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体力維持のすすめ 1

体力とは一義的なものでなく様々な意味合いを持っている。ここでは心肺能力/筋力/柔軟性等を取り上げるが他に病気に対する抵抗力や胃腸の消化能力も体力のうちだろう。

体力は20歳過ぎあたりで完成し、その後死ぬまで徐々に低下して行くが、途中病気に罹れば大きく衰退する。そうでなくても誰しも30歳を越えた頃、走れば直ぐに息切れしたり敏捷性がなくなる等のそれまでになかった衰えに気付いて愕然とするのだが、取り立てて日常に差し支える事がないまま他の事に取り紛れてほとんどの人が放置する。その後肩凝り腰痛に見まわれるようになっても、歳相応の事だ仕方がないと自分を慰めてしまい積極的に原因を取り除く事もせず、症状がひどければ湿布や塗り薬などで対症療法を試みるに留まる。

一方、社会保障の整備、医学の発達と栄養の充足、過重労働を要求しない世情等により我々の平均寿命は延びている。この意味する所は即ち老後が以前に増して長くなって来ていると言う事だ。

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上記前段二つを合せて見ると、衰え続ける体力のままで長期間生かされて(!)ゆかねばならない、と言う一般的推論が成り立つ。

ならばそれに備えなければ勿体ない人生になってしまう恐れがある。やりたい事をするにはそれに耐え得る体力が前提。やりたいと思っている事をはばむ色々な制約から解放される定年後になってやっとその事実に気付くのは手遅れかも知れない。体力は長期間掛かって手に入るものだ。

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そこで、体力があるうちからそれを長く維持する事を考えてみてはどうだろう。でも大上段に振りかぶって<体力増進>とか<限界に挑戦>などは当面考えない方が良い。挑戦だと考えるとつい無理をする。 実力以上の無理をすれば続かないし、続かなければ折角の決意が無駄になり、挫折による劣等感も加わって再開しようと思えなくなる。ゆったり構えて長期継続を眼目としたい。

軽目の永続的な運動は体に良い事づくめだが、これを声を大にして唱えるとカルト集団の勧誘に似て来る。ちょっとした反感を買うかもしれない。運動を続けているうちに それまでと違う自分に出会って<成る程そうだったのか>と良さに気付く事なのだ、あえて効能を長々述べない事にしよう。それでも敢えて一つだけ挙げると、腰痛/肩凝りは適度の筋力強化によって消える。貼り薬も良いが、元から直すのも悪くない。

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先ず心肺能力の維持
これはほぼ持久力の維持と同じ意味だ。息は弾むけれども最中に会話が出来る程度の運動を20分以上継続させる事と言われている。この言葉は誤解されやすいと思うのだが、では20分で良いのか、30分やれば申し分ない程の運動量なのかと言う疑問に対しては何とも言えない。私はレストランに入ってオードブルを食べ終えたのが20分に相当するのではないだろうかと思う。耐える体力が十分にあって時間もあるならば1時間あたりを目標にするのがベストかと思うようになった。それが無理と思えるなら勿論20分からのスタートで構わない、やっているうちにいずれは可能になる運動量なのだから。

わざわざ運動をする、と構えなくても都会に住む人は移動に車を使わないから通勤などにしっかり歩いているはずだ。その歩きを屠殺場に送り込まれる牛の歩みでなく、玄関から会社までずっとアゴを引き、大地を足指の付け根で後方に押しやりつつ歩く習慣をつければひょっとしてそれだけで十分な運動量と時間が確保出来るのではないだろうか。電車の中では座らず、出来れば吊り革も持たない。それによって勤務意欲までも変わって来るという副産物もあるかも知れない。所が、なまじ地方に住んで車に頼る生活をすると、意識して運動せねばならない。

意識して取り組むなら一番良いのはゆったりとした水泳。関節に無理な力が加わらないから運動による負傷もないだろう。 二番目に良いのは歩く事(エクササイズウォーキング)。女性なら皆でする簡単なエアロビクスも楽しいから1時間くらいは直ぐに経ってしまうだろう。お勧めの三番目、四番目、五番目は知らないが六番目はジョグだ。

ジョギングは単位時間当たりの消費カロリーは多くて効率的だが、体を痛める可能性があるかも知れないある意味危険な運動だ。若い頃に得意だった人こそ気を付けよう。長時間・長期間走る人で足を痛めた事のない人は珍しい。ジョグを楽しいと感じるにはかなりの期間が必要だが、続けてやっている人は皆ジョグから楽しさを汲み取っていて、それなしの生活は考えられないと思っている。

40代の終わり近くになって運動をしようと思った際、ランニングは若い頃不得意だったので歩きを始めた。徒歩旅行の経験が歩きを身近に感じさせた。 やがて20分位の歩きが物足りなくなり、出来るだけ早く歩いた。それを継続していると、ある時早足より走った方が楽だと気付き、1分位走って又早足に戻る。歩きとジョグとを混ぜてどちらかが苦しくなれば他方に切り替える。このような段階を経て30分休まずに走りつづける事が出来るようになったのは運動を始めて半年後位だった。その後心肺力がつくに従ってどんどん走行時間と距離を伸ばしたが、それは挑戦の結果ではなく、楽しいと感じる事を続けた結果だった。若い時にも出来なかった3時間走行を出来る自分が楽しかった。

繰り返して言うが、体力の維持の為に選ぶ運動とその強度は、苦しみを伴うものは避ける事。しかし息のほとんど弾まない、本人自身の感覚にとっての低負荷運動は無意味ではないと思うが、使う時間と体に及ぼす効果を勘案する時に効率的ではない。

持続力をつける運動は他に自転車があるが、これはスピードを伴うので、安全な道路環境が近くにある人以外には継続的な運動としてお勧めはしない。特に冬は風を切って寒いので続ける事が難しい。バイク(ここでは自転車のこと)が趣味でなかったら、運動は年間を通じて出来るものが望ましい。

運動場所はジムが近くにあれば、それを利用するのは良い事だ。ジム備え付けのマシンを使えばバイクもジョグも寒くない。天気の良い日にジムから出て外を走れば気分も変わる。おまけに風呂に入り、さっぱりして家に帰れる。ジムはそれなりの金が掛かるが、自分の長い老後の身体的自由への投資と考えれば高過ぎはしないだろう。

体脂肪を落とす目的の運動には不案内なので言及しない。しかし持久力の為の運動は結果的に必ず体脂肪が落ちる。運動を始めた時の体脂肪率は15%位だったが一日8km走行を続ける頃は9.5%になった。その点、水泳は体が冷え過ぎを防衛するので脂肪は落ちにくい。

体脂肪率と体重は必ずしも連動しないものだと知っておく事は、がっかりしない為に必要かもしれない。十分運動しているのに体重が減少しない場合、脂肪が減ってその代わり筋肉がついて来ていると思う。脂肪と同じ重さの筋肉は容積が小さい。 従って体重は減らなくとも体積は減少しているはずだ。 百歩譲って仮に体重が減らなくとも良いではないか。シェイプアップは運動の結果に過ぎず、シェイプアップのためのシェイプアップは考え方を誤れば体に悪い。体重のあるなしは個体差。個体差のない生物はない。私がここで問題にしているのは健康を維持する方法であって見掛けの姿を整える事ではない。

2001/7/15

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