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音楽そしてコントラバス・トップ>音楽ホール>このページ 弦楽合奏団の顛末昭和58年、 中津室内アンサンブルという弦楽合奏団を設立した。それまで参加していた合奏団はバロック音楽に特化した団であった。これも特色とゆるぎない信念があって良い。バッハは私の大好きな作曲家であるし、ヴィヴァルディは比較的容易に弾ける。 しかし、私はもっと冒険がしてみたかった。 バッハと並んで、いやもっと好きかも知れないモーツァルトを演奏してみたい。近代はかなり手ごわいので一寸端折って時代を下ると現代音楽にも弦合奏の曲があり、その中には演奏の比較的容易なものもある。表現は斬新で バロックや古典派とはまた異なる発見がある。 弾ける弾けないは別の事として兎も角やってみたかった。そこでそれを実現するには近在にそのような団体がない以上自分で作るより道がなかった。
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バイオリン/ビオラ/チェロと 団員を集めるのは、近くに大学がなく若い人たちの就職の場が多くはない地方都市では容易なことではなかったが、それでもやがて次第に人が集り、どうやら弦楽合奏が出来るようになった。楽譜を人に頼るわけには行かない。楽譜屋さんからカタログを取寄せ、面白そうな曲を片っ端から発注した。バロックもやっぱりプログラムに入れたい。なにせバッハに敬意は表したかった。またバロック時代の音楽の演奏にはチェンバロがつきもの、友人から小さいものを譲ってもらった。 主宰は私ではあるが バイオリンの奏法は不案内なので音楽的なリーダーにはバイオリントップになって貰った。彼には十分キャリアがあり期待に応えてくれた。このようにして新しい弦楽合奏団が誕生した。 本当に 怖いもの知らずの行動であった。
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練習会場は 最初キリスト教会へコネを辿ってお願いしたが、チェンバロを買った後は私の家の客間兼オーディオルームに変更、音が漏れてお隣に迷惑を掛ける事がなかったのは幸いだった。しかし11、5畳の部屋では10人が合奏するには狭く、おまけにバスとチェンバロは場所ふさぎだった。そもそもオーディオ装置で畳2枚分弱占拠している。 応接セットを片付けても弓の先が隣の人の頭を突く事を心配したほど。 プログラムには、一曲は他の楽器を迎えてコンチェルトや他の室内楽曲を演奏する事をしばしば試みた。
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自分自身のコンバス練習にも 自然熱が入った。設立を思い立つ前の事だが、紹介なしにいきなり九響に電話して先生をお願いしたところ、団員のバシストを教えてくれた。それから何度かコンバスを抱えて福岡通いをする事になった。 団員には独身女性が何人かいて、 中には結婚して遠くへ行く人も出る。おめでたい話であるが、私にとってはつらい話でもあった。
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その後、私は楽器に触れることもなく、オーディオを聴くこともなく、コンサートに行く事もなく、テレビの音楽番組を見る事さえしなかった。音楽の再開はそれから7年後となる。 2000/10/22
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