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殿中日記"琴騒動"

天正十六年如月四日
こたび渡来の新参バテレン殿 大殿へ献上せむとて南蛮船より堺港へ荷揚げせし物の内、鉄鋲打ち巡らせ候ひし、二抱えはあらむ大きなる長持、人足雇ひもて殿中へ届け運び入り候。

取次ぎの者共 受け取りて殿中深く抱へ入れ、大殿のおん前にてその蓋 正に開けむとしつるが、ご家老佐谷川主税介殿 はたと思へらく、登呂井とやらの城へ足軽潜ませたる木馬持ち込み、夜分討ち出でて城を陥しつる、との古(いにしえ)の例に倣(なら)ひて、或いは大殿を弑(しい)し奉る謀事(はかりごと)ならんと色めき立ち、郎党/仲間(ちゅうげん)衆に申し付け槍ぶすまの切っ先揃へ、大殿を後方(しりえ)に厳しく守り奉りて後、くだんの蓋 開け候ひしが、白き絹布幾重にも巻き解(ほど)き、中より現れ出でしは面妖なる木箱にて候。

その箱 表 柾目正しき杉材、裏 縮緬(ちりめん)模様なる楓材にて候。中程なまめかしげにくびれ居り、くびれに沿ひて なまめかしからざる鯰髭(なまずひげ)を形取りたりと覚しき細く長き孔二つ、また黒檀の角(つの)一本(ひともと)生(は)へ出でて身の丈より高く天を突き、その先は蝸牛(まいまい)の殻の如く巻いており候。畳に近き横面は力士の尻と見まごうばかり丸く膨れ張り出し居り候。

殿中に並び控へ居りしお腰元衆、何の箱ならんと頭(こうべ)寄せて評定しつれども判り申さず。中に涼しき者ありて、はたと手を打ち こはバテレン棺桶なんあらむ、不吉なるもの献上すとは慮外なりと眉ひそめ候。また御典医真崎良庵殿 痩せたる膝乗り出だし扇子握り締め、阿蘭陀人(おらんだびと)より聞きし事はべるが<かぬう>なる伝馬船にては御座りますまいか、と申しなす中半(なかば)にて自ら心得違ひを悟りしか、語尾消へ入るばかりにて候。

名うての武将豪山悪左衛門、髭面ぬっと近寄せ、わっはっは何を申すか こは弩(いしゆみ)なり、これここに強き糸四筋あるがその動かぬ証(あかし)。こを我に与へかし。四筋まとめ引き絞りて大筒の玉乗せ ひょうと射ぬれば、遠き敵陣も ものかは、木っ端侍六七人いちどきに血祭りにこそしてくれんず、と 俄(にわ)かに宙を睨みつ歯噛みをなし、合戦今にも始まらんとするが如く満面朱を注ぎたり。居合せたる武士(もののふ)面々、さこそありなんと心得、頷(うなず)き合ひて候。離れて独りご家老殿、沈思黙考の後一言、さならめど 別(べち)なる謀事あるやも知れず、とつぶやきて候。

*

天正十六年卯月十一日
ご家老佐谷川主税介殿、かのバテレンに登城申し付け候。百十六畳なる大広間の襖障子開け放ち、一族郎党 広間両袖に居並びて威儀正し候あいだ、バテレン殿只一人、下座中程にて片膝突き、頭(こうべ)垂れたるまま、恭順の姿にて小半刻。

やんがて、ご家老主税介殿ご先導にて大殿ずいと進み入り、皆の者平伏しつる中、一段高き座にあぐらをかきて御坐り被下候(なされそうろう)。主税介殿、ツツと広間へ進み、それなるバテレン殿 頭(かしら)を挙げい と、カケスに似たる高き声発し候。く、と頭を挙げし かの異国びとを鋭き金壷眼にて見下ろすままに木箱指差し、良くぞ御座ったがバテレン殿、あれなる箱 何物なるぞ。献上物とたばかりて曲事(まがごと)たくらみ大殿に対し奉り非礼の段あらば、疾(と)うこの国より退去せしむものと心得べし。

バテレン殿、青ざめたる面なりしかど、やがてご不審のありどころ解りたるさまにて、片頬ゆるみ暫くうつむき候へども、程なく再び頭を上げ はきたる謂ひにて(注)かく申し上げ候。

ご家老殿、大殿へ奏上なされて下されませ。あなる木箱は棺桶にては御座りませぬ。舟にても、就中(なかんずく)必ず弩では御座りませぬ。大型縦抱き琴にござりまする。

何、琴とな。琴ならば糸は十三筋ではござらんか。うつけを申すと御身の為にならぬぞ。

平にお許しを。されど、音曲に使ひなすものなれば我が生国にては、皇帝陛下 琴使いに扶持を賜りこの箱持たせ、常に傍(かたわら)へはべらせ給ふので御座りまする。琴に相違は御座りませぬ。

しえっ、重ねて申すか。大殿のおん前なるに控へ居ろう。ならばその証しを示せ。したが万が一、そのほうが大型縦抱き琴と申しなす木箱、あろう事か弩に使ひもて大殿を弑し奉るそぶり見せなば、バテレンとは申せ一刀の許に切って捨てるが覚悟はよいか。

