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ときどき雑記2011年d

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■今年最後のときどき雑記・・・2011・12・30
今年も一年間お付き合い頂き有難うございました。
23日に述べたように今年は私と家族にとって様々にエポックメーキングでした。 来年の365日間には果たして何が待ち受けているのか、ハラハラそしてドキドキです。

さて、今年最後の小文アップロードです。
チェロ木製エンドピンレスト

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■チェロのエンドピンレスト・・・2011・12・28
知り合いのチェリストの為にエンドピンレストを作りました。

その人の希望条件は第一に床で滑らないこと、第二に演奏中に時々姿勢を微妙に変えている事からエンドピンを刺せる範囲を広くして欲しい事の二つ。 それ以外の希望条件は特にありませんでした。

楽器やエンドピンレストに期待する事などが異なるので設計思想が違いますから、実際にどのような使い心地になるのか結果を予測し難く、また一旦渡してしまえば微調整や微改良などのメンテナンスもこれまでのようには行かないので気掛かりではあります。 これは嫁に出す父親の気持ちでしょうか、気に入って貰えば良いのですが。

出来たらお正月準備の合間に簡単ながら小文としてアップロードしたいです。

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■サイトマップ復活・・・2011・12・24
これまで長い間トップページに掲載していた詳細なサイトマップは煩わしいと思ったので今年1月に撤去し簡単なものにしていましたが、沢山ある小文のタイトルを一覧出来るのはやっぱり便利なので、トップページではなく別ページで復活させました。

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■生活態様の変化・・・2011・12・23
今年もあと一週間、今年はある意味で区切りの年のようでした。来年はまたこれまでと違った歩みになりそうな感じです。

二人の孫のそれぞれと一番可愛い3歳前あたりまで直接関われた事は、孫と私達お互いに良かったと思いますが、それも来年からは局面が変わり下の孫娘も上の孫が通う保育園に行くことになるので、孫育てから卒業出来る予定です。これは大きい。若干穴があいたような気持ちになるとは思いますが、でも夫婦とも時間的なゆとりを取り戻す事が出来ます。

生きる舞台装置と役柄が少しずつ変化して行くのも決して悪いことではないと思います。

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■文字を書くのが苦手・・・2011・12・20
年賀状で久し振りに他人の目に触れる文字を書きました。

下手。

元々余り文字を書くのは好きな方ではありませんでした。この十年、ホームページを運営して来たお陰で文章を作るのは余り時間が掛からなくなって来たものの、ペンを取って字を書くのは別です。

パソコンに親しむ人達の共通の悩みと思うのは、字を忘れて書けないこと文字が下手になること。昔の人の文字は、ごく普通の人の文字でも残っているものは味のあるものばかりです。

話は飛ぶかも知れませんが、パソコンの普及はある意味で日本文化の放逐を意味しているのかもしれません。そろばんだって暗算だって計算器やエクセルに放逐されたでしょ?農耕民族特有の隣近所のお付き合いだってパソコンのせいばかりではないとは言えごく田舎を除いては消えつつあります。暇ならパソコン、そんな人達が増える一方ではないでしょうか。

そう言えば、会社の私の机に長年使わないままに残っていた私のそろばんを最近自宅に持って帰りました。そのまま捨てる事が出来ません、私の二十歳代から続いた会社生活に欠かせなかったものですから。これも私のパソコン習熟につれて使わなくなった一つです。

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■若いお母さん達の子育てで気になること・・・2011・12・15
先回りし過ぎ;
運動能力について、ちょっとした事にでも子供の周囲に先回りの防護柵や予防線を張って行動を阻止し、結果的に貴重な経験を積ませまいとするような場面には数多く出会いますが、失敗体験にはそれを受け入れる気持ちが親子にあれば成功体験と同じ値打ちがあります。本当に先回りして阻止しなければならないケースはお母さんが思っているよりうんと少ないと思います。

昨日公園で出会ったあるお母さんは、遊具に取り付いている4歳くらいの男の子に少し離れた私の所でも聞こえるような大きな声で「だめっ」「だめっ」と言い続けていました。3歳や4歳なら無鉄砲な子でない限りは出来そうなことかそうでないかは自分で解りますから立ち往生しそうだと思った時には自分から親を呼びます。それまでは近くにいて目を離さないでいる程度で十分だと思います。無鉄砲な子は何度も痛い失敗をして自分の能力を学習出来ます。

