音楽そしてコントラバス    管理人室    音楽ホール    バシスト控室    工房    ギャラリー    遮音室    娯楽室    ロビー
音楽そしてコントラバス・トップ>娯楽室>このページ

谷間の灯

学生の頃は旅行が好きだった。 それも普通の旅行ではなく、例えば自転車/ヒッチハイク/自動車/徒歩/バイクなどでする小冒険旅行だ。どの旅行もおおまかなコースは考えるものの旅程は決めず、行き当たりばったり。その目的はカッコ良く言えば自分の心に出会う旅、名所旧跡には興味がなかった。これからする話は四年生の夏、その後に計画していた千キロ徒歩旅行の予行演習として行った、九州一周ヒッチハイクの時の事。

*

ヒッチハイクほど良い加減な旅行は無い。 プランは自分で決められず、他人の都合でどのようにも変化する。変化自体は悪いものではなく”すごろく”のように、振ったダイスの目で飛んで行けたり進めなかったりの面白さがある。予定が立たないのは一向に苦にならないが、そもそも百パーセント他人の好意を当てにするこの種の旅行は、学生でもなければ恥ずかしくて出来るものではない。当時学生だった私でも、やってみてこれは二度とするものではないと思った。それはそれとして、向こうからやってくる車を如何にして止めさせるか、車の種類と状況から運転者の心理を予測し、確率を高める工夫は面白かった。けれども予測の立て方が正しくなかったのか、成功率は決して高くない。

*

山口県を出発し、国道10号線を下って大分/宮崎を過ぎ、三日目位には小林から鹿児島を目指していた.35年前の事とて、夕方からは国道とは言え山中に向かう未舗装のがたがた道を通りすがる車もなくなって遂に徒歩になってしまった。友人と自動車旅行をした時は、すれ違う車のドライバーが女性だったら交替することにしたけれども、女性ドライバーには出会わずなかなか交代出来なかった頃の話である。実際、国道なのに暗くなったら車も通らない。道は次第に山奥に分け入って行き、本当に真っ暗闇になってしまった中を、一足毎に遠くへ近くへ往復する懐中電灯の楕円形の光に照らされて、妙に平べったく白く感じる山中の未舗装路なりに右左にうねりながら歩き続けた。一人ぼっちで 泊まる当ても無かったが、不安は無かった。当時から今に至るまで ”何も困る事は無い、日本語が通じる所ならば”と思っているし、泊まる所がなければ野宿するまでだ。野宿もそれなりの味があって悪くない。

*

二時間くらいその様にして歩いていると、前方の木の枝越しにちらりと明かりが見えた。その灯は歩くにつれ右に見え、左に見えしながら段々大きくなってきた。一軒家の部屋の灯りだと言う事が解るのに4~5分掛かっただろうか。更に近づくと、なんとその家から音楽が聞こえていた。

ラジオかららしいその音楽は、自分も弾いていた”アルハンブラの思い出”というクラシックギターの独奏曲だった。聞こえてくる音は歪みの多いものだったが、その時の私の耳に本当に美しく聞こえた。音楽は出来るだけ良い音で聴かなければいけない、と考えるのは音楽の本質とはかかわりが無く、聴く側の意味の薄い贅沢だとその時思った。

埃まみれの靴が運んでいる乾いた体と心に、その短調を主調とする優美な曲は深く素直にしみ込んできた。

こんな奥山の谷あいの一軒家に人が住んで、このように音楽を聞いている。住んでいる家族は奥ゆかしくて素晴らしい人たちに違いない、何となくそんな気もした。戸を叩けば一晩泊めてくれたかもしれないが、私は足の運びを止める事無くそのまま通りすぎてしまった。その風景をそのまま壊さずにして置きたかった。

*

その晩、どこでどのように寝たかは覚えていない。遥か過ぎ去った昔の事であるが、 その時のギターの音色と、外灯もないその農家の障子越しにひっそりと灯っていた灯りの情景は35年経った今も忘れる事はない。 ある瞬間の情景をいつまでも昨日の出来事の様に鮮明に思い出す事は誰しもあることと思うが、私にとってこの夜の情景がそれに当たるのだ。

*

最初に書いたように学生時代 色々な長旅をしたが、音楽にまつわる旅行の思い出はそれだけしかない。

2002/10/5

home / up
   / 

home / up
   / 

image inserted by FC2 system