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弦楽器メンテナンスの考え方


弦楽器の駒や魂柱は素人が触るものではない、と一般的には言われている。

楽器メンテナンスの理想状態は自宅の近くに音に対する感性の優れた、腕と勘の良い楽器職人さんが店を開いていて、その奏者のくせや好みを理解した上で微妙な調整をしてくれる環境である。そんなラッキーな奏者は自分で道具を揃えて調整する面倒な道を選ぶ必要は少ない。

でもそれは楽器奏者のほんの一握り。普通、距離だけから見ても奏者はその店から何時間か掛かる離れた所に住んでいるのだし、もっと多くの奏者は旅行のつもりで楽器を持って行き、次の休日に受取りに行かねばならないほど遠方に住んでいるのだし、更には私のように運送便で送り届けるしかない人もいるだろう。そんな地方に住んでいる奏者は、次回楽器工房を訪れるまでに、もしある程度自分自身でメンテ出来たらどれだけ好都合だろう。

但し自分の耳と腕を過信することで最良の結果が生まれる事は決してない、むしろ却って悪い結果を招きかねないと自分に十分言い聞かせてから作業に取り掛かろう。

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”楽器は素人が触るものでない”或いは”問題が発生したら自分で処置をせずに直ぐに楽器店に持ち込んだ方が良い”と言う主張は、間違いなく店からの距離要因を考慮していないが、

大前提= 素人は楽器メンテの正しい知識を持たず、準備も出来ていない
小前提= 知らないでするメンテでは楽器が痛むし鳴りもよくない
結論=  だからメンテはどんな時にも専門業者に依頼した方がよい

という論理で成り立っていると思う。この大前提の主張は一般的には真だから、その三段論法は一応もっともな結論を導いていると思う。若干”おどし”のにおいがしないでもないが…。

知識不足については現に弦楽器の詳しいメンテ方法を述べた書物は寡聞にして知らない(書物がないのは何故だろう)。弦楽器の指導をされる先生も魂柱の立て方は教えない。それでも簡単に記述されたアウトライン知識はあちこちで拾い集める事が出来るが、実際に魂柱を動かしてみようとするとやっぱり解らない事だらけであることに気付かされる。それらの記述は実際の作業に役立たせようとするものではなく、一般常識としての記述だからだ。

この情報量の少なさを冷静に考えてみると、奏者は知識を持っていないと言うよりは持つ事を推奨されていないと言う方が当たっているのではないか。

私はその一般的閉塞状況から一歩踏み出そうとした。魂柱の立て方の初歩を乞うて教えて貰ったのがそもそものスタートだった。然し同時にそれはリスクを背負う事を意味する。楽器の使い良さと鳴りを極大にし、楽器を破壊/損傷するリスクを極小にする事を目指す為には目と耳に入るわずかの情報を元にして自分自身で考えながら進む他はなかった。

時には努力が無駄になる事もあるが耐えねばならない。例えば駒を削り過ぎて駄目にしてしまったとする。するとその時に湧き上がる感情は人によって二通りだろう。一つは折角の努力が無駄になった上に余分な出費が掛かってしまったと悔やむタイプ。もう一つは次はもっとうまくやろうと考えるタイプ。メンテ探求に向くのは後者だろう。

メンテに無関心でいる人は、リスクを承知でメンテを試みる人よりある意味でもっとリスクを背負う事になると思う。残念な事にコントラバスはケアをされないで楽器が変形しかかっている場合がしばしばあるようだ。個人持ちでなく団持ちで、しかも指導者が弦楽器に詳しくない場合にその傾向がある。

この”コントラバス調整室”を読んだ結果ご自分で手掛けなくとも早速工房へメンテに出す、という効果を生めば、この小文数編の当面の意図からは外れるとしても、この文章を書いた奥底の意義は満たされたというものだ。自宅から遠くない所に工房がある奏者は思い立った時にそれが出来る。

もともと私は木工などの手先仕事や自分であれこれ考える事は嫌いでなかったので、やっている事が果たして田舎居住ゆえの必要に基づいてするのか或いは趣味として楽しみながらするのか自分でも判然としないが、しかし素人の分際は心得ていて、楽器を恐がらないけれども”畏れ”の気持ちを失ってはいないつもりだ。そしてどうすれば大きな間違いを犯さずに済むか、間違いを最小限度に押さえられるか、と取り掛かる前に長い間自問自答している。