また社会性について、日々ごく普通に起こる子供同士の出会いにも親が介入してしまう傾向があるようです。持って来たおもちゃの取り合いや本や遊具を使う順番などで起きる小競り合いへ頭から介入・遮断せず程々が良いと思います。但しそんな時に親同士でする相手への過剰な配慮というやっかいな社会関係があるのが困りものです。私の場合は「折角の子供達の出会いの場ですから出来るだけ子供の判断に任せるようにしていて口出しは最低限にしています」と相手の親によっては了解を求める事があります。普段から子供同士の仲が良くてしかも気心の知れたお母さんとなら、子供達が喧嘩をどう解決するかまで見届けます。僅かのアドバイスで良い収まり方をすれば褒めてやります。

誰とでもどんな時でも喧嘩をせずに仲良く、なんて親でさえ実行不可能なお付き合いを子供に期待するのは無理ですね。

私達が小さい頃戦後しばらくでは子供の遊びには重大事でない限り親は全く介入しませんでした、と言うか親達はそれどころではありませんでした。その代わり目配りしてくれる年上の子が集団のなかにいたものです、それも自然発生的に。ですから乱暴な遊びでない限りごく小さい子も混じる事が出来ました。

もう今では広場に年齢幅の広いそのような集団は出来ませんが、例えばその年上の子のようなそれとない目配りを親がしてやれば良いのではないでしょうか。

そう思っている私ですけれど、意地の悪い年長のいじめっ子に孫が出会った時は、もう単純にムカーッと来ます。

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■キンカン購入・・・2011・12・13
いつも歩いている道に接した農地に十数本も野放図に伸びたキンカンが植えてあって沢山の実がなっています。

我が家のキンカンは春にばっさり剪定して樹姿を小さくしまって今年は全く不作なのでその鈴なりの実が気になり、所有者とおぼしきお爺さんに道端で声を掛けました、「このキンカンの実を譲って頂けませんか」

商談成立、数日後にデパートの大きい空袋を持って行き、何度も木に取り付いてキンカンを詰めました。3〜4キロもあれば良いと思いながら取り掛かったのですけど私の欲張りめ、袋一杯。持って行った秤で量ってみると何と11キロも。お値段は自分で手間を掛けて収穫したとは言え、格安でした。

我が家の鍋は11キロのキンカンに取っては小さいので何度も炊かなければならず、これを機会に大きい寸胴鍋を求めました。

さて試みに少量砂糖煮にしてみると、どうも我が家のキンカンなら例年美味しく仕上がるレシピが通用しません。土が違うのかキンカンの種類が違うのか、家内は戸惑いながらあれこれやって見て、結局小さい実以外は姿煮ではなくジャムになりました。

お世話になっている人達に瓶詰めで差し上げるだけでなく、これからは当分朝のホットサンドの1枚にはキンカンジャムを塗る事に・・・長期間摂取は味が甘いだけにやがて飽きるだろうなぁ。

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■名付け方への考察(兼好法師の主張)・・・2011・12・9
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ

これは吉田兼好の言葉なんだそうです、この文章の前に「お寺やその他のものに命名をするには妙に凝らずに平明なのが良い」(乞許拙訳)と述べていて、それに続いて人名についての主張がこれです。

初めて上記二行だけを何かで読んだ時、古い文体に知識のある人が今の世の名付け傾向を嘆いて、然しだからと言って正面から反対を唱えるのは大人げないし、それに現にそんな名前を持っている人に悪感情を持たれてまで主張するつもりもないのでこんな古い言葉を使って主張の生々しさを薄めているのか、と一瞬思いました。

こんな考えを800年も前の鎌倉・南北朝時代の兼好法師が持っていたとは驚きです。いや、その前に何かに命名する時に感じる「世間がその字を命名した通りに読めるのか、どう感じるのかは視野に入る余地がないほどの特別な思い入れ」は時代を問わず命名者が襲われてしまう根源的な感情なのかと思いました。

自分が直接命名出来るものや生まれて来る我が子に特別な思い入れがあるのは誰も同じなのですが、その気持ちが昂じてそこらにはない特別な字や読み方の名前を付けた為に、名付けられた子が大人になってさえ関係が出来た人の数だけどう読むのを説明しなければならないのはある面で可哀相ですね。

これに関してはそもそも文化審議会(旧国語審議会)のリードの仕方も大きく関わっているような気がします。

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■川内優輝・・・2011・12・4
最近の男子マラソンランナーでは世界に通用する選手がいないのでマラソン人気が落ちているように思います。

