乗れば良いだろうかと尋ねられ,身につまされて出来るだけ親切に答えてあげました.

簡単ですが,アメリカ話はこれでお終いです.何故日本を夕方出発したのにその日の午前中にアメリカに着くのか,何故地図の上では航路が大回りに見えるのか,考えた事がなかったので,この際地球規模で十分に考えてどうやら納得しました.

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2001/10/6
アメリカ話 その5
カナダとの国境近くにあるベイカー山へドライブし,中学時代に習った針葉樹林帯を初めて目のあたりにしました.ドライブウェーの標高が高くなるにつれ景色は厳しくなり鳥も啼かず池には生き物もいません.針葉樹のたたずまいも厳しく”お前達の来る所ではない,早くお帰り.ここは我々がこのようにやっと生きているだけだ”と言っているように感じ,私もそれに同意.でも真っ白な山はとても美しく展望所でも一年越しの厚い雪渓があって雪を触りました.下界に降り広葉樹まじりの林になってやっと気持ちを落ち着ける事が出来たのです.今回砂漠に行く事は出来ませんでしたが,砂漠ではどういう感想を持つでしょうか.

フリーウェーに戻るまでの田舎でレストランに入り,そこのおばちゃんと話をしてみたいと探しましたが,適当な店がなく残念ながら計画倒れになりました.

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2001/10/5
アメリカ話 その4
これはカナダ話です. バンクーバー島にブッチャートガーデンという本当に手入れの良い芝生と花で一杯の広い庭園があります.大変人気があるようでウイークデーにもかかわらず人々であふれていました.ここで見掛ける女性客は喜々としていてそれを眺めるのも花と同じように良い景色でした.見境いなく挨拶の声を掛けたくなる幸せな気分.東洋人も同様に多く見掛けました. そこで感じたのは東洋系の人達は禁欲的.あくまでも一般的で表面的な感想ですよ. 本当は違うと思いますが回りの花と同じような表情にはなっていませんでした.

日本庭園のコーナーもあったのですが,予想通りえっと驚く異国趣味.これを遠目で振り返って考えれば,ある国の風物にあこがれて,それを支える背景もなくそのまま取り入れるのは考え物ですね.本人が良ければそれで良いようなものの,はたから見れば消化不良を感じてしまうこともたまにはあるようです.やはり野に置けレンゲ草. それでもレンゲを我が家へ取り入れるならそれだけを移植するのではなく広い田んぼとその回りの風物まで一緒にして持ち込む心構えがなければ_と思いました.

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2001/10/4
アメリカ話 その3
子供も,一緒に食事をした姪も言っていましたが,9月11日以後大きく変わったのは国旗を掲げた家が増えた事で,車にも国旗をなびかせている人が増えたそうです.シアトルの野球場で試合の前に4〜5人のグループ歌手がホームプレートで国歌を歌いました.回りを観察してみたら起立した大観衆は子供も含めてそれに合わせて歌っています.テロがあった事にも大きく原因しているのかも知れませんが,一夜にして愛国者に変身するのは考えにくいので,そもそも国を愛する気持ちの強い人々ではないでしょうか.歌い方に一寸念が入っているように感じた部分が普段と違うのかなと思った位.国に素朴な誇りを持つのは望ましい事です. その国の政治家がどのような政治をしていようと,自分の国に誇りと愛着を持つ人,そして他の国に同様な敬意を払える人は素晴らしい人だと思います.

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2001/10/3
アメリカ話 その2
基本的には何によらず日本もよその国も同じようなものだと思いました.時差ぼけもなく初めて見る外国の景色もすんなり心にとけ込んで来,人々もちゃんと情が伝わる人間同士です.居心地の悪さはありませんでした. 違いよりも共通点を見いだそうとする私の気持ちに因るのかも知れませんし,異国の人が特別視される事のない国柄に因るのかも知れません.道ですれ違う人と交わす挨拶もお互い自然,店の従業員にも背後に接客マニアルを感じず人なつっこいものでした.シアトルのダウンタウンではどこの都会でもよくある”我関知せず”を感じましたが,それ以外ではお互いちゃんと目と目を見合って言葉を交わしています.異国で交わす挨拶も同じように,いやそれ以上に気持ちの良いものでした.

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2001/10/2
アメリカ話 その1
象の脚を触ってみて象とはゴムで出来た柱のような生物だ,と考えるのは物事の一面しか見ない人です.今回一週間の旅行で”アメリカとは_”と述べるのも同じような事だと思います.実際にとけ込んで暮らしてみないと本当の事は解りません.とは言え,それなりの感想はあるのでこれから5〜6回に分けて述べてみたいと思います.

何より大きな感想は,私事ながら渡米中の末っ子の成長です.我が家で私は長い間家長でした. 家長_土蔵の中で埃をかぶっているようなカビくさい言葉ですが,我が家では生きていました.しかしこの旅行でその役目が終わっているのに気付きました.嬉しい事です. 一週間も休みを取りずっと車で案内してくれた事にまして.


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