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情操教育

教育とは字の通り、教えて 意図した通りにはぐくみ育てる事である。

教師と生徒の関係といえどもこれは人間関係である事に変わりはない。人間関係をスムーズに進める為の原則はここであっても働いている。

人を使って所期の行動を起こさせるためには、理屈に従って、権利義務によって規定された方法で行われる場合でも、相互に好感を持つか否かでその効果が異なるのは良く経験する事である。それどころか、一般的には理屈より常に好悪の感情が優先し、”物事はそれに関わる全ての人々の間における人物好悪の感情の渦だけによって規定される”という表現は、ほんのわずかの過言でしかない。

教育も然り。 教師の義務は、定められた内容のものを一定の期間内に生徒に習得させる事であるが、両者に心の通い合いがあれば、教えた事は何であれその子供の一生の糧になる。

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ある高名なジャズ奏者のコンサートを聴きに行った。アフリカ人の打楽器楽団5人グループが共演していた。迫力のある太鼓群は生きいきとジャズにからんでいた。 人口6万人余り、小都市でのコンサートにしては聴衆が多く、立ち見の人々も大ホールの壁に満遍なく張り付いていた。

一部が終わり、二部になって幕が上がると何と市内の小中学生が舞台に積み重ねられたひな壇にずらりと並んでいた。実に大勢、吹奏楽と合唱をする子供たちが、壇の端に立った子はこぼれてしまわないかと心配するくらいの人数である。

彼等を従えて再び演奏が始まった。 初老のサックス奏者の音色は昔と変わらず晴れた空のような、ニコニコと笑顔を振り撒くような音である。アフリカの太鼓のリズムに乗って、子供たちはその奏者に合わせて歌いそして演奏を始めた。

曲の途中、意外にもひな壇の中から一人又一人と楽器を抱えた中学生が舞台の中央に進み出て、ジャズ奏者とジャムセッションが始まった。上手くリズムに乗っていた。 中央に進み出るまではどきどきしただろうが、吹き始めると曲の流れに合わせてそれぞれが最後まで立派にやり遂げた。私の心は彼等子供たちと一緒になって新鮮な感動を覚えていた。

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後から聞いた話だが、ジャズ奏者は何度か当地を訪れ、子供たちと練習を重ねたそうだ。通り一遍、舞台の上だけの交流ではなかった。いやそれでも構わないのだが、そうしなかった所にその奏者の誠意と子供たちへの愛情が感じられるのである。

きっと練習会場ではジャズを教えるというよりは、子供たちとひととき音楽を一緒に楽しんで帰ったことだろう。それは金を払って聴きに来る人達への義務というより、自分のギャラの為というより、子供たちに音楽を一層好きになって貰えたらという気持からであるのは想像に及ぶ。

もし私が中学生であって、その奏者と共に舞台で素晴らしい音楽を奏でる一端を担う楽しい経験をしたと仮定したら、クラシックではなくて間違いなくジャズを一生の友としている。

その日、そのジャズ奏者は子供たちに得がたい経験をさせて、その子等の人生に計り知れない良い影響を与えたことだろう。

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これは教育の、自然な一つの理想ではないだろうか。楽しみながら教え、教えられる事を喜んで学ぶ。それは音楽を含めて感性を扱う情操教育では特に望まれることだ。

教える側に愛情とパワーがあればそれが出来る。

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暖かい気持ちのままで、会場を後にした。

2001/3/13

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