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ときどき雑記2002年c

2011年以降
2010年以前
01年 01年1/4 01年2/4 01年3/4 01年4/4 02年 02年1/4 02年2/4 02年3/4 02年4/4
03年 03年1/4 03年2/4 03年3/4 03年4/4 04年 04年1/4 04年2/4 04年3/4 04年4/4
05年 05年1/4 05年2/4 05年3/4 05年4/4 06年 06年1/4 06年2/4 06年3/4 06年4/4
07年 07年1/4 07年2/4 07年3/4 07年4/4 08年 08年1/4 08年2/4 08年3/4 08年4/4
09年 09年1/4 09年2/4 09年3/4 09年4/4 10年 10年1/4 10年2/4 10年3/4 10年4/4
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2002/9/29
良い教師
楽器が届いて以来,気付けば楽器と奏法のことばかり話題にして来ました.で,今日は違うお話.

ある会合である講演を聴きました.ある大学の学長さんのそのお話は日本人の資質と教育についてでした.印象に残ったのは教師に4種類あるということ.一つ目は教える教師,二つ目は熱心に教える教師,三つ目は自分でやって見せる教師,そして最高の教師は生徒の心に火をつける教師.

講演では質問の時間がありませんでしたから,その後のパーティで彼のところへ行き,質問をしました.”火をつける教師とはどんな教師か,もっとご説明されたかったのではありませんか.それをお聴きしてみたかったです”

”いやあ,それ以上の説明はありませんが,火の付け方には気をつける必要があります.生徒が望んでいないのに火を付けるとやけどを負わせてしまいます.問題意識を持ってやって来る生徒には火をつけて構いません”

確信的放火犯,そんな教師に数多く巡り合いたかった.

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2002/9/25
送り出し
購入してから3年使ったドイツ製無銘のバスを下取りに送り出しました.そのバスは朝日放送の局持ち楽器だったという経歴を持っていたそうで,誰でもが使うバスという宿命から表面傷はかなりありました.でも製作後40年以上経つので木は十分に枯れ,如何にもドイツらしい音質でした.

新作購入を決めてから,気のせいか音が良くなってきた感じで”申し訳ないな”と思いますが,ドイツ兄さんの第三の人生に幸あれと祈るばかりです.

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2002/9/24
やっと本当に完成
リニューアルは昨日で本当に完成しました.これまでトップページの”更新された室へのリンク”からは,そのコンテンツが収納されている室のトップへは行けても目的のファイルへ行くには更にクリックする必要がありました.

どうしたらワンクリックで目的のファイルへ行ける構造に出来るか解りませんでしたが,ふっと方法を気付いてみれば”なあんだ”という簡単なものでした.

何故難しく考えたかというと,トップページは一枚のファイル,その他はフレーム構造で,その上どの室もフレーム内ファイルの構成が違っていたからです.先日のバージョンアップでフレーム内ファイル構成はどれも全く同じものにしましたから,私の理解が容易になったのです.

もうこれで初回訪問者がHP内で迷う心配は激減したと思います.

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2002/9/23
製作過程
”資料展示室””バス椅子展示会場””No.5管理人椅子”コーナーではバス椅子製作の過程を画像でリアルタイムにUPしています.サンドペーパー掛けを朝からやっていますが,今日は下塗り塗装まで行けるでしょう.

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2002/9/21
更新
このところ立て続けに更新をしています.昨日はver.2.1のバージョン情報,今日は第4号バス椅子の部品画像を追加,そして”バスメンテナンスの脇役達”.
次の小文は出来上がっていますが,出番を計りかねています.

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2002/9/18
最初の調教
昨晩は娘にとって最初の晩.魂柱も駒も立ってない状態で受け取りましたので,箱から出して最初にしたのが魂柱立て,大方こんな所だろうと適当に立てました.場所はこれからぼちぼち探ってゆきます.弦高が高すぎるのでこれもぼちぼちやります.新品のオイドクサを用意してはいますが,全部がほヾ定まる直前に張り替えます.弦長は短めですが,ボディはそんなに小さくありません.多分ネックだけを本体にめりこませているのではないかと思います.

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2002/9/17
お迎え
今日は午後から福岡空港へ娘を引き取りに行きます.昨日からの大雨も上がり今日は青空も見えていて,軽トラックの荷台に積んで帰るのに問題なさそうな天気です.通関手続きは自分でやります.貧乏人にとって経費を色々抑えるのは必要なこと.