今日の福岡国際マラソンでもトップはケニアの2時間7分台、2位もケニアの2時間8分台、3位で日本の2時間9分台でした。

でもこの日本人が異色です。有名選手は軒並実業団に所属していてスポーツが本業とも言えるのに、この日本人川内さんは実業団の誘いを断り、本業は県職員で普通の公務員と同じに仕事をこなした上で練習しているのだそうです。市民ランナーの星のような存在です。

今回16キロあたりでトップ集団から置いて行かれ、歯をあらわにして苦しそうな表情で30位あたりまで落ちて実況画面からも姿を消したのですが、30キロ過ぎから落ちてくる選手を抜きながらペースと順位を上げ36キロで日本人トップを争っている3位集団の2人に追いつき追い越しました。この前後では食いしばる歯を見せて走る表情が嬉しさを感じている表情とも受け受け取れるようでした。

これまでの彼の成績は決して華々しくありませんが、マラソンに金も時間も使って来なかった経歴から考えて、彼の環境がひょっとして変わるならば日本人ランナーとして歴史に名を残せる人になるかも知れませんね。

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■2歳10ヶ月になる孫娘のガキギャグ・・・2011・12・1
それまで孫娘と遊んでいた家内の独り言「鍋のイカが煮えたかどうか見てくるか」
それを聞いた膝の上の孫娘、すかさず「いかがですか?」

彼女の兄も1歳10ヶ月で面白い事を言いました。それは2008年10月11日のときどき雑記に残していますが、彼が車のキーを持って運転席の下に潜り込んだ時の独り言「こうか ヨチ」

どちらも忘れられない言葉です。

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■ゆきだるま(レイモンド・ブリッグス)・・・2011・11・30
孫娘はレイモンド・ブリッグスのゆきだるまと言う絵本が大好きで、読んでやり終えるとすぐに又「読んで」とリクエストします。毎回3〜4度は読んでやるはめになります。

このゆきだるま、実は私のものです。この絵本が好きでずっと前に買っていたものです。絵だけでストーリーが進み文字は全くないのでお話を続ける為には良く絵を見なければならず、お陰で以前は見過ごしていた新事実を発見出来たりします。

この本はその昔、まだ私が独身時代に姉の家に遊びに行って子供の本の中からこれを見掛け、ページをめくるうちに感動して何と泣いてしまった事があり、その後本屋で見つけて買い求めたものでした。

孫娘はこの本からどんな印象を汲み取っているのでしょうか。それは彼女にいつまでも新鮮な感動を与え続けるでしょうか。そうあって欲しいと思います。

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■邂逅・・・2011・11・28
弦楽合奏団リーダーの知り合いのプロが演奏テクニックをはじめ全般的な音楽指導者として団に招かれてやって来ました。多分今後もコンサート前になれば不定期に指導して貰えるのではないかと想像するのですが、巡り合わせとは不思議なもので彼は私自身が20年前まで主宰していた弦楽合奏団のメンバーとして奥さんと(当時はまだ結婚していませんでしたが)二人で1時間半以上も掛かる遠方から毎週演奏に来てくれていた人なのです。

会社を設立して音楽する心のゆとりがなくなり、地元メンバーの中で背負って運営してくれる人も出なかったので団は消滅の道しか選べなくなってしまいましたが、彼には最後まで音楽的指導者としてリードして貰いました。遠方なのでその後お会いするチャンスはなくなってしまいましたがご縁は20年間細々ながら続いていました。

キャリアは着々と築き上げて来られたようで、柔らかいながらも鋭い指摘と説得力のある説明にはいちいち納得出来ました。流石です。

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■新顔の古PC・・・2008・11・19
古いけれど結構能力のあるPCが我が家にやって来ました。

これを常用PCとして居間に置き、これまで居間に置いていたPCを音楽練習の為に練習室にコンバートし、バス練習用に使っていたPCは押し出されて廃棄処分となりそうです。取り出して役に立ちそうな部品はないみたい。その内蔵HDDは一時代前のIDE接続品なので使う気にはなれません。

新しく迎えたPCは丸一日掛かるHDDの物理フォーマットから始めたので必要なソフトをインストールして問題なく使えるようにするまで3日掛かりました。

実は別にもう一台、ある知り合いの事業所から能力は劣るにしてもまだ使えそうな小さめ筐体のPCがやって来ています。これをどう使うかはまだ考えていないので物理フォーマットしたままにしています。

