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それは中学2年生の事だった、 と記憶している。 父に連れられて邦楽演奏会を聴きに行った。 父は祖父の影響を受けたのだろうか自分で演奏をする事はなかったが邦楽を聴くのは大変好きだった。 父が中学生の私を連れていったのに邦楽を好きにさせようとの気持があったのかどうか、今となっては写真に聞いてみるしかない。

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それは兎も角、プログラムは次々に進み 私は次第に退屈し始めた。 そのときの曲は尺八独奏、初老の奏者が頭を縦に横に振り振りし、熱演だった。しかし私の退屈は更に募るばかり、ふと隣の父を見上げてみた。 

何と言う事だろう、父はあふれる涙をぬぐいもせずにじっとその尺八を見つめていたのだ。 私は見てはならぬものを見てしまった気がした。厳父とは言わないまでも 柔弱ではなかった男の父が、事もあろうに音を聴いただけで涙する、そのメカニズムは全く私の理解を超えていた。 帰る道すがら 父はその事について何も触れなかったと記憶する。

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次は高校1年生の時。  年の暮に テレビで第九を放映していた。 日本で大人気の<暮れ九>のハシリの頃だ。 誰の指揮かだれがソリストか、そんな事には興味すらない。 最初から見たかどうかも覚えていない。やがてソロ歌手が並んで立ち、最終楽章が始まる。 聴くものを説得するかのように歌いはじめるとテロップは歌詞を流して行った。  歓喜はソロ歌手達からコーラスに伝わり、オーケストラはそれを支えて次第に巨大になって行く。

眺めている内にだんだん気分が高揚、画面から目をそらす事が出来なくなってしまった。 そのくせ歌詞がにじんで読めない。 この2年前に不可解だった事がついに自分にもやって来た。 正体とはこれだったのか。でも何故?

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それからずっと後、昭和52年の頃 30才を少し過ぎてからミュンヒンガーとシュツットガルト室内管弦楽団を広島在住時に聴くことが出来た。ブランデンブルグ協奏曲第三番など小気味良い推進力を持つ曲を中心にプログラムが組まれており、アンコールに進んでその日最後の曲は一転して"G線上のアリア"だった。 主旋律と副旋律が優しく絡み合い 殊更ゆったり深々とした時間が流れてやがてディミヌエンド、主和音が静寂の中へ溶けていった。 

一呼吸置いて沸き上る盛大な聴衆の拍手は 私の耳からすーっと遠ざかり、強烈な感動に掴まれた自分の意識は内へ内へと沈潜して行った。 自分の喉から妙な音も漏れた。何十分経ったか解らないが、ふと我にかえってあたりを見ると広い会場内外はがらんとして誰も残っていなかった。 前の座席に額をつけていたのだ。  隣の人は席を立ちながら不審に思ったことだろう。会場を出た私はそのままふらふらとJR二駅分夜の広島を歩いてしまった。

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それらのように強い力を持つ音楽/演奏とは一体なんだろう。 なぜ聴くものに このような力を及ぼすのだろう。 そうはならない音楽と比べて何がどう違うのだろう。 また、彼とその楽団の同じ曲のレコードを聴いてもその感動は蘇らないのは何故だろう。その理由は解っているようでいて、そのくせはっきり納得の行く説明はいまだに出来ず、核心の周辺をうろうろしているばかりである。

2000/10/22

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