今の会社を設立した時に法人登記を全く独力でやり,素人が法人登記手続きをするのは,その法務局で初めてのケースだったそうですが,それに比べれば何と言うことはないでしょう.

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2002/9/16
このホームページは改装工事を終えver.2.1となりました.
約一週間掛りでサイト内ナビゲーションを改良し,更にHTMLファイルは視認性の向上を狙って行間を2割拡げ,逆に一行の長さを1割縮めました.フォントはホントに迷った挙句(これ詰まらないおやじギャグ)1割小さいものを使いました

一応サイト内全部に目を通して気になった所は手を入れましたが,画像関係はそのままです. 画像は昨年ほとんどを圧縮し直しました.

このたびもジャバ/スクリプト構文には手を焼きました.私に読解力はありませんから,参考例を丸写しに取り込んで大量の不要な構文を削除し,必要な改変を行うのですが,全く手探りで試行錯誤,例えて言えば言葉の意味を探るのに辞書を1ページからめくって行くようなものでした.

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2002/9/7
結婚式
5日はお葬儀,弔辞を捧げるのはつらいものです.でも二日後の今日は結婚式に列席,これから先だけを見つめている二人を見るのはほほえましい.

30年余り前の自分を思い出し,それからの30年をなぞってみて,そして人生のこの時点から若い二人を見ると,やっぱり考え付くのは普通の結構な年を取った大人がそんな時に贈る普通のはなむけの言葉です.

私は身内としての出席ですから何も発言しませんでしたが,上げ潮のときも下げ潮の時も助け合って仲良く….ごく平凡な言葉ですがこのなかには奥深い意味合いがあると思います.それは振り返ってみたときに初めてよく解るのが面白くてつらいところですね. 

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2002/9/5
痛手
長年連れ添った配偶者を亡くすと立ち直れないほどの痛手を心と生活に受けます.男は弱いので女に比べて尚更です.これは誰でも知っていること.でも心の中でやっぱり男は強いと錯覚をしているものだし,そんな状況が自分に来るかも知れないとは考えていません.

来た時にはもう遅い.

それをも今はやがて忘れてしまうかもしれませんが,気付いた時だけでもちょっと配偶者に優しくしましょう,と自分に言い聞かせるのです.

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2002/9/4
来日
どうやら娘は旅行出来る体力がついてきたようです.やがて日本にやって来ます.目鼻はちゃんと付いているか,元気良く泣く子か,まるまる太っているか.そして期待通りの成長をしてくれる子か.

材料は手に入る一番良いものを使って欲しいと言う当初の注文に対して,20台分の材料から吟味して作った一台で,良い出来栄えだと間に立ってくれたイタリア在住のバイオリン製作者から嬉しい報告が届きました.

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2002/9/3
ギャラリー更新
大和絵に続いて家内のはがき絵をUPしました.大和絵同様素人の手遊びですから褒められるようなものではありませんが,良かったら見てやって下さい.

実ははがき絵は始めたばかりです.これから少しずつ描いて行くのでリアルタイムアップロードします.半月程度毎になると思います.

書のコーナーは未だ手付かずですが,作品は60センチ*180センチの大きなものが多いので,どのようにして撮影しようかと考え中です.畳んで保存しているので折皺もあるし困っています.こちらは昔書いたものがほとんど.

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2002/9/2
病気?
昨日は”障害者の為のふれあいコンサート”でした.出演は5回目.1998年このコンサート出演をきっかけにして音楽現場に戻ることになった,私にとって記念すべきコンサートです.歌伴のピアノに低音をつける簡単な楽譜ですが(そんな楽譜にしました)今年ステージ予定に入れているのはこれ一回だけ,それだけに朝から機嫌の良いこと〜〜自分でもおかしくなるくらい.

私って本当にステージで音楽するのが好きなのです,もう病気.

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2002/8/30
違和感
以前のときどき雑記で邦楽と洋楽の融合についてコメントしたことがあります.天才が出て,邦楽でも洋楽でもない全く異なった手法と理論で音楽を組み立てる事を期待する内容だったと思います.単に洋楽の音楽理論に乗って響きだけ邦楽を使うとかでは奇異に感じる事がしばしばあって,音楽上の和洋融合の必然性を納得出来るケースは少ないようです.