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■しわ伸ばし・・・2008・11・18
いたずら工房に洗濯物しわ伸ばし・運搬板をアップロードしました。いやぁ、小文にしてわざわざご紹介するほど値打ちがあるものではありませんけど。

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■降るどんぐり・・・2011・11・16
二人の孫と三人で山の中にある池の公園で遊びました。遊歩道を取り囲んで大きい椎の木などがたくさん生えています。天気も良くて丁度どんぐりの実が熟して落ちる最中に出会いました。

落ちると言うよりは降るという方が相応しい表現です。少しくぐもった音ながら小さくカツン、コトンと林のあちこちで、ちょうど夏の夕立の降り始めの雨音を連想させる降り方でした。

時期と天候がぴったり合えば、いつかテレビで見たサンゴの産卵のように一斉に降るのでしょうか、初めて出会った自然現象でした。

写真の孫はそれよりも公園で飼っていたヤギや猪の方がお気に入りだったようです、私に何度も木の枝を折らせてはそれを差し出してヤギに葉っぱを食べさせていました。

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■新しい小文・・・2011・11・10
新しい形のペン立てを小文にしました、横長ペン立て。でもひょっとしたら私が知らないだけでこのような形のペン立てがあるのかも知れませんけど。

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■お隣との距離・・・2011・11・9
我が家の西側境界はべったりお隣と接しています。ここに家を建てた30年余り前に山から棒樫をひいてきて境界に列植しました。

お隣とは時にお裾分けなどをし合う良いお付き合いを長年して来ていてますが、最近ご主人の体調がすぐれないようです。

棒樫は30年の間に成長して壁のようになっているのですが、先日思い切って枝と幹を山からひいてきたばかりの状態まで極端に切り縮めました。 伐採は二日掛りのつもりでしたがどうやら一日で済み、焼却場持ち込みを翌日に軽トラ往復で済ませました。

2年に一度程度の整形刈り込みしてしばらくは幾らかはお隣の様子が解るものの、やがてはお隣が庭に出ていると解っていても姿が見えないので声掛けしづらく、声掛けする時には葉っぱの間から覗きこんで話をしていましたが、もうこれから当分はお互い庭に出ているなら丸見えに近い状態、気楽に声掛け出来ます。

葉っぱが繁り過ぎてうっとうしいのも大幅伐採の理由ですが、もうひとつはお互い歳を取って来ているので、何かあった時に助け合いが気軽に出来る素地を垣根にも作って置きたいと思ったからです。玄関や勝手口経由のお付き合いとは別に、垣根越しの何気ないお付き合いも取り戻しておかねば・・・。

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■生気・・・2011・11・7
家内の母親は老人病院を退院しました。

5日前に家内と病院を訪問した時、私は身体の接触が笑顔と共に大事だと思ったのでそうしました。家内も居る間ずっとそうしていたようです。訪問して直ぐ、ベッドから談話室に連れて行くのに義母は杖をついていましたが、1時間半後に病室に戻るときには杖が不要でした。

昨日家内は再び長男と2人の孫を連れて、退院して自宅に戻った義母を訪問しましたが、とても生気があったそうです。

独居老人は勿論孤独ですが、人に混じりながら感じる孤独は私にも昔経験がありますが救いようがありません。そこからは抜け出なくては。

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■巨大な庚申塚・・・2011・11・2
家内の母親が下関市外れの老人病院に入院したそうです。 その種の病院に入ってしまわなければならない状況なのか、家内とお見舞いに行きました。

いや、まだイケる。

義理の親ですから娘息子を差し置いての発言は控えますが、義理とは言え私に取っても大事な親ですから家内の意見と突き混ぜて貰いたいと思っています。

ところで母娘水入らずの会話を邪魔しない為に途中退席した私は付近を1時間半ウォーキングしました。

途中、面白いものに出会いました、それがこの画像。どこにでもある庚申塚は力持ちならウンショと持ち上げられる程の大きさなのが普通ですが、この庚申塚は見上げるばかりの巨大なボリューム、説明書きには高さ2.63mで重量は7トンとありました。そしてそれに相応しい立地面積と背後の大きな樹。

「日本一とも言うべき巨大な塚」とあるのには「日本国中調べて回った訳ではないので、自信はありませんですけど・・・」との言外の言い回しを感じて気に入りました。

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■いたわしい樹木を見付けました・・・2011・10・26
今日は家内のアッシー君として北九州市に行ったついでに、10年振りに市内の緑地公園で遊びました。

