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音色と語り口

テレビのドキュメント番組などで匿名インタビューを受ける人は、顔をモザイクで隠し音声処理も施して出演する。所が言葉遣いや語調は隠せない。本人を見知っているならそこから特定は出来そうだ。出演する本人は気をつけていても言葉遣いまで変えられるものではない。

言葉遣いや語調はその人の送ってきた人生と、それによって出来あがった性格と密接な関係がある。その人の過去の人生はタイムカプセルに乗る以外変えられるものではないから、音声を変換しても顔を隠しても本人を知っている人には判ってしまう。

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楽器も似たような事が言えそうだ。 弦楽器を弾く人が笛も吹けるものならどちらも同じような傾向の音楽になる。 楽器を変えるとは例えれば音声処理を施すという事だが、それでもその人の特徴は出てくる。面白いものだ。私の母は琴と三味線をよくした。 邦楽では弾きながら唄も歌う。どれもみんな同じように鋭い音色だった。変えられるものではない。

ピアノは誰が打鍵しても同じ音が出る。 仮に猫が弾いても一緒。ピアノのキーに加わる力の速さと強さと時間が同じなら常に同一の音が出てくる。所が単音ではなく曲を演奏をするとなると 話は違う。

AさんからはAさんの音が出てくる。 ブレンデルはどのピアノを弾いてもブレンデル風の健康で明晰な音だし、グールドなら最初の5秒でグールドだと判ってしまう。リパッティもまた余人に真似の出来ない純粋な少年の感性の響きだ。

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楽器のタッチや余韻の響かせ方、フレーズの入り方抜け方、間の取り方、フォルテとピアノのダイナミックスの取り方などをひっくるめて習慣的に音色と言われているが、もっと大きく”語り口”と言った方が解り易いかもしれない。つまり音楽語のしゃべり方、言葉遣いの事。単に楽器自身の音色だけでなくその語り口をも取り上げるのなら100人奏者が居れば100通りの音楽となる.1000人なら千通り。

語り口を改善しようと思ったら楽器を練習するのも良いが人生観を変える手もある。深い人生からは深い音が紡ぎ出される。それほど音色や語り口はその人の性格の根幹にかかわる問題。上手になればなるほどその人の音楽表現能力のなかで大きな部分を占めて来、その人のもつ雰囲気がより鮮明に音に出てくる。

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私は学生時代クラシックギターに熱中した。 半端ではなかった。だから卒業後10年して広島で再び社会人のマンドリンクラブに入った時単純にも1ヶ月でテクニックを取り戻せると思った.10年の間少しづつでも楽器は弾いていたのだから。

そんな時そのクラブのギタリストS氏の音を、私の住んでいた家でじっくり聞くチャンスがあった。彼の音色は柔らかく暖かい語り口だった。それを聞いて私は自分に絶望した。

その時 これはテクニックの問題ではなく、 人柄の問題だと理解できたのだ。人柄が音を出している。私はそれまで自分の手が回る事ばかりに意を用いてきたような気がした。そのような人間でしかなかった。自分の楽器からはあのような音が出てくる事はないだろうと直感した。

おまけに自分のテクさえ思うように戻らない歯がゆさも手伝って、学生時代に一寸弾いたバスなら自分の人格がもろに音になって出て来ないのではないかと淡い期待からバスに転向する事にした。 実に敗北主義的で不純な動機であり、元からバスが好きな人がこれを聞いたらもう口も利いてもらえないかもしれない。でも事実は事実だ。致し方ない。

然し結果から見ると、そのお陰でバスが占める合奏の中での大きな意味を何年か掛かりで肌で知って、とりわけこの楽器を好きになってしまったから、失った以上のものを獲得する事が出来てしまった。どこの神様がどんな意図でこんな男にご褒美をくれたやら。

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前述した母親は、60歳をかなり越えて音色が変わってきた。指の力が琴の強い張力に対抗できず、楽器をねじ伏せようとするより楽器にお伺いを立てながら弾かざるを得ないと言う物理的な問題でもあっただろうが、7人の子供を戦後の苦しい中から育て上げてしまったと言う安堵感もあるのだろう、音色は確かに若い時より良くなった。刃物で切りつける音ではなく、人を迎えに行く音になった。

私も指の力が萎えるまで、ひどい乱視をB4拡大コピーでカバーしながら弾いていると、その先にひょっとして柔らかい音色とかしっとりした語り口が待っていてくれるかも知れない。そう思うと何だか頬がゆるんで来る。

2000/11/17

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