先日のコンサートもそうでした.奏者のテクニックはとてもお上手なのですが,伝わってくるものがいまいちなのです.これがもしアマチュアの試みだったらそれでもいいんです.それに洋楽のスタイルを取り入れるのなら,作曲するのに洋楽の音楽理論にも意を用いて欲しかったと思います.

成功確率の低い,難しい戦いに敢えて挑まず,その楽器の最も得意とする響きで訴え掛ければ良かったのに….

地べたに引かれたござに座る腰の痛さもあって,厳しい見方を申し訳ないと思いつつ途中で会場を後にしました.

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2002/8/29
ついに発見
ネットという強力な情報獲得ツールを持ちながら,私は何という間抜けをしていたのでしょう.

昨年,日本の歴史教科書にクレームをつけた中国/韓国の問題に端を発してそれに興味を持ち,くだんの歴史教科書を手に入れて読んだ後に比較の為に韓国の歴史教育事情を知りたくなり一年間韓国側の教科書を探しあぐねていました.

ふと気がついて”韓国””歴史教科書”の二つをキーワードにネット検索してみたところ,ちゃんと日本語訳書がありました.明石書店が出版した”国定韓国高等学校歴史教科書”です.ついでに台湾の中学校用の歴史教科書も見つけたので早速近くの書店に発注し,昨日届きました.これらを自分の目で比較し,自分の頭で考え,疑問点を傍証する資料を探せばおのずと何かが見えてくるはずです.韓国民の思考を理解するには歴史だけにとどまらず世界地図の規模での地理/経済/政治/文化と多岐にわたって考えなければならない予感がします.

私の視点は違いを浮き彫りにしようとするものでなく,日韓の将来にわたる穏やかで前向きな道を私なりに模索しようというものですから,その範囲内で今後レポートを小文としてUPする事があるかもしれません.

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2002/8/26
赤面
耶馬溪を久し振りに通りました.何と気の早い落葉樹が紅葉しかけています.暑い夏が急に影を潜めたので,さては時機到来かと早飲み込みをしたのだと思います.で,ふっと間違いに気付き恥ずかしさに顔を赤くしているのでしょうか.うふ.

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2002/8/25
思い違い
昨日は私の誕生日でした.59歳.ところが今年還暦とばかり思い込んでいたので,私には58歳という年はなかったみたいな気分です.まあ,これだけ歳を重ねれば一年くらいの間違いはどうと言う事ありません.

高校の同窓生から案内が来ました.還暦記念の同窓会が来年計画されていて,一年以上も前から準備しているようです.定年がないわずかの人達を除いて,ほとんどが暇になっているでしょうから出席者が多くて盛会でしょうね.楽しみ.

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2002/8/24
柴犬
いつも行くスポーツクラブの入り口で,時々柴犬と出会います.主人が中から出て来るのを座り込んでじっと待っているのです.私は犬が好きですから前に座り込んで手を差し出すのですが,手先をちらりと横目で見るだけで直ぐに視線をそらせ,私の存在を無視します.主人に忠実でそれ以外に心を向けない,犬ながら見上げた奴です.

16〜7年前位にフィラリアで死んだ我が家の柴犬は利口さで際立ってはいなかったものの,どんなに大きな犬と出会っても立てた尻尾を巻きませんでした.大きな犬とけんかしても負けない犬の主人という立場も悪いものではありませんでしたよ.

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2002/8/22

生まれたばかりの娘はまだ体力がついてなくて暑さに弱いので,真夏の長旅に耐えられないでしょうね.飛行機の中では兎も角として,陸上輸送のトラックの中で蒸されるとか飛行場でコンテナに入ったままで放置されるとかを覚悟しなければならないので娘の旅行は9月に入ってからさせます.どんな顔をしていてどんな声で歌うのでしょうか.あと一ヶ月もしないうちに会える事でしょう.

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2002/8/18
韓国へ旅立つ学生の皆さんへ贈る言葉
  この文は,韓国との交換学生の準備セミナーを始めるに当たって学生諸君へ話した言葉です.6月10日と少し古いものですが,PCに原稿を保存していたのでご紹介します.

皆さんは,選ばれて韓国旅行をして向こうの子供たちと交流することになりました.おめでとうございます.きっと普段の生活では考えなかったような事を知り,考えるようになると思います.実は私も韓国を訪問するのは初めてです.国際交流をされるに当たって一寸考えてみたいと思います.