園内の植物の生育はほとんど自然のままに任せています。谷を登り一転して山を下る回遊路は通行人の足元に危険が及ばないように急坂には間伐材で階段を作っていますが、足元以外には人手が入っているのを感じさせません。でもそれだけに、頭上を覆い両側からも迫る枝々で狭められた山道を延々と登っても視界が開けず達成感はないのが不満と言えば不満です。やぐらのような展望台があったので登ってみたのですが、設置当初は遠望出来たかもしれませんが見えるのはやっぱり近くの樹木の頭ばかり。

でも、そんな不満を別にして、と言うか、だからこそ2時間半の自然を十分に楽しめました。

そんな中で私の目を捉えて離さないものを見付けました。

最初の画像では一体何の事か良く解らないと思いますので、その画像を加工したのが2枚目です。

真ん中の赤く塗ったひょろひょろとした木は左から伸びている白く加工した長い枝と右上から垂れている紫色に塗った長い枝、そのどちらも赤い木の幹よりは太いのですが、それらを緑色の二つの矢印のところで健気に支えているのです。

老齢化社会の現代、時々目にし耳にする景色と同じではないですか。

頑張ってね。

そう言うしかありません。

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■あと3カ月弱・・・2011・10・23
合奏団の今度のコンサートまで残すところ3ヶ月弱になりました。

メインの曲目は弦楽合奏曲としてヘンリー・パーセルのアブデラザールとホルストのセント・ポール組曲、弦楽合奏以外としてはブルッフ作曲チェロコンチェルトのコル・ニドライ、それにモーツァルトのクラリネット五重奏曲イ長調。

去年やったプログラム程ではないけれど、それでも今度もとても良い選曲でバラエティに富んでいると思います。

アブデラザールは私の気に入っている曲で私がかつて主宰した弦楽合奏団でもやるつもりでいた曲、セント・ポールは一口でいえば現代っぽい変わった曲、コル・ニドライは短いけれど大層説得力のある名曲で表現に工夫のし甲斐があります。クラリネット五重奏はモーツァルトらしいこれも感動的な名曲。五重奏なので低音はチェロまでしかありませんが、バスはチェロ楽譜を使って重ね弾きをします。

今年はバスの腕前が頓挫してしまってもう上手にならないと思ってしまっていましたが、それを考え直して少しは成長しなければ、との思いを現実の音にしたいです。

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■ふとももスタビライザー3作目・・・2011・10・18
コントラバスを背面から支える座面枠には演奏中太腿をリラックスさせながら受け止める「ふとももスタビライザー」と名づけた部品を取り付けていますが、このたび改良して(これで3つ目)使っています。画像右奥が最初のもの左手前が最新のもの真ん中が第2作目です。

発案する時には色々な角度から見てベストだと考えたものを作ってとりあえず使い、使っているうちに欠点が見つかれば躊躇せずに改良する、それの繰返しが私のやり方で、家内からは「無駄なことを重ねる」と酷評されます。

君、エジソンを見たまえ。無から意味のある有を生じるにはそれなりの道筋が必要なんだぞ。(・・・とでも言っておこう)

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■共学志向・・・2011・10・17
家内の卒業した女子高校が近年共学になったそうです、驚愕。
学校経営の見地から、すくう網の直径は大きい方がたくさん魚が獲れる、みたいな効率追求でしょうか。

その女子高にはプライドから来る向上心・自律心があったと思います。

永年に亘って先生達が育んだ校風は「良妻賢母」なり「女性ながらも質実剛健」「社会にも目を向けた女性」(注:これらは私の一方的解釈かも)だったと思いますが、掲げていたその手をどのように下ろして男子生徒を受け入れたのでしょうか。

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■防御策・・・2011・10・14
我が家の芝庭に小型犬のものと思われるフンが時々落ちています。

それはそれは嫌なものです。どんな犬かも犬の所有者が誰かも解りませんが、それがバレなければ大した事ではない、と所有者は多寡をくくっているだろうと想像すればする程怒りは募ります。

怒っているばかりでは何事も進まないので、誰の仕業かの詮索をさて置いてついに防御策を講じて、外部から庭への二つの通り道にそれぞれ取り外し可能な邪魔柵を設置してやりました。

ザマミロ、それ以来4日間被害はありません。しかし毎日その設置を忘れないようにしなければ・・・。

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■ケータイの功罪・・・2011・10・12
アップルのiPhone4Sが今大ブレークしているそうですが、メーカーはケータイをどんどん便利に多機能にしていますね。

