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合奏クリニック

この小文は延岡から帰りの”特急にちりん”に座って打ち込んでいる。7月8日の今日は3時間掛けて延岡へ行き、文化センターで延岡フィル弦セクションをトレーニングする野田一郎氏を参観した。他の用事で野田さんにお会いする為だったが、結果的にはオケトレのフル参観になった。8ヶ月前ネットサーフィンしていて、フレンチ弓を説く彼のHPに出会ってひらめくものを感じ、フレンチを手に取る前から既に確信を持ってしまった経緯から、チャンスがあれば一度お会いして見たいと思っていたが、その機会が延岡フィルのお陰で意外にも本当に早く来てしまった。それも周りで私の背中を押してくれる人達が居たからこそ_。有り難い事だった。

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文化センター入り口をくぐるなり、たまたま私の正面に歩いてきた人達のうちの一人にオケの練習場所はどこでしょうかと尋ねたが、その返事の声と、三日前にご本人へ電話した際に想像した野田氏の雰囲気がその人と一致することから、直ぐにご本人であることが解った。野田氏も同様であったようだ。このような出会い方もあるのか。

野田さんとの用件をあわただしく終えてトレーニングは程なく始まった。1時から5時まで。前の日に引き続き今日は二日目。曲はチャイコの5番。コンマス以下およそ30人。バスは楽器が6本、奏者は団員以外も含めて8人。狭い部屋だった事も手伝ってか、訓練する方もされる方も熱気に包まれて充実した時間が流れた。

後ろで参観していて、野田さんの指導内容をメモして見たらA4に1枚半、この日一番得をしたのは私で、無料でトレーニング内容を盗めてしまった。それを意図したわけではなかった。しかし罪悪感に駆られて(?)罪滅ぼしに、その一部を公表する。

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この日、トレーナーたる野田さんが一番意を用いていたのは、スラブの暗くて粘液質の血の表現。これを言葉による解説ではなく、具体的な符例においてどう表現するかを、細かくご自分で歌い (野田さんはひょっとしてカラオケがお上手なのでは?)また体の動きや目の表情で伝え (これが又魅力的だった)、それを分奏や個人奏を交えながら弾かせた。

どう楽器で表現するかは、そのときの体と意識の使い方に密接な関係があり、椅子の背にもたれかかって遠目で弾く/前方に譜面台を超えてせり出して弾く/楽器を体から離して弾く/目を譜面から離して50m先の人に向かって囁くように弾くなど、場面毎の音の出し方を イメージしやすいオーバーな表現で指導をされ、実際に団員に試させた。

合奏技術では、休符は他人を当てにせず自分で数える、一人一人が他の奏者を引っ張る気持ちを持つ、テンポを合わせようとしない、音符は頭を振りながら数えるのでなく先へ先へ意識を持って行く、指揮者の方針の下ではあるが自分の音を聴衆と他の団員に主張する、などを具体策とする”曲の流れに積極的に乗って生きた音楽を生み出す”方法を披露された。この指導は実に適切、たちまち音が変わった。

音楽表現を支える楽器演奏技術の説明では、駒寄りで弓を使い、pizzでは逆に左手寄りを弾いて音の芯を明確にさせる、その際はどちらも斜め弾きを心掛けるとの説明があり 斜め弾きと横弾き両方を実演して見せた。斜めを意識するとpでも明確な音になるが、横弾きだと弦が振動してから音になるまでに時間が掛かる事が実際に解った。ホワーッと音を出すときは弓の弾き始めはまず弓を駒方向へ擦り下ろす事からスタートするイメージで(私はそれで弓方向のX軸、弦長方向のY軸に対する対数曲線の有様をイメージした)とか、離れたポジションの音を押さえるときはグリッサンドのように指を滑らせてゆき、その間必要に応じて僅かに出る(出す)音を聴きながら位置決めをする`”摺り足奏法”とか、脱力は一度肩に一杯力を入れた後にすっと抜くと良いとか、それらを面白おかしく、皆を笑わせながら指導をされていた。晴れた日のようにこだわりがなく話が面白いのは野田さんの天性のお人柄でもあるようだ。

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休憩時間に奏者と一寸話をしたが、指導を受けたこの二日間、延岡フィルの音は見違えるように良くなったと彼も言った。実際、なにげなく軽い弦の響きが野田さんの指導の下、スラブ的な重々しさに見事に変わるのだ。野田さんのにこやかなお顔もその時はチャイコになるのが不謹慎ながら面白かった。

奏法の説明は野田さんのHPにも載っている。しかし直接指導を受けるインパクトは大きく、更に多くのものを汲み取れる。直接受講でなく参観であってもそうだった。ラッキーな一日。野田さんの発する明るいオーラは全員を包み込み、オケメンバーは自分たちの出す音が本物の音楽に変わる充実感と共に、自分を解放する楽しさに浸っていたように見えた。

このような次第で、個人的には僅かの時間しかお話は出来なかったが、それはその日のスケジュールによるもので仕方のない事であった。この日、野田さんは一日延岡フィルのものだった。

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延岡フィルでの野田さんはバシストのトレーナーではなく、弦セクション全体のトレーナーだったのだが、この小文を置く適当な室がないので、ここ”バシスト控室”へ収納する。

2001/7/10

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