■国際交流を十分にする為に一番必要なことは何でしょうか.
相手の国の言葉が喋れることでしょうか.技術の問題として,それをクリア出来ればより自分をスムーズに表現出来るでしょう.でも何を表現し何を相手に伝えようとするのですか.言葉の技術の問題と同じように,それどころかそれ以上に大事な事があります.

国際人になるために必要な事は,意外に思うかもしれませんが先ず自分の国を知ること,つまり自分の国の習慣/芸術/歴史を知り,自分のアイデンティティを確立する事です.そして自分の国を尊敬することです.どれも大事ですが,特に自分の国に誇りを持つことは大事です.

そして忘れていけないのは相手の国の人は日本人以上に母国に対する愛着や誇りを持っていると言うことです.そんな気持ちに対する配慮はしてあげなければなりません.だから相手の国の国歌や国旗には敬意を払わなければならないのです.更に立ち返って考えたら私たち日本人も同じように日本の国歌や国旗に対して敬意を払わなければならないのです.自分の祖国に敬意を払わない人は決して国際人にはなれないと思っています.観光旅行だけが目的なら何十回外国へ行っても国際人にはなれません.

@自分の国と相手国へ敬意を払うこと
A自分の国を知り,相手の国の人達と接して文化/芸術/ものの考え方を知ろうとすること
この二つがあって国際人になれると思います.

■日本と韓国の間には長い長い交流の歴史があります.
良い意味でも悪い意味でも密接に関わってきました.ここで歴史に対する私の考え方を言います.

歴史とはこのジュース缶みたいなものです.又は象のようなものです.一部分だけ見るとジュース缶は丸くて象は柱みたいな生き物です.しかし見方を変えるとジュース缶は長四角で象はゴムの壁みたいなものです.それぞれの見方は決して間違いではありません.しかしそれがジュース缶なり象の説明になるでしょうか.あちらこちらから自分の目でしっかり見てその後に自分の見方を養わなければなりません.歴史は年代を暗記して点を取るためのものではなく自分の人間観や人生観を作り上げる大事な手段だと思います.歴史は人間の心がどんな時にどのように動くかを教えてくれます.

■皆さんに期待すること
私達は皆さんがよその国で珍しい景色や面白いものを見て楽しむためだけに交換学生事業を続けているのではありません.皆さんにはこれから迎える長い人生に備えて,一方に偏らないで広いものの見方を確立して頂きたい,考える自分になって頂きたい,そんな思いを込めて皆さんを韓国へ送り出すのです.

健康に気をつけて元気なままで,そして”考える自分”という新しい友達と一緒に帰ってきてください.

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2002/8/17
Art Gallery
昨日午後から思い立って家内の作品をデジカメで撮影し,ギャラリーのHTMLを作成してそれに収めて夜中にアップロードしました.家内の作品をUPしようとはずっと以前から思っていましたが,なかなか腰が上がらず,思い立ったら今度は一気呵成.昨日撮影したのは大和絵ばかりですが,いずれ他の作品もご紹介します.
タイトル文字のArt Galleryはこれまで使った事のないテクニックです.

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2002/8/16
和を以って尊しと為す
言うまでもなく聖徳太子の十七条の憲法に出てくる言葉です.農耕型社会の日本人はこれを大変好んでいて,今でもあちこちの会社の社是に採用されています.

ちょっと考えたいのはこれを標語として掲げたとき,”和”とは何を指すのかという事.それは構成員の総意/了解から生まれる”和”という意味でしょうか? 実はPaxRomana,つまり為政者の欲する上意下達的な”和”であることが多いような気がします.ローマ帝国の平和はそれに対峙する部族/民族を抑えつけることによって創出された独尊的な平和. 表題の標語は”為政者が規定する方針に従え”という押し付けを甘く包むものとして利用されている,という側面はないでしょうか.

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2002/8/15
ゴロゴロと
夫婦二人の我が家に,今パンツ姿の大の男が二人も余分に転がっています.食材は夫婦で使ういつもの量の3倍が消費されます.いっぱしの口を利き,社会情勢に関して議論になりますが,どうやら三人とも似たような立脚点みたいで大きな争点はないものの,しかし親父とすればインスパイアされたりします.

つかの間の昔ながらの水入らず家族生活ですが,やがてそれぞれが何人かの家族を連れて帰り,話題もそれに従って変わってくるでしょうね.