大殿のおん前にて音曲(おんぎょく)を奏し奉れと仰せられるのでござりまするか、有り難き幸せにござりまする。さらば生国より連れ参らせましたる提琴使ひ共伴い、日を改め申して、おん前にて音曲の申し合ひおん許し賜りたう、伏しておん願ひ奉りまする。

*

天正十六年如月二十五日
天からりと晴れて、如月と思へぬ暖かき朝也。案内(あない)のお腰元に従ひてバテレン殿他数人、長き廊下を 清(すが)しき雪見障子に映る各々が影連れ立ちて 手に手に提琴と申せるもの携へ 大広間へ渡り入り候。提琴なるもの、姿大小ある如く見へ候。刀にても大小ある也。提琴果たしてちひさき弩ならざるや。

去んぬる日の如く広間両袖に控へし一族郎党、こたびは固唾を飲みて掌(たなごころ)握り締め居り候。大広間或いは忽(たちまち)にして合戦場とならむ。大殿を警固(けご)仕(つかまつ)る武士(もののふ)十四人、揃ひて鎧(よろい)に身を固め、銅(あかがね)縫ひ込みたる白き鉢巻 額に締め、短き手槍 小脇にたばさみ、大殿を守り奉りて前に蹲踞(そんきょ)するも、小袖僅かに打ち震へて居り申し候。

バテレン殿書見台を所望なされ、お女中衆 人数程の書見台据へたり。バテレン衆夫々に懐より取り出だしたる書付け、何やら譜にも見ゆるなれど、見たる事もなき横しま書きにて黒丸打ち綴り、琴の譜とも思へず。(注2)或いは大殿を討ち奉る手筈(てはず)書きやも知れざる也。

バテレン殿、傍らの大型縦抱き琴引き寄せ、大殿に向かひておほきく腰を折り一礼仕り候。大広間俄かに打ち静まり、御庭の森にて試し鳴く鶯の密かな声のみ聞こへ得べし。

バテレン国の各々 琴構へたり。

警固の衆 僅かに腰浮かし 手槍構へたり。

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長き刻流れたりと覚ゆれども、そは一瞬(ひととき)にて候。かの国の者共、馬手(めて)に持ちたる小さき破魔弓の如きを琴に添えたり、と見るや見事揃ひて打ち振り、すは矢飛び出づ と居並びし面々覚へず片身引きすざりて、殿中とて腰に無き刀に手を当てぬれば、矢に非ず妙なる楽の音 広間の高き格天井(ごうてんじょう)に響き渡り候焉。

警固の衆、備へて張り詰めたる心いちどきに緩みて あ、とその尻畳に落とし、頬桁緩み口塞がらず目虚ろにて顎(あご)上がり候。

楽の音、何事も無きかの風情にて 強く又弱く嫋々(じょうじょう)と流れ 広間を出でてお庭先の広き池の水面(みなも)をたゆたうが如し。そは又、水面より立ち昇りて、春浅き空へ薄霞と消ゆるさま、楽の音なれど見ゆるが如く覚へ候。

大殿脇息に御手突き立てつ、御身 乗り出だし、畏れ多くも御息を吸うも吐くも忘れ奉り候ぞ。

さて、楽の音静かに終わりぬれば、皆の者心地よき夢より引きて戻されたるが如く暫時呆然たり。我が身現(うつつ)に戻るや、大殿の御前なれど解き放たれたる猿の如く躍り上がり、双(もろ)の手打ち合わせ打ち合わせ踊り狂ひ候あいだ、何の故なるかを知らざる也。只々肚の内なる紅き塊、成り成りて成り余り四肢衝き動かす也。そは大殿とても等しき事にて候。

大殿平素より畏くも宴(うたげ)をお喜び召され候。こたびは殊のほか和らぎてご機嫌麗しく、おん自ら声音(こわね)高らかに腰元衆呼び立て下知なされ下知なされ、大広間忽にして宴の場となり申し候。バテレン衆 大殿より拝受したる酒杯の数を知らず。燭(しょく)多くして煌々(こうこう)たり。刻(とき)また、子(ね)を過ぐるを知らず候焉。

*

戯作者の弁
つたなき文なるに最後までお読み下され、かたじけのう御座った。頃は天正、関白太政大臣秀吉公の御代に遡り 場を設定しつるも、殿中の時代考証、選びし言の葉の適/不適に付きて配慮及ばず、指先の赴くまま電脳箱に打ち込みし事、一重にお詫び仕る。読者に国文科卒業の北の方、姫君等 居られざる事を祈るのみ。尚、南蛮にてはそのとき未だ愚連懲夫(ぐれごりお)ご詠歌盛んなりし頃、大抜歯(ばっは)生誕の遥か百年前にて、かのバテレンの持ち来たりし大型縦抱き琴なるもの、果たして如何なる鳴り物でありしかにつきては不詳なること、付記致し候。


弑す=目上を殺す事
 (注)=はっきりした口調で
 (注2)=和琴の楽譜は漢数字を主に使った縦書き
手筈=段取り/準備
馬手=右手
格天井=格子状に飾りの木材を組み込んだ天井
燭=あかり

2001/4/8

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