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ワシントンの大首長へ

以下に紹介する文章は、ある会社の新聞全面広告に使われていたものの引用である。引用するこの文章は感動的であり、中で述べられている考えは文明に対する警鐘とも言え、時を超えて私達の胸を打つがしかし激越ではなく柔らかい言葉で語られている。

前文は短くこの文章の由来を述べている。それによるとアメリカ原住民の、とある首長が、その住む土地を合衆国へ売却した後に大統領へ宛てた手紙だという。これ以上の説明はないが、取引を終えた後に買い手に渡した文章という状況をも鑑み、手紙の主(が代表する原住民達)が持つ魂の深さを感じる。

アイヌが鮭を取るときに”これは神様のもの、これは熊のもの、これは私のもの”と三匹目毎に(つまり資源の1/3を)捕獲すると聞いたことがあるが、このアイヌの習慣と手紙の主の考えとは似通っている。根底を流れるものは、自然と共存し”自然な形の”自然に愛情を持ち、人間を自然界のエリートとみなさない、そんな考え方。

文面を読んで文明なるものは一体何を私たちにもたらしているのだろう、果たして文明の発達は善だろうかと立ち止まって考えたくなる。

一つゆっくりと手紙の主、シアトル大首長の静かな言葉に耳を傾けてみよう。但し文章は詩人のように洗練されており、翻訳者の美しいおせっかいが感じ取れるのは私だけだろうか。

(みーさん記)


*

■ワシントンの大首長へ
1854年アメリカの第14代大統領フランクリン/ピアスはインディアンたちの土地を買収し、居留地を与えると申し出た。1855年インディアンの首長シアトルはこの条約に署名。これはシアトル首長が大統領に宛てた手紙である。

はるかな空はなみだをぬぐい、今日は美しく晴れた。
明日は雲が台地を覆うだろう。 けれど私の言葉は星のように変わらない。

ワシントンの大首長が土地を買いたいといってきた。

どうしたら空が買えると言うのだろう? そして大地を。
私には解らない。風のにおいや水のきらめきを あなたはいったいどうやって買おうというのだろう?

全てこの地上にあるものは私たちにとって神聖なもの。
松の葉の一本一本 岸辺の砂の一粒一粒 深い森を満たす霧や草原になびく草の葉
葉陰で羽音を立てる虫の一匹一匹に至るまで 全ては私たちの遠い記憶の中で
神聖に輝くもの。

私の体に血が巡るように木々の中を樹液が流れている。
私はこの大地の一部で 大地は私自身なのだ。

香り立つ花は私達の姉妹。 熊や鹿や大鷲は私達の兄弟。
岩山の険しさも草原のみずみずしさも子馬の体のぬくもりも 全て同じ一つの家族のもの。

川を流れるまぶしい水はただの水ではない。それは祖父のその又祖父たちの血。
小川のせせらぎは祖母のその又祖母たちの声。湖の水面に揺れるほのかな影は
私達の遠い思い出を語る。

川は私達の兄弟。渇きを癒しカヌーを運び 子供たちに惜しげもなく食べ物を与える。
だから白い人よ どうかあなたの兄弟にするように 川に優しくしてほしい。

空気は素晴らしいもの。それは全ての生き物の命を支え その命に魂を吹き込む。
生まれたばかりの私に初めての息を与えたくれた風は死んでゆく私の最後の吐息を受け入れる風。

だから白い人よ どうかこの大地と空気を神聖なままにして置いて欲しい。
草原の花々が甘く染めた風の香りをかぐ場所として。

死んで星々の間を歩く頃になると 白い人は自分が生まれた土地のことを忘れてしまう。
けれど私たちは死んだ後でもこの美しい土地のことを決して忘れはしない。
私たちを生んでくれた母なる大地を。

私たちが立っているこの大地は 私の祖父や祖母たちの灰から出来ている。大地は私達の命によって豊かなのだ。

それなのに白い人は母なる大地を父なる空をまるで羊か 光るビーズ玉のように売り買いしようとする。
大地をむさぼりつくし後には砂漠しか残さない。

白い人の町の風景は私達の目に痛い。 白い人の町の音は私達の耳に痛い。

水面を駆け抜ける風の音や 雨が洗い清めた空のにおい 松の香りに染まった柔らかい闇のほうがどんなにか良いだろう。
ヨタカの寂しげな鳴き声や夜の池のほとりのカエルのおしゃべりを聞くことが出来なかったら人生には一体どんな意味があるというのだろう。

私には解らない。白い人には何故煙を吐いて走る鉄の馬の方がバッファローより大切なのか。私たちの命をつなぐためにその命をくれるバッファローよりも。

私にはあなたがたの望むものが解らない。

バッファローが殺しつくされてしまったら 野性の馬が全て飼いならされてしまったら一体どうなってしまうのだろう?
 聖なる森の奥深くまで人間のにおいが立ち込めたとき一体何が起こるのだろう?

獣たちがいなかったら人間は一体何なのだろう?
獣たちが全て消えてしまったら深い魂の寂しさから人間も死んでしまうだろう。

大地は私たちに属しているのではない。私たちが大地に属しているのだ。

たおやかな丘の眺めが電線で汚されるとき 藪はどうなるのだろう? もういない。
鷲はどこにいるだろう? もういない。
足の速い子馬と狩に別れを告げるのはどんなにかつらいことだろう。
それは命の喜びに満ちた暮らしの終わり。そして只生き延びる為だけの戦いが始まる。

最後の赤き勇者が荒野と共に消え去りその記憶を留めるものが平原の上を流れる雲の陰だけになったとき岸辺は残っているだろうか。森は茂っているだろうか。私たちの魂のひとかけらでもまだこの土地に残っているだろうか。

一つだけ確かな事はどんな人間も 赤い人も白い人も分けることが出来ないということ。
私たちは結局同じ一つの兄弟なのだ。

私が大地の一部であるようにあなたも又この大地の一部なのだ。大地が私たちにとってかけがえがないようにあなた方にとってもかけがえのないものなのだ。

だから白い人よ。 私たちが子供達に伝えて来たようにあなたの子供達にも伝えて欲しい。
大地は私たちの母。大地に降りかかる事は全て私たち大地の息子と娘達にも降りかかるのだと。

あらゆるものがつながっている。私たちがこの命の織物を織ったのではない。
私たちはその中の一本の糸に過ぎないのだ。

生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸の鼓動を慕うように私たちはこの大地を慕っている。
もし私たちがどうしてもここを立ち去らなければならないのだとしたら、どうか白い人よ私たちが大切にしたようにこの大地を大切にして欲しい。
美しい台地の思い出を受け取った時のままの姿で心に刻みつけておいて欲しい。
そしてあなたの子供のその又子供達のためにこの大地を守り続け私たちが愛したように愛して欲しい。いつまでも。

どうかいつまでも。

2002/11/4

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