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2002/8/13
手始め
昨年の教科書問題以来,東洋人の,特に韓国民の嫌日感情に関心を抱いています.これはどこから来ているのか.

日本人の対外国感情のモロモロには戦後の教育が大きく影を落としていると思いますが,韓国の教育と政治背景のことは判りません.以前にも書いた事ながら韓国の歴史教科書を先ず読んでみたいのですが(教育はこのような事に大きな役割を果します.成長後自分自身で考えないことにはそれが一生頭に住みつくのです)その方法を知りません.

お盆で帰ってきた子供達に今日日韓の歴史に関して話をしたところ,ある本を教えてくれましたので早速買い求めました.それは”親日派のための弁明”というキム/ワンソプという韓国人の書いたもので,本の帯に”初めて公平な立場から書かれた日韓の歴史”とあります.これから読んで見ますが,これをきっかけに他の立場から書かれた書物も求めたいと思います.

自分自身の見方の確立には,多分何年間も掛かるでしょう.

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2002/8/10
入道雲
もう暦は秋になりました.今年は暑かったけれど夏特有の真っ白い入道雲を見掛けませんでした.入道雲は地表が熱せられて激しい上昇気流が発生し,それが上空で冷やされて雲になる,と小さい時に習いましたが,上昇気流が供給され続けるので成長してゆくのでしょうね.最近それを見掛けないということは上昇気流が発生していないという事でしょうか,まさか….では何故?

理由は判りませんが,時には真っ青な空を背景に力に溢れてどんどん成長し,最後には高い空で薄く広がってゆく入道雲を見てみたいものです.

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2002/8/7
訂正
昨日の”ときどき雑記”にPCを信用するなと書きました.

後で考えて,これは一寸正しくないと思いましたので訂正します.正確には”PCを操作する自分の腕を信用するな”です.PCは所有者に好意も悪意も持っていませんから,所有者の期待を裏切ろうとするよこしまな考えもありません.ただひたすらに命令されたことを実行するだけです.操作する側がPCに持つ思い込みや過度の期待に対して,PCはそれに能力以上に添う義務はなく,責任を負わねばならないのは操作する側でした.
PCには失礼なことを言ってしまいました.

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2002/8/6
馬鹿馬鹿
8月初め,短期間に3台のPCを再インストールしました.それは良いのですが,経理用のPCを再インストールするときに大事なフォルダを紛失してしまいました.

LAN接続した私のデスクトップ機へそれをちゃんと緊急避難させたのに,経理PCを初期化した後に確認したら保存出来ていなかったのです.もう馬鹿々々.私のデスクトップ機にはその経理フォルダを普段から予備保存しているのに,私のも再インストールしたばかりで以前の保存は消えていたのです.

思わぬ”偶然”も一つだけなら何とか復旧出来るのに,二つ重なるとカバー出来ない事故につながる,それが三つ重なるならもう死亡事故ですね.ま,紛失したのが元帳などの帳簿でなかったのが不幸中の幸いです.そちらは毎日フロッピーにバックアップしていますが,経理フォルダの保存方法をこの機会に一から考え直します.基本は”PCを信用するな”です.

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2002/8/5
疾風怒濤,そして
忙しさも一段落,8月は台風一過の穏やかな天気のように落ち着いた気分なれば良いのですが.

振り返って見るとPC三台のデュアルブートへの試行錯誤と,それを元に戻す作業は3月から8月初めまで半年間延々と続き,一方で会長職の準備や人事体制造りも3月から.6月の耶馬溪交流会,7月の野田さん来訪,所属する団体の新年度開始に続いて韓国訪問と韓国学生受け入れ,不祝儀などなど.

でも考えてみれば,何事もない平穏無事は老後になってたっぷりとやってくるでしょうから今はこれで良いのですね. 最近人から”大変でしょうね”とよく言われますが,私は”いや,楽しんでやっています”と応えることにしていて,それは体裁ではなく本音なのです.

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2002/8/4
新しい関係
7月27日には訪日学生が,帰国する日本の学生と一緒にやって来ましたが,お互い4日間で既にかなり打ち解けていていました.中津の夏祭りや阿蘇山/別府への小旅行などで更に4日間行動を共にし,福岡空港で別れを告げるときには日韓の学生たちは泣いていたそうです.

日韓のスムーズな新時代はきっとこのような経験を共にした子らが創り上げてくれるのでしょう.無事に全ての行事を終えてほっとしています.