ケータイは本当に便利、暇な時にはゲームで熱中出来るし。でもその便利さと引き換えになっているのはどうやら「孤独感」の欠如。

孤独ってマイナスイメージで考えられていると思いますが、でも内面の充実を目指したい若者には必要な栄養素ではないかと思います。黙って何もしないでいるように見える時間にも、お喋りしたり色々な情報を得る時間に負けない創造的な価値がありそうです。

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■合言葉の危うさ・・・2011・10・10
赤穂浪士が元禄時代に吉良上野介邸に討ち入った時、暗闇で仲間かどうかを見分ける為に合言葉を使ったそうです。

「山」・・・「川」 おう、味方か。

実に単純な暗号です。戦闘中に吉良側から簡単に学習され、逆利用されるのではないだろうか、と考えなかったのでしょうか。

一度耳にして合言葉が解れば、今度は吉良側が暗闇で出会った相手に「山」と問い掛けてみれば良いのです。「川」と応えなければそれは味方、「お仲間だ、安心せよ」と声を掛けられるし、合言葉が返ってくればまごう事なき敵です。しかも相手は声を掛けて来たのは味方だろうと安心してしまいますからその浪士を討ち取るのは赤子の手をひねるように簡単ですね。

家老を勤めたほどの人物、大石内蔵助の事ですからまさかその可能性に気付かないとは考えられません。

きっと赤穂義士事件を芝居に仕立てた脚本家が舞台上でお話の解り易さを狙った創作ではないでしょうか。

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■賛助コンサート終了後の雑感・・・2011・10・9
今日のコンサート会場は響きが良すぎてしかもステージへの戻り音の少ない会場でした。去年もここを使って驚いたのですが、今年もそれは同じ、でも本番では観客の体が音を吸収してくれるので少しは音響改善されたかなという感じでした。他パートの音が聴こえづらくリズムが聞き取りにくいのは頼りないものです。丁度滑り易いぬかるみを歩いている感じ。

終了後にはいつも家内の遠慮のない感想を参考にしているのですが、目を手術した家内がステージを良く見ようと座った席が前過ぎたせいもあるのか「もやっとして細かい事がよく解らなかった」と今回批評はありませんでした。

私の目も今年は若干進んだようで、普段の練習でも時々そうなので心配だったのですが楽譜のどこを今進んでいるのかを見失ってしまう、と言う醜態を何とステージ上でやってしまい、3小節ほど宙をさ迷いました。今年の楽譜は去年までよりも音符をわずかに大きくプリントアウトして備えてはいたのですけど。

思い出すのはもう20年以上前に知り合いの老チェリストが演奏していて弓を取り落としたのでそれをシオに演奏活動を辞めてしまった事がありました。いつかはそれに類するが如き加齢効果が十分に発揮される時が来るのでしょう。

今年春からやっているウォーキングでは視力強化も指の感覚鋭敏化も期待出来ませんね。演奏寿命を伸ばすにはどうすれば良いのでしょうか。

それは兎も角として、身の回りの事も含めて失敗は数々あってもやっぱりステージの快い緊張感は何よりも好きです、止められません。

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■背面受け作り直し・・・2011・10・4
楽器の構え方が変わって来たようで座面枠に固定している楽器背面受けの角度が合わなくなって来ました。

これまでは変えた角度に合わせて背面受けを臨時的に加工していたのですが、このたび背面受け全体を作り変えました。今回のは前に比べてかなり大型なのでビブラートの際に楽器のふらつきが減りました。右画像は椅子運搬の時など、突き出た背面受けがものにぶっつからないよう頭だけを外して脇に留めます。頭の付け外しはマジックテープなので簡単です。

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■微調整・・・2011・10・3
コントラバスの弦を引っ掛けて留めるテールピースが壊れたので、これを機会に材質をこれまでのローズウッドから軽いツゲに変更したお話は9月の17日と22日に書きました。

その音の変わり方は弦を変えたくらいの違いがあり、思ったとおり明確な軽やかなものになり、音量も増しました。

でも不満もあります。それは落ち着きがないと言うか腰が定まらないというか、言ってみれば私が欲張りなのだと思いますが振り子が振れ過ぎてしまった不満なのです。

しかし失望しているのではありません、取り外せば一般的な材質のローズウッドや黒檀にはない美点まで否定することになってしまいます。それって勿体ない。それにその不満は色々な方法で微調整が可能ではないだろうかと思っているのです、これからですが。

先ず松脂を変えて試しているところです、コルスタインから元のサルコーへ。

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