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雑談/音楽鑑賞 その1

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”音楽がよく解らない”と言う人がいる. 特にクラシック音楽を指して言う人が多い.そう思う人たちはコンサートへ行かない. 息が詰まるようなところへお金を払ってまで出向く事はない訳だ.

会場へ行ってみれば奏者は申し合わせて黒ずくめの堅苦しい服を着,女性のソリストは見る側が気恥ずかしくなるほどの衣装.どうも居心地が悪い.

訳知りの聴衆は眉根にしわ寄せてじっと聴き入っている.どんなに浮きうきするリズムであろうとも それは変らない.聴いていて気分が高揚する事はないのだろうか.体をシートに固定させ,面白いのか面白くないのか_.ロックコンサートならスポーツみたいに体で発散出来るのだけど,どこか<…ぶって>いる雰囲気があって,プレッシャーを与える.

さてプログラムを見れば曲名は直感的でなく七難しい.加えて微に入り細に亘って難解な解説を並べてある.演奏する曲も長ったらしい. 更に音楽を"鑑賞する"と言う言葉は,曲の知識をあらかじめ蓄えた後にかしこまって聴かなければならないような,威圧的な響きをもっている.

感じるかも知れないマイナス面ばかりを,このように並べてみればコンサート会場へ足が向かないのも仕方ないか,と納得してしまう.行けば素晴らしい経験をする事があるのだが.

だれかフリードリッヒ/グルダのように何気ない平服でクラシックコンサートを企画して欲しい.但し,会場へ足を運ぶ人達の期待を裏切らないよう,チケットにその旨書いでおく必要はあるかも知れない.私自身もいわゆるステージ衣装は苦手な方.毎回仕方なくため息をつきながら,着用に及んでいる.

曲が長ったらしいことに関して 私は否定的ではない.例えていえば 3分間で終る曲は 俳句のように,ある場面の雰囲気を切取って見せるもの.長い曲は小説のように紆余曲折を楽しむもの.別のものに例えれば,ポップスは100m走,交響曲はマラソン.どういう訳かマラソンの実況放送で飽きたことがない.(長い曲で飽きたことは多いが〜)

プログラムの解説は曲を理解する助けになる,と思われている.そうかもしれない. で,これから始まる曲を予め精読し理解したとして,より心が豊かになるのか. 一寸違う.芸術を受け止めるのは頭ではなく心であるに違いない.聴衆は音楽を勉強しに来るのではないだろう.解説付きのプログラムを読まねばならないのは,むしろ曲の時代背景と演奏スタイルを知る必要のある演奏者の方.プログラムは幕間の退屈凌ぎと心得て,品を落とさない範囲で,暇つぶしに読んで楽しいものを準備すべきだと考えている.聴いた後で興味を感じれば,その足で本屋さんへ行って貰えばよい.

極論すれば音楽を受け止めるに当たって曲を理解しようとする態度は必要ない.だから冒頭の<音楽が良く解らない>というつぶやきは心配ご無用. 一般の人にとって音楽は,より豊かに生きるための色々な手立ての中の一部分に過ぎない.聴いて心が和み又は生きているという実感を汲み取れるならば,それ以上何が必要だろう.

演歌に共感する為に,作曲者とその時代背景や曲の組立て方を知る必要があるだろうか?そんな事をする人はあるまい. どちらも音楽である事に変わりはないから,同じような接し方で良いのではないだろうか.クラシック音楽を曇らせているとすれば,それは教養主義/精神主義/権威主義/事大主義.それらを全部捨てて裸になって聴き,心に残る音楽がその人に合った音楽だ.自分の感覚に合わないと感じる音楽に無理をして付き合う必要はない.でもフィーリングに合う曲を探し当てる為に,たまにはコンサート会場へ行き,或いはCDを聴いて貰わねばならぬこの矛盾.

かつて音楽雑誌の批評欄を頼りに新録音盤を買っていた時期がある.しばらくしてそれを止めた. 結論は<権威者の耳に依って聴かず,自分の耳を頼りにしよう>と言う考え方だった.私の感性を批評家の感性に合わせる事はない. そう考えるようになって大変気が楽になった.批評家がこぞって薦める,世界的に有名な音楽家であっても私の心に響かなければ何の意味があるだろうか.然しその裏で,買うレコードはどんどん増えた. でもそれは無駄玉を打っているのではなく,楽しい冒険と考えた.

音楽の世界は広くて曲数も多い. 探し当てたお気に入りの曲を何度も聴き,それに飽きても心配する事はない.仮にクラシックが好きになりかけて他に何か良い曲は?と思った時,冒険は山ほど出来る.探検に出かける際の地図なら中学生の音楽の教科書で十分,難しい本を読む必要もない.好きになりかけた曲が何故良いのか. 演奏形態が気に入ったのか,作曲スタイルが好きなのか,演奏家の表現力なのか.一寸考えて見て,次は地図でその延長線上の曲を探して聴いてみればそれが次への突破口になる.突破口の先に伸びる道は二股にも三つ又にも枝分かれして行く事だろう.

私は探検の途中で吉井亜彦の著書を手に入れ,おおまかな地図にした.そして闇雲に聴いた. 際限なく次々に聴きたかった.丁度高校時代,学校図書館の小説を片っ端から読んだように.曲名はどうでも良かったからほとんど覚えなかった.そんな聴き方をするから廉価盤には大変お世話になった.廉価盤を買う習慣のお陰で,録音は古くて音も悪いが,厳しいけど暖かい父親の響きを持つバイオリニスト,ヨーゼフ/シゲッティに出会い,セピア色の部屋でワインと上等の刻み煙草をたしなみつつ聴きたいと思わせるウィーンコンツェルトハウス弦楽四重奏団に出会い,少年の壊れやすい純粋な感性を持つピアニストのディヌ/リパッティに出会う事が出来た.

一目惚れの極端な例は東京カルテット. 店で試聴の針を落とし,ハイドンの最初の3小節を聴くまでに確信を持って購入を決めてしまった.そしてその後何枚買っても印象は変わらなかったし,コンサートで実際の音を聞けた時は感激した.

2001/11/29


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