私の任期中の仕事には,日本語の解る韓国人/韓国語の解る日本人達が創り上げてきた姉妹関係を引き継いで,第二世代とも言うべき我々が言葉の障壁を乗り越え,学生交換のやり方を含めて新しい関係を構築する手立てを探る,というものも加わって来そうです.

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2002/8/3
韓国話5
海産市場からホテルへ戻ろうとレストランから呼んで貰ったタクシーの運転手はロッテホテルの所在が解らず,説明するのに一苦労.乗り込んだまま地図を見せても判らず英語で説明しても判らず,最後は仲間がやけになって大声の日本語で説明.はて,それで良く判ったものですね.

海産市場の駐車場を出るときに運転手は守衛といきなり料金で喧嘩を始めました.これも収まってスタートさせて見ると気の良い運転手で,アンチョコ会話辞典を見て通じない会話を試みましたがこれが愉快,家内が読み上げる韓国語の口調を運転手が真似して笑います.運転手ともども5人で通じない会話を大笑いしながら走りました.運転も穏やかだったのでついにホテル経由で1時間半,仁川空港まで行って貰う事にしましたが,その値切りの交渉がまた愉快.着いた空港で彼を交えて記念撮影.

姉妹団体の案内を断っての4人旅で,朝から骨董品街(仁寺洞)を冷やかして海産市場へ行っただけ,スムーズな観光ではありませんでしたが,その代わり強く印象に残る得がたい経験が出来ました.

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2002/8/2
韓国話4
25日は家内と仲間2人の4人だけになり市内を観光しました.韓国のバスやタクシーの運転手は曲芸的でした.たまたま乗ったタクシーはぶっつかりそうになる直前でくるっとハンドルを回します.クーラーのモーターが無線のスピーカーに影響を与えるのか断続的にピーピーと大きな音を出し,とうとう仲間の一人が脂汗を流し始め,到着した海産市場の魚臭さが加わって顔面蒼白になってしまいました.

巨大な市場の中では活きた魚や貝を売っていて,そこで魚を値切って近くのレストランに持ち込み料理して貰って食べましたが,仲間はおかゆを食べて元気を取り戻しました.一般市民とは言葉の接点がありませんから逆に交渉は面白い経験でした.

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2002/8/1
韓国話3
首都ソウルは国境からわずかの距離でしかありません.戦略的には危なっかしい位置で,反撃を覚悟の上なら攻め入ることは困難ではなさそうです.お年寄りは”若者がこの現状に何も感じていない”と嘆いていました.しかし政府は危険分散の為,軍首脳の一部を他の都市に移転させているそうです.

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2002/7/29
韓国話2
学生とともに板門店に行きました.ここは私が旅行のサブテーマにしていた所です.黄海で交戦があったばかりで幅4kmの中立地帯に入ることが出来ず,手前の展望台からイムジン川越しに北朝鮮を望見出来ただけですが,雰囲気は味わえました.

川の中に墓標のように残っている古い橋桁は当時爆撃されたのか中ほどの何本かは崩れたまま,横に新しく建設した鉄橋に敷設されたレールは北朝鮮側で途切れて二つの国を列車が通ることはありません.

その鉄橋の近く,北朝鮮をバックに立つ”望拝壇”と言う石碑の前に祭壇があり,お盆には北朝鮮から逃れて来た人達がその前で故郷をしのぶそうです.同行した姉妹団体の中に北鮮出身の人がいて,ここへ来ると平静ではいられないとの事です.

国境を挟む川岸に沿って鉄条網が延々と張られ,何百メートルか毎に兵士の見張り所とサーチライトが越境者を見張っています.川には人影も舟も見当たりませんでした. 兵士を撮ろうとするとピッと笛を鳴らして警告を受けました.

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2002/7/28
韓国話1
韓国ではソウル/大田(日本海側の都市)/板門店をバス移動しました.途中の景色で感じたのは韓国経済は”動いている”という印象です.韓国の人の話では借入れ金利が7〜8%と言うことです.日本よりはるかに高水準.高速鉄道は建設中,そしてあちこちで建物を建築中です.中国へ資本投下しているらしく,日本がある意味で韓国に追い抜かれたように,やがて中国からの経済攻勢にさらされるようになるでしょうか.