ところで三段論法はすべからく隙がなく美しいものだが、大前提部分の書き換えが利く、つまり常に真とは言えない場合、論理はほころびその結論は危ういものとなる。”素人療法は危険だ”という警告は半分の真実を述べる言葉、言い換えれば常に正しい訳ではない、と私には思えるのだ。毒とけれん味のない正しい言い方は”楽器とその置かれている環境が今、理想状態からどれだけかけ離れているかを所有者自身が判断出来ずに放置しているのは楽器の健康維持に取って危険だ”であるに違いない。或いは原文に近い形で言い換えるなら”周到な準備のない素人療法は危険だ”となるだろうか。

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もしあなたが楽器工房から離れていて私の考えになるほどと賛同されるなら、この室でこれから述べる私の実践記録を読んで頂きたいし、そこに手法の間違いを発見されればご訂正頂きたいし、より良い方法があればご教示願いたい。そもそもこのように素人が自分の楽器の調整を密かに行うどころか、その生兵法を公表するのは大いに問題がある。しかしこれを契機に、その方法は間違いだからこのようにしなければ、という永年の経験者による本格的な論文が発表されるならそれが一番良い事だからそれを待ちたい。

そのようなノウハウの公表は如何にもプロ職人の仕事を奪うように見えるかも知れないが、そう考えるのは皮相的すぎると思う。むしろ楽器の健康に所有者の注意が行き届く事によって仕事の注文は増えるのではないだろうか。またこれまでブラックボックスだった楽器内部の仕事ざまを素人が知るようになれば、プロ職人のレベルも更に向上するに違いない。

私は次の工房訪問の時にはそれまでの自分の作業をチェックして貰うつもりだ。仮にそれで良いでしょう、とのコメントを貰ったとしてもその言葉には一から取付作業をして貰ったほどの値打ちがあると思うので応分の支払いをするつもりだ。

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これから掲げる幾つかの小文には単なる引用文は掲載していない。全て紛れもない素人の私が考えたり試みているもののご紹介、または教えて頂いた事を自分なりに理解/解釈しての実践報告である。お断りするまでもなく、もとより権威はない。

素人は技と経験では限りなく評価0に近い。その欠点を上手に避けるには勘に頼るのではなく道具に頼り作業を単純化すれば良い。そう考えたが、然し専門道具は”魂柱立て”しか持たない。あとは自分で工程を考えてそれにマッチする道具を作るか100円ショップとDIY店で売っているものを流用した。だから奇想天外な道具があるかも知れないが本人は大真面目であり、敢えてプロと違う方法を試みているというのではなく少ない情報量と自分の腕への不信が生む自分流であるに過ぎない。

誤解を避ける為に繰り返し明確に述べるが、私はメンテを独力で全てを行う事を奨めるのではない。職人仕事を習得するのは仇やおろそかに出来るものではないし、まして楽器職人は木工技術の他に耳を持たねばならない。素人のにわか職人が全面的に代わり得る役目ではない。主は信頼出来る楽器工房であり、工房への依頼がが間に合わない時やプロによる定期メンテの間に、従として必要に応じてするというコンセプトである。

解りやすい例は、リハーサル中に楽器を物に当てて魂柱を倒してしまったが工房までは片道3時間掛かる、という場合だ。私は交換弦と一応のメンテ道具をアルミアタッシェケースに入れて持参しているので自分の楽器なら30分で復旧出来る。他人の楽器でも魂柱位置に厳密さを問われなければ似たような時間で演奏可能状態に出来るだろう。実際にそのような場面に遭遇した事はないし、名前まで付けて大事にしている愛器を痛める事など想像したくもないが、然しこの準備は心の準備でもあり落ち着きのみなもとである。
メンテナンス道具ケース

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これから述べるのはそんな意味での楽器調整作業ではあるが、以下の小文を読んでも魂柱に触れる決心がつかなかったら弦交換より先へは進まない方がよい。その先の駒のメンテへ行かれる方は必ず魂柱は倒れるという覚悟でそれに備えて欲しい。それには後半に出てくる”魂柱の立て方”を参考にして頂きたい。作業を試みる際はその方法とか起こり得る危険などについてこの数編の小文を読み、更に重要な事はご自分でも十分方法を検討した上で大胆に細心に、そして自己責任で行って頂きたい。個人的な、矮小な経験をこのようにwebで開示するのは危険な事だ。これを毒ではなく薬として使う賢明な読者であることを期待したい。

最後になったが、このコーナーに収納している小文は、HP発足当時の2000年10月に旧”楽器修理工房”の為に書いたものを3年経つ間に経験も増えたので全面的に書き直したものである。

2003/10/23

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