また自動車はほとんどが韓国製(ノックダウンも?)でベンツは見かけず,代わりにベンツにデザインが似た韓国製の高級車が走っていました.どの車も手入れが行き届いていて経済の充足をそこからも感じました.

町全体にゴミが見当たらず,清掃員が小さなゴミも拾っていました.ソウルは完全な国際都市,その分だけ街の表情に個性が乏しいのは仕方ないのでしょう.英語や漢字の看板はほとんどなく,あるのはハングルばかり,ハングルを使うように韓国政府の指示があるのだというお話は本当かもしれないと思いました.今後韓国が国際的に自信を深めるに従って規制は緩和されるでしょう.

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2002/7/27
韓国姉妹団体の皆さんの前で行ったご挨拶からの抜粋

科学者はほんのわずかの違いを問題にします.その違いの原因は何なのか,どれくらい違うのかを研究します.

しかし私たちが韓国にやって来て皆さんと握手するのは,科学者のように私たちと皆さんの違いを確認するためではありません. それは他の人に任せましょう.

握手をする時にしなければならないのは,あなたとわたしの似た所は何なのか,韓国と日本の共通点は何だろうかを探すことです.表面に見える違いに迷わされずに探してみれば,共通点はたくさんあると思います. それに気付くことが仲良くする為の第一歩です.
日本の学生にも韓国の学生にも それを沢山見つけて欲しいと願っています. 学生ばかりでなく 大人の私達もそのようにしましょう.

国を隔てる民間友好団体が目指さなければならない事はただ一つしかありません. お互いが人間としての共通点を見つけ合う事です.

日韓で,これからも長く友好関係が続くことを願っています.カムサムニダ.

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2002/7/26
韓国から帰ってきました.
韓国での行動は予め決まっており,それに従って行事は進みました.24日夕方学生たちと別れ,最後の25日だけは飛行機の出発時間の夕方まで完全に自由,同行した仲間二人と家内の4人でソウルを歩きました.これが思いがけない出来事ばかり続く珍道中となり,もう可笑しくておかしくて笑い転げ続けた一日でした.言葉は誰も知らないので小さい店やタクシーでは”これだけは知っておきたい韓国語”という薄っぺらなプリントを片手に片言の英語と筆談と”通じろっ”と気合を込めた日本語で済ませました.

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2002/7/23
韓国へ行ってきます.
用件は学生を6人連れてホームステイさせること.その為の団長さんは別に人選しましたので,私達夫婦と他2名の役目は在韓国友好団体への表敬訪問.途中で学生と別れて早く帰国します.学生交換事業はこれまで毎年の恒例でしたが,昨年は歴史教科書問題で韓国政府の意向を受けた先方団体から,直前になって硬い文面の中止申し入れが届きました.今年は再開申し入れ文が届き,いつも通りの実行となったものです.

二泊三日で25日夜帰国します.

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2002/7/22
小文”泳げる”を娯楽室にUPしました.
もう海に泳ぎに行くことはほとんどなくなりましたが,海は好きです.特に明け方の海や夜中の海で泳ぐのが好きです.夜は海に向けて花火を打ち込まれる事があるのでちょっと怖いものの,耳に<のたっのたっ>という波の音と目には星空,そんな中で海に浮かんでいるのはとてもリラックスします.朝なら起き抜けに水平線近くピンク色の雲を眺めながら静かな波に身を委ねて海中散歩.

お盆休み,岸辺にテントを張って連泊するのはお正月を迎えるより楽しみでした.

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2002/7/20
長いながい回り道
これまで私は一体何をやっていたのでしょう.
win2000になってからというもの,DOS上で動く古いCADを使いたいばかりに,CADが本来想定していなかった新しいOSへ無理やりの難しいインストールを人に聞きながら苦労してやって使ってきました.次に苦労しなくて済むようにと98と2000のデュアルブートを思い立ち,そのため別の長い試行錯誤をしながらもどうやらそれをクリア.

その次に立ちはだかったのは新しいビデオドライバ(デスクトップPCは自作に近いもの)と古いCADの不整合性.これには二つの問題を抱えていましたが2ヶ月掛かって偶然に二つとも同時に解決しました.

しかし最後の問題は98と2000の切り替えに時間が掛かりCAD作業に手間取る事です.

ところがあるHPに出会い,彼の方法を使ってみると何と2000に実に簡単にインストール出来たのです,気抜けするほど簡単に.それならOSインストールに二倍手間の掛かるデュアルブートをする必要はないのです.”再インストールマニアもどき”の私としてこれは大事な要件.

3年間悩んだ問題もこれで目出度く解決しました. OS切り替えの必要もなくさくさくと進むCAD描画作業に,もう一人でニヤニヤ.後は頃あいを見計らって最後のパーティション切直しと2000だけの再インストール.

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2002/7/19
夕焼けテレビ
我が家のテレビ,10年選手です.もう寿命のたそがれ時に来たようで私は”夕焼けテレビ”と名付けています.どんなシーンも夕日に照らされた赤っぽい色.もしこれが100年後なら火星テレビ局からの中継と言えば人を騙せるかも知れません.

しかし楽器購入に備えて安易に買い替えは出来ない貧乏暮らし,おまけに今のテレビは高いですね.これまでの堂々とした体躯のテレビに比べて薄っぺらなのに何故高いのでしょうか.

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2002/7/8
初蝉
ジーと短く庭で声がしました.我が家の初蝉です.ニレは樹液が多くて居心地が良く毎年ご近所蝉の集会所に使われています.最盛期の庭はうるさい事うるさいこと.

小さい頃クマゼミはめったにいない宝物でした.一際大きい鳴き声にはあたりを払う威風があります.遠くで声が聞こえたら,その木まで走って行き捕まえようとしたものです.

今我が家のニレの木はクマゼミのお気に入り,真夏には一度に何匹も止まりに来ます.生態系が昔と変わったのでしょうか.

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2002/7/7
順序変更
小文の順序を変更します.季節感を考慮して”泳げる”を先にUPします.
6月22日”ときどき雑記”で述べた,カナヅチだった私が泳げるようになった経緯を小文にします.当たり前のことを大騒ぎしているおかし味も感じられるかもしれません.

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2002/7/6
100
このHPのコンテンツの数を数えてみました.ファイル数はプロパティをクリックすれば直ぐ判るので気に留めていましたが(現在奥田さんのHPを含めて275)コンテンツを数えたのは初めての事です.最新の”母娘のコンサート”までで74ありました.数え方によってはもっと増えますが,これに加えて奥田さんのHPです.

コンテンツが100になったら何か一大イベントをしましょう.事前宣伝の後にこのHPに関するクイズでも考え出して正解者に賞品を出す,一体いつ頃になるでしょうか.一年か,一年半後か,考えるとわくわくします.

そのコンテンツ一覧表をエクセルで作り,直ぐに判るようにしました.これからはその100に向かって楽しみながらコンテンツを増やしてゆきます.

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2002/7/4
メーキャップ終了
新作楽器のニス塗りが終わったと連絡が入りました.化粧がちゃんと乾くまで約一ヶ月寝かせたいとの事,つまり娘は8月に入れば日本にやって来ます.

さんざん心配をさせた悪い娘.

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2002/7/2
長らくお待たせしました
短期間の推敲/熟成期間でしたが”母娘のコンサート”をUPし,久し振りの小文更新です.

読者の中には,もうみーさんは小文を書くネタが切れたのではないだろうか,とか小文に対する情熱を失ったのではないだろうか,とかを想像された方もおられたかも知れません.いえいえ,まだそのような事はありません.

その次の小文UPは余り長くお待たせしないはずです.

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2002/7/1
心に残るW杯
大分中津江村のカメルーン対応
もうこの村の人達の純粋さ素朴さには拍手を送るほかありません.昔ながらの日本の善さを思い起こさせる事でした.

ゴールを守るカーン
私の見た限りのサッカー選手で一番好きです.ゴリラを連想させるのか”バナナをやりたくなる”という記事も見ましたが,このドイツ人にバナナを差し出す手はその迫力に押されて震えませんか.

ハサンの柔らかさ
3位決定戦に出場しなかったのは残念でしたが,ハサンの身のこなしは柔らかかった.どんな姿勢からでもパスを出せ攻撃に移れるボディコントロール,そして足の速さに惚れました.決勝トーナメントで日本の緒戦相手にトルコが決まったのを喜んだ不明を恥じています.

シュートより速い足
対トルコ戦で見たセネガルディフェンダー一瞬の守備.ゴール前でのシュートはミスキックだったのか鋭いボールではありませんでしたが,後ろからそれを追いかけてゴール寸前のボールを蹴り飛ばしたその俊敏さ,唸りました.


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